「オルテンシア様、みぷぅみぷぅ煩い……寝息!?」
顔を赤くさせたオルテンシアとコンラドがテラスに来たのはそれからしばらく後。
どうやら話を聞きつけて駆けつけた野次馬達に質問攻めにされたらしく「酷い目にあった」とコンラドが頭を掻いた。とりわけ彼は友人達から頭や背を叩くという乱暴な祝われ方をし、オルテンシアを狙っていた者達からは湿らされと散々だったようだ。
あんまりな扱いだとコンラドが手櫛で髪を整えながら訴えるが、それが終わるやタイミングを見計らってクラウディオが「でも良かったじゃないか」と彼の頭を雑に叩いた。赤い髪が再びボサボサになる……もちろん、それを狙ってのことなのは言うまでもない。
対してオルテンシアはさすがローズドット家の令嬢だけあり取巻き達も乱暴な行動には出なかったらしく、うっとりとした表情のまま「あれこれ聞かれたわ」と満更でもなさそうである。
そんな状態から抜け出たオルテンシアとコンラドが加わり、普段通り賑やかに、それでいて時折はパートナーと嬉しそうに微笑みつつ衣装や当日の話をする。その間も絶えず上空を伝書の鳥が飛び交い、足元を猫や兎がすり抜けていった。
それもあちこちから現れて随分と忙しない。その中で鳩が二羽、クラウディオとコンラドの目の前にとまった。
彼等に驚く様子はなく、慣れた手付きでクチバシを突けば鳩がポンと軽い音をたてて便箋に変わる。それも二人が目を通すと再びポンと音をたてて消え去ってしまうのだから、これにはルシィも終始感心しながらその光景を眺めていた。
すぐさま出せて、建物も何も気にせず人を介せず届けられ、読み終わったら直ぐに消えてしまう。まさに伝達に特化した魔法だ。曰く送る文字数に制限があるらしいが、それでも便利なことに変わりはない。
だがクラウディオとコンラドからしてみれば極自然なことらしく、それどころか文面が問題だと顔を見合わせた。
「女の戦い再びだな」
「今回は観戦しないで放っておこう」
そう互いに頷きあっているあたり、例の逞しい女性に何かあったのだろう。その話を知らないのかオルテンシアが首を傾げるが、彼女の元にも背景を透かしたウサギがピョコピョコと近付き便箋に変わるや役目を終えて消えていく。
……となれば、ルシィも何か届けてほしくなってしまう。
だがあいにくとルシィの友人は少なく、『オルテンシア・ローズドット公認ファンクラブ夜の部』の仲間達もまだ浮いた話が出ていないようだ。
そうルシィが残念そうに話せば、コンラドが「そういえば」と話し出した。聞けばファンクラブの一人が今回の件でルシィに話を聞こうと伝書の鳩を出したが、送れず戻ってきてしまったのだという。それを聞いたルシィが「そんなぁ」と子供が不満を訴えるように拗ねれば、クラウディオが苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「伝達は相手の魔力を辿るんだ。だから魔力が混在している場所では遅れないことがある」
「魔力を……?」
「特にリズテアナ魔法学院はピンからキリまでの魔力が混ざり合ってるからな。何度かやりとりをしたことがあったり近くにいるならまだしも、どこにいるのか分からない相手を辿るのはほぼ不可能だ」
紅茶を飲みながら話すクラウディオに、ルシィが納得したと頷いた。
伝書の動物達は送先の魔力を嗅ぎつけて向かうらしく、時には途中で迷子になって戻ってきてしまうらしい。とりわけリズテアナ魔法学院は魔力を持った者達が集う場所であり、そのうえ学生と言うのはまだ魔力の扱いに不慣れで、中には無駄に魔力を放出している者や未成熟で不安定な魔力を持つ者もいるという。その幅が社交界より酷く、ゆえに魔力の混在が伝達を不正確にさせる。
見れば行き交う伝書の動物達の中でもピタと立ち止まり左右を見回している猫や兎、行先を見失ったと空を旋回している鳥もいる。魔力を辿って出発したは良いが、混在する中で見失ってしまったのだろう。
なるほど、とルシィが改めて頷く。便利なものとはリスクを伴うものだ。――そして「だからか」と一瞬考え、いったい何がと己の中で首を傾げた――
だがその話に納得しても猫や兎といった可愛い者達が伝言してくれる光景はなんとも微笑ましく羨ましい。そのうえ無理だと分かればなおのこと焦がれてしまい、ルシィがジッと足元をすり抜けていく兎に視線をやり……一匹の猫がヌッと現れたことで慌てて顔を上げた。
いつのまにやらテーブルの上に猫。まるで「兎なんかじゃなくてこっちを見ろ」とでも言いたげに顔を覗き込んでくる。しなやかな身体つきの美しい猫だ、だが後ろで笑うクラウディオを透かしているあたりこれもまた伝書の魔法なのだろう。……それも、クラウディオが出したものに違いない。
「クラウディオさん、これ……」
ルシィがクラウディオと猫を交互に見やれば、彼が自分が送ったと頷きながら笑う。その笑顔は格好よくそれでいてなんだか気恥ずかしく、ルシィが礼を告げると共に目の前の猫へと向き直った。
やりがいのない仕事だとでも思っているのか、フンと不満げに鼻を鳴らす猫の鼻先を突く。その瞬間ポンと軽い音と共に猫が便箋に変わった。半透明なその用紙に書かれているのは……
『きみのドレスが楽しみだ』
という簡素なメッセージで、目を通すとすぐさま消えてしまった。
まさに伝達。あっという間の出来事にルシィがクラウディオを見れば彼は照れ臭そうに笑っている。その笑顔は麗しく可愛らしく、先程の伝言と合わせてルシィの胸を暖かく灯らせる。
「気に入ったならまた送るよ。近い距離で何度かやりとりすれば、そのうち遠い場所からでも送れるようになる」
そう話す彼の言葉に、ルシィがコクンと一度頷いて返した。
可愛らしい動物が伝言してくれるのが嬉しい。……だけどそれよりも彼からの伝言が嬉しい。
だが次の瞬間ルシィが慌てて話題をパーティーに戻したのは、オルテンシアとコンラドがニマニマと笑いながら見つめてきたからだ。とりわけ、野次馬達に散々な目に合わされたコンラドはここが鬱憤を晴らす時と考えたようで、照れ臭そうに頬を染めるクラウディオに「いったいどんな文面を送ったんだ」と追及しだす。
ルシィとクラウディオがわざとらしくコホンと咳払いをして、無理矢理にドレスとスーツの仕立てに話題を変更させた。
そんな会話の中、オルテンシアがふと一角に視線をやって眉尻を下げた。
不安げなその表情にルシィが彼女の視線を追えば、学院の警備員の姿。それも五人……長閑な学院のテラスから見える光景にしては警備が厳重である。
「何かしら……」
そうオルテンシアが不安げに呟けば、クラウディオとコンラドも同じように警備員へと視線をやった。
それと同時にまた一人屈強な男が集団に加わり、交代なのか一人が去っていく。情報を交わし合う表情は真剣みを帯びており、雑談しながら歩く生徒達との差がはっきりとしている。
「何かあったんですかね?」
「ドラゴンが出たらしい」
怪訝そうに警備員を眺めつつクラウディオが口にした言葉に、ルシィが彼に向き直った。ドランゴンとは随分と大事である。
かつて存在していたと言われる生物。
火を噴き、水の流れを操り、竜巻を起こし、地割れを誘う……その威力はまるで夢物語のようで、あまりの壮大さに今では架空の生物だと存在を否定する者もいるほどだ。それほどの生物である。
だが数年前から各国各地で目撃情報があがり、日々存在の真偽について討論を繰り広げていた学者達は勿論、どこも国をあげて捜索しているらしい。その波はついにリズテアナ魔法学院にまで届き、数日前に校舎の上空を舞っている姿が見られたという……。
「目撃情報によると、灰色の体で右前脚が無いらしい。攻撃を仕掛けた国もあるらしいから、どこかで負傷したのかもしれないな」
「それは物騒ですね。ルシィ、戸締りをちゃんとしておきなさい」
「閉じまりでどうこうできる問題じゃない気がしますけど」
そうルシィが訴えれば、オルテンシアが睨み付けてくる……が睨みこそすれど小さく「みぃ」としか言い返してこないのは、きっとドラゴンが怖いからなのだろう。これにはルシィも申し訳なさが募り、廊下だけではなくリビングの明かりもつけておこうと彼女を宥めた。
その夜、ルシィは念入りに戸締りを確認し、ふと窓の外を眺めた。
リズテアナ魔法学院は深い森に囲まれており、高く建てられたこの寮の最上階の部屋でようやく森の全景が見下ろせるほどだ。聞けば森の中には学院関係者用の魔法で守られた道が用意されているらしく、そこを外れれば獣が生息している危険な森である。――その件に関してはルシィは身をもって体験している――
「だけどドラゴンじゃなくてよかった」
この学院に辿り着いた時のこと思い出しながら窓の外に広がる深い森に視線をやる。といっても暗くなった今は森としての景色ではなく真っ黒な闇が広がっているだけだ。魔法で守られた道はこの部屋からは見えず、おかげで暗闇の中は明かり一つ灯っていない。
この暗闇の中にもしかしたらドラゴンがいるかもしれない。もしも出会ったのが狼や熊ではなくドラゴンだったなら、全ての記憶を犠牲にして魔法を使っても太刀打ちできなかっただろう。それに比べたら生きてるだけで運が良かったのかもしれない、そんなことを考え、ルシィがカーテンを閉めた。
そのほんの数秒後。暗く広がった森の中から何かが飛び立ったことも気付かず……。
そうして自室へと戻ったのだが。
「……なんで私の部屋の私のベッドの私の布団の中にいるんですか」
と呆れたように尋ねたのは、もちろんルシィの部屋のルシィのベッドのルシィの布団の中にオルテンシアが居るからだ。それも首元までスッポリと布団をかぶり、今すぐにでもスヤァと眠ってしまいそうな状態である。
だがここはルシィの部屋だ。だからこそ文句を言おうとしたのだが、それよりも先に机の上に猫が一匹座っていることに気付いて出かけた言葉を飲み込んだ。
ツンと澄ました猫だ、だが後ろの壁が透けているところを見るに生物ではないことがわかる。現に鼻先を撫でればポンと便箋に変わるのだ。そしてその文面に書かれているのは……。
『怖がりで小心者な平民の貴女のために一緒に寝てあげるから感謝なさい』
というもので、それを読んだルシィが溜息をつきつつベッドへと向かえば、ベッドの四分の三を占拠し枕すらも奪ったオルテンシアが瞳を閉じてゆっくりとした寝息をたてていた。




