「……リル」
オルテンシアのドレスはコンラドの好みをそのまま反映させた、淡い色合いの布に花の飾りとリボンをあしらった可愛らしいデザインである。金の髪を結いあげ赤く輝く石のついたリボンで留めれば、その姿はまさに愛らしく可憐な少女そのもの。試着を眺めていたルシィが思わず拍手をおくってしまうほどであった。
なんとも麗しい御令嬢、み゛ぃみ゛ぃ喚くとはとうてい思えない。本人も鏡を見ながらご満悦である。
「ルシィ、次は貴女の番よ」
「え、私も着るんですか?」
「当然じゃない。まぁ平民の貴女にはドレスの試着なんて未経験だろうから緊張するのも仕方ないわね。でもこうやって試着することで自分の体に合ったドレスを仕立て身に纏うことは上流階級の女性にとっては当然のことなのよ。平民の貴女には敷居が高すぎるかもしれないけれど、だからこそこの機会に……あら、ルシィ?」
高飛車に構えるオルテンシアの話を右から左に聞き流し、ルシィがさっさと仕立屋に従って衝立の奥へと向かう。
「ルシィ、どこ行ったの? ルシィ?」
「オルテンシア様の仰せの通りに試着してます」
「みっ! ひとの話は最後まで聞きなさい!」
「はいはい」
「『はい』は一回!」
「……」
「なんで二回かゼロしかないのよ!」
オルテンシアのみぃみぃという文句を「はいはい」で返し、ルシィが試着を進め……そして着飾った己を鏡に映してホゥと小さく息をもらした。喚いていたオルテンシアも衝立からヒョコと顔を覗かせ「みっ……」と呟く。
次いで彼女から贈られる「平民の割には様になっているんじゃなくて?」という言葉は彼女なりの賛辞なのだろう。それに対してルシィが礼を返し、鏡に写る自分を見つめる。
可愛らしいオルテンシアのドレスとは対照的に、ルシィのドレスはシンプルなデザインをしている。髪色に合わせた濃い紫色の布、深めに開いた胸元は惜しむことなく鎖骨を晒し、銀の鎖が肌の上を通る様が見える。唯一の飾りである金のレースは真っ直ぐに一線を描いており、その飾り気のなさはシンプルが故に逆に目を奪う。
随分と大人びたドレスだ。デザイナーから案を見せて貰った時は自分には着られないと思っていたが、こうやって纏えば予想外に似合っており、これが自分なのかと鏡面を前に疑ってしまう。それ程なのだ。
「さすがローズドット家のデザイナーね! 感謝なさい!」
「……今回は素直に感謝します。ありがとうございます」
「なら態度を」
「態度は改めません!」
「み゛ぃいい!」
頑固者!と訴えるオルテンシアにルシィが悪戯気に笑って肩を竦める。試着の為にローズドット家から来たメイド達がこのやりとりに圧倒されつつ、それでいて今まで家名しか見てもらえなかったお嬢様にようやく友達が出来たと穏やかに顔を見合わせていた。
……のだが、さり気無く雇用契約書をちらつかせてきたりドレス以外にもローズドット家のメイドの制服を試着させようとしてきたりと、ルシィからしてみれば穏やかな表情を浮かべていても侮れない存在ではあるのだが。
そんな状況ながらドレスを着終え、鏡の前にルシィとオルテンシアが並ぶ。片や愛らしいドレスを纏い、片や大人びたドレスを纏い、対極的な装いではあるが二人とも照れ臭そうに笑って鏡面に移る自分の姿を見つめていた。
普段とは違う着飾った自分を見るのは恥かしいものだが、当日はこのドレスを纏ってクラウディオの手を取るのだ。それを考えればルシィの胸に甘い高揚感が沸く。
「パーティー、楽しみね」
そう呟かれたオルテンシアの言葉に、ルシィが鏡面に映るオルテンシアへと視線を向けた。
嬉しそうに頬を染めて鏡を見つめている。きっとコンラドにエスコートされる自分の姿を想像しているのだろう。そんなオルテンシアにルシィもまた「そうですね」と返して紫色のドレスを纏う自分を見つめた。
試着を終え、そのまま学院を出て市街地へと向かう。
リズテアナ魔法学院は全寮制ではあるが外出を禁止しているわけではなく、遊びに行くのも実家に帰るのも生徒の自由だ。それどころか申請すれば学院の馬車で送り迎えまでしてくれるのだ。
外に用事の無いルシィは今まで学院から出ることなく過ごしてきたのだが――教育機関といえど上流階級の子供達を預かる施設なのだ、外に出ずとも充分に過ごせるよう設備も娯楽も備わっている――今日初めて学院側に馬車の申請をした。
そうして用意された馬車に乗って学院を出れば、森の中を歩いていた自分が馬鹿に思えるほどあっという間に森を抜けてしまった。日が暮れる前に森を出られればと思っていたが、これは予想外だとルシィが窓の外を急速に流れていく景色を眺めて思う程である。
そうして市街地に出て向かったのは一件の花屋。
その店先に居る人物にルシィが声をかければ「いらっしゃいませ……」と花を手に振り返った彼女が言葉を途中で止めて表情を綻ばせた。
「ルシィ、よく来たわね」
嬉しそうな声に、ルシィもまた頷いて返す。
「ごめんねエレンナさん、早く来すぎちゃった」
「いいのよ、もう片付けてたところだから」
長い黒髪を一つに束ね、エレンナが手早く手元の花や包装紙を片す。その間も彼女は朗らかに笑い、国を跨いでの商売は大変だけど手応えがあると話してくれた。
先日オープンしたてで何かと大変だろうとルシィが労えば、切り終えた枝の束を抱えていたエレンナが楽しげに瞳を細める。
「軌道に乗ったらルシィに宣伝をお願いするからね。リズテアナ魔法学院で評判になれば店舗拡大も夢じゃないわ」
そうカラカラと笑うエレンナにルシィが目を丸くさせ、次いで「頑張るよ」と笑って返した。
優しくて気風が良くて姉のように慕っていたエレンナ……当時彼女に抱いた友愛はもう胸を温めはしないが「王宮をうちの花で埋め尽くしましょう」と冗談交じりに頬を撫でられればそのくすぐったさが胸に馴染む。
「さ、旦那もそろそろ戻ってくるし夕飯にしましょ。学院の食堂ほど豪華じゃないけどルシィが好きだったシチューを用意したの。……覚えてる? よく作ってくれって強請ったわね」
「外に食べに行くより、エレンナさんのシチューが食べたいって言ってたね。……思い出したよ」
ほんの少しの言葉の食い違いにエレンナが瞳を細め、そして「配膳を手伝って」と優しく手を引いて促してきた。
夕食を終え、エレンナ達に見送られながら迎えの馬車に乗り込む。
気を付けてねと何度も念を押されてルシィは苦笑を浮かべ、別れ際の抱擁には照れ臭さすら感じてしまう。だが心配しすぎとは流石に言えない。
だからこそいつまでも手を振ってくるエレンナ達に窓から身を乗り出して応え、その姿が見えなくなるとようやく椅子に深く座り直し、日が落ち暗くなった窓の外を眺めた。
「……なんだろう」
とは、そんな中でふと異変に気付いたルシィの独り言。
流れるように過ぎていく木々の中に何かが動いているような気がするのだ。だがこの馬車はリズテアナ魔法学院の馬車、いくら生徒送迎用とはいえ他の比ではない速さであり、普通の動物では追いつけないだろう。そのうえ整備されたこの道は学院長直々の魔法がかけられており、狂暴な獣はおろか無害な子兎一羽とて入り込めない。
普通の動物であれば近付けないはずだ。……だけど何かが着いてきている気がする。
だが流れ去っていく木々を凝視してもルシィの視覚では捉えることが出来ず、違和感を残したままそれでも学院内に到着し馬車を降りた。
馭者に礼を告げ、古城の校舎を見上げる。ちょうど校舎の天辺に月が差し掛かり、黒い雲がゆっくりと覆っていく。幻想的ではあるが不安を呼ぶ光景だ。
だが学院内には森の中以上に強い魔法がかけられており、獣は入り込めない。だから大丈夫……。
……そのはずなのに。
目の前にそびえ立つこの灰色の巨体はどういうことか。
「……ドラゴン」
まさか、とルシィが引きつった声をもらす。
夜闇に建つ古城とドラゴンとは、まるで物語のワンシーンのような光景ではないか。だが今のルシィにはそれに見惚れている余裕はない。
なにせドラゴン。古代の生物。体躯はルシィの身長を優に超える。それどころかルシィが手を伸ばしてようやく四つ足で立ったドラゴンの腹に手が届く程なのだ。……いや、正確に言うならば四つ足というよりは三つ足か。
クラウディオが以前に言っていた通り、目の前に降り立ったドラゴンには右前脚が無い。付け根から申し訳程度に伸びてその先が丸まっているのだ。
締め付けられたのか僅かに伸びた部位も他より細く、その先に埋め込まれているのは革のベルト……。随分と古びてひび割れているが、それでも元は可愛らしいデザインのベルトだったことが窺える。
サイズもデザインもドラゴンには不釣り合い、そもそも首輪というもの自体がドラゴンに着けるものではないのだ。猫じゃないのだから……そうルシィが考え額に汗を伝わせ、
かつて幾度となく呼んだ名を小さく口にした。




