「は、破廉恥なのはいけないんだから!」
学院側はルシィのことも、そしてリルのことも隠蔽することにした。
といってもリルは偵察の鳥を出した生徒に知られており、中にはその場にルシィが駆けつけたことまで鳥を介して知っている者もいる。幸い、生徒の偵察魔法では声でのやりとりは拾えてはいないらしいが、それでも全て隠すことはできないだろう。
ゆえに学院長はリルを『鳥の亜種』と公表した。ルシィはたまたま森でリルを見つけこっそりと飼っていたが、リルが捕獲されそうになりあの場に駆けつけ騒動に巻き込まれた……と、こういう筋書きである。まったくもって無理のある、それどころか無理しかない話だ。
だがこれをクラウディオとオルテンシアがニッコリと微笑みながら、
「そういうことだ」
「そういうことですのよ」
と言い切れば指摘できる者などいるわけがない。第二王子とローズドット家令嬢、この二人を敵に回してまで言及する話題ではないと誰もが判断したのだ。ある意味で格差社会万歳といったところか。
そういうわけで、かなり力技ではあるもののルシィは再び学院に戻り、以前と変わらぬ生活を送ることになった。リルも校舎裏に生活区域を設けられ、ルシィが休み時間に会いにくるのを尻尾を振って待ち構えている。
「当分は学者達が押し寄せてくるだろうけど、手荒な真似はしないはずだ。リルを傷付けるのは厳禁、頭を撫でて喉を鳴らすのは歓迎って伝えておいた」
そうクツクツと笑いながら話すクラウディオに、ルシィが良かったと安堵しながら目の前のリルに視線をやった。
放課後会いに行こうとしたところクラウディオとコンラドに声を掛けられ、おまけにコンラドが行くならと怖々オルテンシアまでもが着いてきたのだ。
気付けばいつも通りの顔触れになり、今はコンラドの背に隠れながらリルに近付くオルテンシアを、クラウディオと並んで座り眺めている。なんとも長閑な光景であり、リルのグルグルと楽しげに喉を鳴らす音が聞こえてくる。
今のこの空気が穏やかであるからこそ、良かったと心から思える。
リルの存在は鳥の亜種として押し通せたと言えど、学者達が見過ごしてくれるものではない。捕まれば研究施設をたらい回しにされ、辛い環境を強いられるかも……そう不安を抱いていたのだ。
そこを救ってくれたのが他でもなくクラウディオだ。現王である父親に話をし、今回の件に関しての全権利を譲りうけた。駆けつけた学者達にも彼が話をつけ、全ての手配を任されそしてこなしてくれた。
さすがクラウディオ・バレクと言えるもので、学生とは思えないその手腕にルシィはただ茫然としながら、自分の人生が安定し穏やかになっていくのを見守っていた。
「クラウディオさん、ありがとうございます。大変だったでしょう」
ルシィが改めて彼に感謝を告げれば、どういうわけか彼は顔を赤くさせつつ「別の意味で大変だった」と答えた。
――クラウディオがルシィをパーティーに誘ったことは一日どころか一瞬にしてリズテアナ魔法学院中に知れ渡り、もちろん学院内に留まるわけがなく外部にまで、そしてクラウディオの家族の耳にまで届いた。そのうえで今回の件で彼はルシィを護るために動いたのだ。王族と言えど父と子、クラウディオが王族として対峙しようと何を話そうとも「どんな子なんだ」だの「好きなのか」だのと父親モードで返され、クラウディオにとっては非常に恥ずかしくて居た堪れない時間であった――
もちろんクラウディオがそれを言うわけがなく、ハタハタと己の顔を扇いで誤魔化す。ルシィがどうしたのかとそれを眺め、今日は扇ぐほど暑いだろうかと首を傾げた。
「クラウディオさん、どうしました」
「い、いや何も……」
「それにしては顔が赤いですよ」
「それは……その……なぁ、ルシィ」
「何ですか?」
らしくなくしどろもどろに名を呼ばれ、ルシィが彼の顔を覗き込んだ。頬も、それどころか耳までも赤く、金の髪が余計にその赤さを感じさせる。
青い瞳は逃げるようにそらされ、それでも小さく「ルシィ」と名を呼んできた。
「……家族と話をしたんだ。王位継承権を放棄するって」
「え?」
「俺を王にと考える者も居たが、元々俺はこのまま兄が王位を継ぐのが一番だと思っていたんだ。俺は兄が国を治めるその手伝いが出来ればそれで良い。王位をかけて争う気も無ければ、俺と兄のどちらが王位になんて無駄な話で内部を分裂させる気も無い。その意思を告げて、正式に放棄した……その代わりに」
「その代わりに?」
先を促すようにルシィがジッと見つめれば、顔を真っ赤にさせたクラウディオが意を決したとルシィを見つめて返した。
「王位も何もいらない。だから……す、好きな子と一緒になりたい、そう言ったんだ」
その言葉にルシィが小さく息を呑み、そして己の頬に熱が灯るのを感じた。
ここで「好きな子って誰?」等と言うほど抜けてはいない。何度記憶を無くしても鈍感になるわけではない、忘れてから積みあげて人の気持ちを察することは出来るのだ。もちろん、好意も。
つまり彼の言う「好きな子」とは……。
「ルシィ、次のパーティーも来年もずっと俺にエスコートをさせてくれ。一緒にいよう」
そう真っ直ぐに言われ、ルシィの瞳に涙が溜まる。
だが今すぐに頷きたいのを堪え、かといって首を横に振れるわけもなく、ただ逃げるように顔をそむけた。
「クラウディオさん、私はそんなことを言ってもらう資格なんてない」
「なにを言ってるんだ、馬鹿なこと言うな」
「わ、私……思い出したんです。こんなふうになったのは、記憶を糧にするって決めたのは、私なんです……」
そう俯きながらルシィが告げれば、クラウディオが言葉を飲み込むのが見えないながらも分かった。
ルシィがまだブランシェットを名乗るずっと前の話。魔法も使えないまさに一般階級の生まれ……いや、一般等と言うには烏滸がましい、東の国の廃れた土地に生まれ、散々な人生を送っていた。
そしてその果てに親に売られたのだ。値段など分からないし、今思えば違法とはいえ研究施設に売ったのは最後に残った親の情だったのかもしれない。だが親に売られた事実は当時のルシィには重く辛く、幼いながらに悲観に陥っていた。
だからこそ忘れてしまおうと思ったのだ。その代わりに魔法を使えるようになるのなら、これ以上のことなど無い。
親の顔も声も今までのことも全て忘れて、綺麗な魔法をたくさん使おう。そう考えた。
「きっと、本にかけた防水の魔法が忘れさせていたんです。無くして、はじめて思い出した……」
「ルシィ、君は……」
「覚えていたいなんて、そんなふうに思うことが自分の人生にあるなんて考えもしなかった。全て私の自業自得です、それなのにこれから先もクラウディオさんに迷惑をかけるなんて……」
そんなことできない、とルシィが呟けば、クラウディオが小さく溜息をつき……そしてポンと頭に手を置いてきた。そのままポンポンポフポフと宥めるように慰めるように撫でてくる。その度にルシィの瞳から涙が零れ、胸を絞めつける心地よさに瞳を細めた。
「嫌な記憶なら忘れてしまえ。これからの俺との人生を覚えていた方が有意義だ」
「……でも、クラウディオさんのことだって、また忘れちゃうかもしれないんですよ……」
「いいさ。何度忘れたって俺に惚れさせてみせる」
そう照れ臭そうに、それでいて言ってやったといわんばかりの表情で笑うクラウディオに、ルシィが涙をためた瞳をパチンと瞬かせた。
「クラウディオさん……」
「当然だろ。俺を誰だと思ってる」
「……誰でしたっけ」
涙ぐんだままルシィが悪戯気に笑えば、今度はクラウディオが目を丸くさせた。
そうしてしてやられたと言いたげにニヤリと笑い、再びポンポンポフポフと頭を叩いてくる。だが次第にその手がゆっくりと動きを緩慢にし、撫でるような動きに変わり、そしてスルリと落ちて頬を包み込んだ。親指で目尻を拭われればくすぐったく、ルシィが瞳を細める。
楽し気だったクラウディオの表情がいつのまにか優しげで穏やかなものに変わっている。だが青い瞳だけは普段とは違い、欲情的な熱を感じさせた。
目尻を撫でていた親指が頬を滑り、唇に触れる。その柔らかな動きにルシィが心臓を高鳴らせつつ視線をそらした。拒絶はしない、するわけがない、だけどどうして良いか分からない。
記憶こそ無くしているが、以前も恋愛に対して百戦錬磨というわけではなかったのだろう。心臓が無様なほど早鐘をうつあたり、もしかしたらファーストキスもまだなのかもしれない。
「……ルシィ、何度俺を忘れても構わない。そのたびに名前を教えて、惚れさせてみせる。だから俺の隣で俺を忘れてくれ」
そう告げてゆっくりとクラウディオが顔を寄せてくる。ルシィが耐え切れなくなり目を瞑れば、唇に柔らかな感触が触れた。
言葉を押し込めるかのような口付け。それを受けながらもルシィが彼の服を掴めば、ゆっくりと唇を離したクラウディオが青い瞳で見つめてきた。
欲情的なその瞳に、心臓が限界を訴えかねないほどに高鳴っていたルシィが深く吐息をもらす。そうして彼の胸元に擦り寄って小さくだが「はい」と答えれば、再びクラウディオの手が頭を優しく撫でてきた。
ルシィとクラウディオがそんな甘い時間を過ごしているすぐ近く、二人がキスしている光景をたまたま見てしまったコンラドが慌てて正面を向き直った。
友人のキスシーンは刺激が強すぎる。それも相手はクラウディオだ、うっかり見てしまったなんて知られたらどんな仕返しをされるか……。そう考えて「見なかったことにしよう」と先程の光景を脳裏から消し去り、目の前の光景に……にじにじとリルに近付くオルテンシアに視線をやった。
「オルテンシア嬢、あまり無理をなさらない方が」
「む、無理なんてしてなくってよ。コンラドはもう撫でたことがあるのよね……」
「えぇ、先日。興味があったんで」
「なら、わ、私も大丈夫よ。それに元は猫なんでしょ? 猫なら撫でたいわ」
そう恐る恐る近付きつつオルテンシアが訴える。
幸い彼女は目の前のドラゴンもとい鳥の亜種に意識をやっていて、背後の甘い恋人達には気付いていないようだ。自分を蚊帳の外にして二人が進展していると知ったらさぞや怒ることだろう、みぃみぃ喚くオルテンシアとそれを宥めるルシィ、そして「よくも邪魔してくれたな」と矛先をなぜかこちらに向けてくるクラウディオ……容易に想像できる光景にコンラドが溜息をついた。
これはなんとか回避しなくては。そのためにはオルテンシアの意識をリルに向けさせたままでいなくてはならない。
「オルテンシア嬢、大丈夫ですよ。そっと手を伸ばせば向こうから近付いてきます」
「そ、そうなのね……そっと……」
おっかなびっくりとオルテンシアが手を差し伸べる。
ジッと待ち構えていたリルがようやく来てくれたと言いたげにオルテンシアに鼻先を寄せ、上機嫌でニャーンと鳴いた。それを聞いたオルテンシアが「みっ!」と声をあげる。
「ニャーンって鳴いたわ! やっぱり猫ね!」
「良かったですね。一度触ればもう平気でしょう」
「えぇ、もう大丈夫よ。まぁ私は元々怖くなんてなかったんだけど……み、みぃ?」
相変わらずな「み」の音を出しつつ、オルテンシアがリルの頭を撫でる。
そうして彼女が「ねぇルシィ」と顔を上げた瞬間、コンラドがしまったと己の迂闊さを悔やんだ。リルに触れていればルシィ達に視線を向けないと思っていたが、早々に作戦失敗である。
それも、タイミング悪くオルテンシアが視線を向けた瞬間に二人は再びキスをしていたのだ。
「ねぇルシィ、この子お腹がすいたって……み゛!なにしてるの二人共! ここは学院の敷地内よ!」
はしたない!とオルテンシアが怒鳴りつつ、「み゛ぃっ!」の一言でリルをルシィ達にけし掛ける。哀れドラゴンもとい鳥の亜種に割って入られればいかに甘い恋人達といえど空気を壊され、リルの片腕にヒョイと掴まれたルシィが参ったと苦笑を浮かべた。
「リル、遊びに来たのに放っておいたのは悪かったから、機嫌直して下ろしてよ」
「学院内で、キ、キスなんて……! リル、ルシィを木に引っ掛けてやりなさい!みっ、みぃい!」
「……コンラド、ちょっと話があるんだが」
予想通りの光景、そのうえクラウディオが涼しげな笑顔で肩を叩いてくる。
これにはコンラドも溜息しか出ず、いつも通りだと肩を竦めつつクラウディオの凍てつく視線を逃れるべくオルテンシアを宥めにかかった。




