「どんなに条件が良かろうと召使にはなりません」
「ルシィ、貴女いったい何者なの?」
そうオルテンシアに問われ、ルシィが目を丸くさせた。
「何者って、なんのことですか?」
「貴女の身元は学院長が保証してくださったから入学の時は調べなかったけど、先日お父様が改めて遣いに調べさせたのよ。ブランシェット家は平凡で面白味が無くて、ローズドット家の私からしてみれば貧相で見ていて恥ずかしくなる家だけど平民の中ではそこそこ中流の家みたいね」
「そういうこと言う人には、コンラドさんにドレスの件を聞いた結果は教えられませんね」
「みぷぅ」
「新しい音が!」
オルテンシアから新たな音がしてルシィがガタと立ち上がる。だがオルテンシアが「みっ!」と制し、話の腰を折るなと叱咤してきた。
ルシィが渋々それに従い腰を下ろし、テーブルの上に置かれたティーカップに手を伸ばした。
校舎の一角にあるテラス、今日は天気も良く時折心地よい風が吹いて外でお茶をするにはうってつけである。次の授業枠には何も入っておらず、一枠丸々使っての三時のおやつという優雅さだ。
そんな最中に問われ、ルシィが答えようとし……クラウディオとコンラドの姿を見つけた。彼等もまたこちらに気付いたのだろう軽く手を振れば、なぜか周囲の女子生徒までもがキャァと黄色い声をあげた。そうして彼の視線の先にいるのがルシィだと知り、睨み付けてくる。ジンワリと湿って紅茶の香りが漂ったのは言うまでもない。
そんな視線を端から無視して、きっと彼等も同席するだろうとルシィが椅子をずらせばオルテンシアが見てわかるほどに慌てだした。
先日の一件を随分と気にしているようで、ここ数日彼女はコンラドを避け、昼も何かと理由をつけていつものベンチに来ることはなかった。自分の気持ちが落ち着くか、もしくはエスコートお誘いの解禁日を待つつもりだったのだろう。
「みっ、みっ、ルシィ」
「クラウディオさん達の紅茶がありませんね。私ちょっと買って……」
「……みぃ」
「嘘ですよ、そんな切ない声ださないでください。コンラドさんに確認した結果、多分伝わってますよ」
「……多分?」
「それとなく聞いてみたんですが、なぜかパンを口に突っ込まれたのでそれ以上言及できなかったんです」
そうルシィが話せばオルテンシアが首を傾げる。
だがクラウディオ達が声を掛けてきたことにより分かりやすいほどに肩を震わせて落ち着きを失った。
「やぁルシィ、ご機嫌ようオルテンシア嬢」
普段通り爽やかな笑顔とともに挨拶をし、クラウディオが席に座る。その際にさり気なく「隣いいかい?」と尋ねて了承を得るところは大人びて紳士的だが、わざとオルテンシアとコンラドを隣り合うように仕組んで座るあたりはなんとも年相応である。
おかげでオルテンシアは落ち着きなど欠片もなくなり、彼女ほどではないとはいえコンラドもまた椅子に座りこそすれど居心地悪そうに視線を泳がせている。
そんな二人に対して、クラウディオの楽しげな表情といったらない。
「俺は今とても楽しい」
と堂々と言い放つほどなのだ。いい笑顔である。事情を知らなければ爽やかな好青年そのものだ。
「クラウディオさん、楽しいって……」
「これもパーティーの醍醐味だ。なぁ二人共」
「みっ! そ、そういえば、ルシィ、さっきの話はまだ終わってなくってよ!」
誤魔化されないんだから!と声を荒らげるオルテンシアに、クラウディオとコンラドが不思議そうに視線を向けてきた。
そうして「いったい何の話だ?」と視線で尋ねてくるのは、明らかな話題そらしではあるがそれでもオルテンシアは得意気に胸を張っており、そのうえビシッとルシィを指差しているのだ。対してルシィは不思議そうな表情で頭を掻いている。この状況を疑問に思うなと言う方が無理な話だ。
「どれだけ必死に隠していようが、ローズドット家にかかれば無駄な足掻き! 貴女がブランシェット家の生まれではないことは調べがついているのよ!」
「あぁ、なんだその件ですか。あの家には名前を借りてるだけですからね」
「ブランシェット家の家長に聞いたら、ルシィにはただ名前を貸してるだけで家族ではないと言っていたわ!」
「だから今そう言ったじゃないですか」
「貴女が包み隠さずあっさり認めるからテンポがずれたのよ! もうちょっと溜めなさいよ!」
みっ!怒りを露わにするオルテンシアに、対してルシィは頭を掻きながら「溜めろと言われても」と呟いた。その間の抜けた返事に更にオルテンシアが怒りの声をあげる。
そんなやりとりを前にクラウディオとコンラドはといえば、話が理解できないと言葉を失い見目の良さが勿体ない程に唖然としていた。
「……ルシィ」
「どうしました、クラウディオさん」
「君はブランシェット家じゃないのか?」
「ブランシェット家ですよ。あの家にはちゃんと話をして名前を借りてますから」
「そうじゃなくて。生まれの……君の家族は?」
微かながら震える声で尋ねるクラウディオに、ルシィが数度瞬きを繰り返す。
そうして視線を自分を注視する三人へと順繰りに向け……
「さぁ」
と首を傾げた。
「さ、さぁって……」
「わからないんです。というか覚えてないというか、書いてないというか。あ、でも猫を飼っていたことはありますよ」
「ル、ルシィ、君はもしかして……」
クラウディオがジッとルシィを見つめる。
ルシィもまたその視線に臆するでもそらすでもなく見つめて返した。
だが待てどもクラウディオから続く言葉はなく、考えこむように険しい表情を浮かべる彼を眺め、ならばとルシィが口を開いた。
出来れば言いたくなかった。
それでも言わなければならないことだ。いずれ言おうと、パーティーの後でと考えていた。
ずるいだろうか? でもそれだけ彼とパーティーに行きたかったのだ。
「クラウディオさん、私は……」
と、だがそんなルシィの言葉に男の声が被る。
見れば着飾った男子生徒が数名こちらに近づき、クラウディオとオルテンシアに挨拶をした。……クラウディオとオルテンシアにのみ。
その分かりやすさにルシィがコンラドと顔を見合わせて肩を竦めた。この露骨さは怒る気にもならない。
「オルテンシア嬢、今日は良い天気ですね。たまには僕とお茶でもどうですか?」
「ま、まぁ光栄だわ。でも私、今こちらのテーブルで楽しんでいますので」
「それなら夕食はどうでしょう。貴女が望むなら我が家のシェフを連れてきましょう」
「食事であれば、僕の家のほうが。世界各国を旅して料理を学んだシェフがおりますよ」
それなら自分が、いや我が家の方が……と、目立った争いこそしないが男達が競い合う。
なんとかアプローチをしてエスコート権を勝ち取ろうと必死なのだ。わざとらしく誘う言葉は下心が分かりやすいほどに見えていて、それでいてスマートでもある。事情を知らぬ女性ならばウットリとしていたことだろう。
それに対してオルテンシアは微笑んだり愛想笑いと社交辞令で返し……それでも彼等が退かないと分かるや小さく「私」と呟いた。
「わ、私……心に決めた方がいますの」
「オルテンシア嬢?」
「その方にエスコートしていただけるか分かりませんが……それでも、決めてます」
俯きたどたどしく話すオルテンシアの姿は普段の高飛車な彼女からは想像できないほどに繊細で、弱々しく紡がれる『心に決めた相手』が誰かを察することは出来ない。現に男子生徒達はオルテンシアの話を聞き、意外そうに顔を見合わせている。
もっとも、同じテーブルに着くクラウディオは訳知り顔でニヤリと笑いつつ、足元で隣の椅子を――オルテンシアを見つめるコンラドが座る椅子を――揺らしていた。相変わらず楽しそうである。
ちなみにルシィはこの状況で「み゛」が出てしまわないかとはらはらしていた。
「ほ、他の方とは行きません……! それなら、部屋で……部屋でルシィとボードゲームをしています!」
「私まで行かないことになってる!」
突然のご指名にルシィが悲鳴をあげる。
その瞬間ゴッ!と音がするのは、クラウディオがコンラドが座る椅子どころか彼の脛を蹴ったからだ。
だがこのオルテンシアの宣言は効果があったようで、男達がバツが悪そうに時間がだの授業がだの言い訳をして去っていった。残されたのは元居た四人……。
「なんで私まで部屋にいるんですか!?」
「良いじゃないのよ、ルームメイトでしょ!」
「そもそもオルテンシア様、ボードゲーム弱いじゃないですか。頭良い癖に面白いくらいに策に嵌るし、負けそうになると突然謎のルール発動させるし。まぁそのルールもぶった切って私が勝ちますけどね」
「みーみー! みぷー!」
「え、接待ゲームしろって? 嫌ですよ、接待の場にまで持ち込んで完膚なきまでに逆転勝ちするのは好きですけど、接待でそのまま負けるのは絶対に嫌です」
「み゛ぃいい!」
先程の啖呵もやりとりもどこへやら、ルシィとオルテンシアが普段通りの会話を交わす。
そんな二人を眺めていたクラウディオが肩を竦め、ふと腕時計に視線を落として「うわっ!」と声を上げた。
それと同時に鐘の音がなる。小休憩終了を知らせる音だが、ルシィもオルテンシアも次の枠は授業が無いとのんびりと聞き流した。もっとも、のんびりしていられるのはルシィとオルテンシアだけだ。
「急げコンラド、次の授業が始まる!」
「げっ、もうこんな時間!?」
クラウディオとコンラドか慌ただしく立ち上がる。対していまだ着座している二人はのんびりと紅茶を飲んでいる、なんとも言えずそして学生らしい温度差だ。
そうして別れ際に、オルテンシアはコンラドに「ご期待には必ず」と告げられ、ルシィはクラウディオにポンポフと頭を叩かれつつ「それでも良いから」と優しく微笑まれ、走って去っていく二人を見送った。
「……みぃ」
とは、二人の背を見送ったオルテンシアの吐息。
頬を染め色濃い瞳を細め、まさに恋する少女といった様子である。対してルシィはクラウディオにポンポフされた頭を押さえ彼の言葉を思い出し……「そういえば」とオルテンシアに視線をやった。
「なんでローズドット家が今更私のことを調べてるんですか?」
元々そんな話をしていた。そこからブランシェット家に名前を借りて……という流れになったのだ。
「前にお父様から『オルテンシアと同じ部屋で生活し、それでいて媚びず揺るがぬ姿勢でいられるルームメイトの名前と出身と希望年収を聞いておいてくれ』って手紙が来て、よく分からないから名前だけ教えておいたの。それで調べたんじゃないかしら」
「雇われる!」
「何言ってるのよ、由緒正しきローズドット家が貴女なんて雇うわけないじゃない! そういえば住込みの可否も聞くように書いてあったわ」
「どう考えても雇用条件じゃないですか!」
まさかそんな方面から調べられるとは思ってもおらず、ルシィが「召使になんてなりませんよ!」と断固拒否した。




