「あれほど軽やかに情けない者を見たのは初めてだ」
リズテアナ魔法学院は地位の高い家柄の者達が通う教育機関であり、社交界同様『魔力』が全ての基準を決める場所である。そもそも、家柄が高位な者ほど多量の魔力を所有するのだからそれに準じた格差が成立されるのも至極当然。いかに『学院内は平等』と謳っていても、結局のところ在籍期間を過ぎれば明確な格差が蔓延る社交界に放り出されるのだ。
学生ではなくなったからといって在学中のことを綺麗さっぱり忘れるわけがなく、ゆえに家柄が低く魔力を少量しか持たぬ者は将来の為にと上の者に媚び諂い、家柄が高く多量の魔力を持つ者は社交界に出た時のためにと下の者に対する扱いを学校生活の中で学んでいた。
「わぁ、なんだかとってもくそったれな感じですね!」
「もうちょっと言い方があるんじゃないか?」
「繊細なルシィちゃんはそんなシビアな学院で生きていけるか心配で心配で、胃のあたりがグゥグゥいってます」
「空腹だな」
と、そんな会話を交わしながらルシィとクラウディオが廊下を歩く。
てっきり学院の門まで連れてきてくれるだけかと思いきや、彼は学院長の元まで案内してくれるというではないか。
なんていい人なんだろう……!とルシィがクラウディオを見上げた。そうして「ん?」と不思議そうに視線を向けてくる彼に瞳を細める。
ようやく視界が戻り彼のことを見られるようになったのだが、これがまた驚く程に良い男なのだ。金の髪に緑かかった青い瞳、一つ年上だというのに知性すら感じさせ大人びて見える麗しい顔つき。身長は予想通りルシィより頭二つほど高く、そのうえしなやかな身体つきとスラリとした長い四肢。
麗しく凛々しく、スッと伸ばされた背筋とその風貌から威厳すら感じさせる。おまけに通りがかる生徒の誰もが彼に対して頭を下げ、それどころか教師らしき者まで道を譲っているではないか。
これは先程の不敬罪コースもあながち冗談ではないかもしれない。
だがそんな高貴さを漂わせつつも彼は気さくに話しかけてくるし、頭を下げる生徒に対しても朗らかに声をかけたり手を振って応えている。なにより、一生徒どころかそれすらも怪しい――それも結構失礼な部類にあたる――ルシィをわざわざ学院長のところまで案内してくれているのだ。
高貴で良い人。そのうえ見目も良い。
この学院でどんなことがあるか分からないが、何かあった時の為に彼のことは今夜にでもノートに書き残しておこう。そうルシィが決意すると共にそっと胸元に手をやり、服の下にあるノートを布越しに触れた。
書く文面はこうだ。『何かあったらクラウディオさんの所に行くこと。きっと何とかしてくれる』
――後日この事を話すと、クラウディオは微かながら眉間に皺を寄せつつ「狩に戻ろうとも思っていたんだ」と告げた。曰く、ルシィが普通の生徒であれば、もしくは学院に着くや否や「こっちから学院長っぽい匂いがする! 匂い知らないけど!」と明後日な方向に走り出していなければ、学院長の部屋を口頭で案内して済ませるつもりだったのだ――
「失礼します、クラウディオ・バレクです」
良く通る涼やかな声と共にクラウディオが扉をノックする。
学院の最高責任者がいる部屋だけあり扉は分厚く、大きく彫り込まれたエンブレムは圧巻とさえ言えるほどに見事だ。扉越しでさえ重苦しい威厳が漏れているように感じられ、思わずルシィが背筋を正した。
今更ながらに不安になる。学院長とやらが怖い人だったらどうしよう。
遅れたことを怒られるだろうか。理由を話せと言われたら? 説明なんて出来やしない。
それどころか、素性の知れない遅刻生徒なんて入学するに値しないと追い出されるかもしれない。
そう考えながら身嗜みを整え、そういえばと裏返しに履いていた靴下を直すべく靴を脱ごうとし……クラウディオに制止された。
「なぜ止めるんですか、私の靴下が右側だけ裏返しだとバレたらどうするんですか」
「学院長、森で迷っていた生徒を連れてきました」
クラウディオが華麗にルシィをスルーして学院長の部屋へと入っていく。となればルシィもそれに続くしかなく、失礼しますと頭を下げつつ彼の後を追った。
室内はさすが責任者の部屋だけあり広く、調度品のどれもが豪華で品が良い。学院の歴史なのだろうか長々とした表記や絵画が飾られ、中央には来客用であろう上質のテーブルとソファーが設けられている。
ソファーに至っては座らずともそのフカフカ具合が分かるほどだ。あれは座れば間違いなく尻が埋まる……とルシィが密かに瞳を輝かせる。いったいどういった経緯で森の中を歩いていたかは分からないが疲労は大分たまっており、そのうえ乗馬でお尻が痛くなってきたところなのだ。あのソファーにフカフカっと座って癒された。
そんなテーブルとソファーの奥には、これまた質の良さそうな机。並べられた本や片隅に置かれた資料の山がいかにも仕事用と言いたげで、それでいて小さな玩具が並べられているのは持ち主の趣味だろうか。そこに座る白髪の老人を見て「儲かってんなぁ」と感想がつい声に出かけていたルシィが慌てて言葉を飲み込んで頭を下げた。
「ルシィ・ブランシェットです。遅くなってしまい申し訳ありませんでした」
「いや構わない、無事で何よりだ」
口元の皺を更に深くさせて学院長が微笑む。
部屋から漂う威圧感や調度品から感じられる格調高さと違い、なんとも優しげで親しみのもてる表情ではないか。それどころかルシィとクラウディオにソファーに座るように促し、自らは立ち上がるや紅茶とお茶請けの準備をしだす。
魔法を使わず手で淹れるのは「そっちの方が美味しい」とのことで、なんとも魔法学院の最高責任者らしからぬ話ではないか。それどころか「若くて可愛い女の子が淹れてくれるのが一番美味しい」とまで言って寄越すのだから、これはもはや魔法云々抜きにした問題である。
それを聞いてクラウディオが苦笑を浮かべ、対してルシィが勢いよく立ち上がった。
「ならばここは私が! 可愛いかどうかは定かではありませんが、少なくとも若い女です!」
「ルシィ、座ってろ。学院長、俺が淹れます」
「クラウディオさんは若いけど女じゃないし可愛い系ではありませんよ。若い女のエキスが紅茶を美味しくさせるというのなら、私の方が」
「ルシィ、大人しく黙って座ってろ」
意気込むルシィをピシャリと嗜めてクラウディオが立ち上がろうとする。だが学院長は楽しげにそのやりとりを眺めると、名乗り出てくる彼を制した。
そうして、珍しい茶葉が手に入って是非飲んでほしいと告げる。そのうえ美味しく淹れるにはコツが必要だとまで言ってくるのでルシィもクラウディオもこれ以上食い下がることも出来ず、ならばと二人揃ってソファーにフカフカっと腰を下ろした。
学院長の瞳が素直に従う生徒が可愛いと言いたげに細められる。そうしてお茶請けはクッキーとケーキのどちらが良いかと尋ねてくるのだが、それに対してルシィとクラウディオの返事は、
「いえ結構です」
「私もケッキーです」
というものであり、どちらがどちらの返事かなど説明するまでもない。
「遠慮しようとしたところは褒めてやるべきか……。待てよ、どっちが食べたいんだ?」
「胃のあたりがグゥグゥいってやまないんですよ」
空腹を訴えるルシィにクラウディオが仕方ない奴だと呆れたように溜息を漏らせば、笑みを浮かべた学院長がならばとケーキとクッキーの両方をテーブルに並べてくれた。
香しい湯気を放つ紅茶と合わせて何とも豪華な光景ではないか。さっそくルシィが手を伸ばしサクサクとクッキーを頬張る。
いつぶりの食事か分からないが、空腹にクッキーのほのかな甘さと暖かな紅茶が優しく染み込んでいく。思わず二枚、三枚、そしてケーキ……と食べ進め、フゥと一息ついたところで学院長がコホンと咳払いをした。
そろそろ話しがしたいということなのだろう。紅茶を飲みつつルシィの食べっぷりを眺めていたクラウディオもそれを察してかティーカップをソーサーに戻し、ならばとルシィも最後に一枚クッキーを口に放り込んで視線を学院長へと向けた。
「ルシィ、入学おめでとう。知ってると思うがここは」
「あ、知らないんで詳しい説明お願いします」
話の出鼻をくじくように告げるルシィに、学院長はもちろんクラウディオも目を丸くさせた。
なんとも絶妙なタイミングと発言であり、これには学院長が言葉も無いと数度瞬きをし……「そうか」と深い溜息と共に呟いた。
「そうか、知らないのか」
「はい、なので教えてもらえると助かります」
「ここはリズテアナ魔法学院、名前の通り魔法を学ぶ機関だ。君は強い魔力を持っていたからここで学ぶよう知人に勧められたんだ」
「ふぅん」
「安心していい、ここで学ぶのは基礎的な魔法だ。魔力を多量に消費するようなことはしない」
「それは良かった」
学院長の言葉にルシィがパッと表情を明るくさせる。
魔法学院というからどれだけ大掛かりなことをさせられるのかと思っていたが、殆どが基礎的な事ばかりで選ぶ授業によっては魔力の欠片も使わず椅子に座りっぱなしらしいではないか。
良かったー、と能天気にルシィが呟けば、隣に座るクラウディオが「魔力が少ないのか」と呟いた。
「やっぱり君が異例の新入生なんだな」
「異例って?」
「階級の無い国民が入学するって学校中で噂になってるんだ」
「あら嫌だ、『階級のない国民』だなんて。とんだ選民思想でございますわね」
「なんだその厭味ったらしい口調は」
不満だと言いたげにクラウディオがルシィを睨む。対してルシィは「なんでもございません」と小さく舌を出して誤魔化した。
もっとも厭味ったらしいことを言ったものの実際に世の中の格差は明確で、多量の魔力を持つ上流階級からしてみれば魔力が無いか有っても無いに等しい平民の扱いはあくまでその程度なのだ。とりわけ格差をなによりとするこの学園においては、異論を口にする方が見当違いとさえ言えるかもしれない。
そこに只の国民が足を踏み入れれば好奇の目に晒されるのも仕方あるまい。もっともルシィからしてみれば自分を雑多と言われることに違和感を覚えるのだが、逐一それを訂正して回る気にもならないので言及はしない。
だからこそあえて厭味たらしく言ってみせたのだ。だがそれに対してクラウディオは少しの間ルシィを睨みつけるも、次の瞬間には「すまなかった」と頭を下げてきた。
これには逆にルシィが目を丸くさせてしまう。
「ク、クラウディオさん?」
「確かに失礼な言い方だった、君が怒るのも当然だ。許してほしい」
「いや、べつにそんな……」
「『魔力に関わらず人は平等』その考えに惹かれて入学したはずなのに、情けない話だ」
「真面目な人だなぁ」
いまだ頭を下げ続けるクラウディオになんとか顔を上げるよう促し、ルシィが参ったと頭を掻いた。
そうして助け舟を求めるように学院長に視線を向けるも、彼は穏やかにこのやりとりを眺めているだけだ。生徒同士のやりとりに口を挟むまいとしているのか、その考えは素晴らしいと思うが今だけは考えを改めてほしい。
「相応の身分なら、多少は偉ぶって我儘言ってもいいと思いますけど。ねぇ学院長?」
「程度にもよるな。殿下に関して言えば、ルシィの言う通りもう少し自分の身分に甘えても良いと思うがね」
「ほら、学院長もこう言ってることだし、殿下なんだから多少は……」
そう言いかけ、ルシィが流れるような動きで土下座をした。