「なるほど、デザートはパンのシャーベットか……」
「ルシィ、なんかシットリしてるな……」
「湿らされたうえに嫉妬の炎に晒されて、燃えるというより蒸気が出そうです」
「うん……なんか、ごめんな」
そうクラウディオに謝られ、ルシィが構いませんと首を横に振った。
それと同時に徐々に体が乾いてくるのは、ルシィをシットリと湿らせている犯人がクラウディオに恐れを抱いたからだ。どこにいるかは分からないが、彼が青い瞳でジッと校舎の一角を睨みつけているのでそこら辺なのだろう。オルテンシア同様、クラウディオにとってもたかが一生徒の魔法を辿り犯人を特定することなど造作ないことなのだ。
そうしてパタパタと慌てて駆けていく数人の背を見届け、まったくと溜息をついた。そのなんとも生徒会長らしいその態度にルシィが礼を告げて彼を宥める。
そうしてコホンとわざとらしい咳払いで場を改め、先日の返事をしようと「パーティーの」と言いかけたところを、彼のしなやかな指で唇を押さえられた。
「……クラウディオさん?」
「エスコートお誘いの解禁はまだ先だ。その日まで返事は取っておいてくれ」
「そういうものなんですか?」
「あぁ、一年生を出し抜く代わりに返事を待たなきゃいけないんだ」
そう答えるクラウディオの口調はどこかもどかしそうである。
目の前に返事をしようとしているルシィがいて、そのうえで自ら答えを先延ばしにしなくてはならないのだ。出し抜くリスクというものか。じれったいと言いたげなその表情は物語の王子様のように格好良く麗しく、それでいて歳相応の少年のような愛らしさがある。
思わずルシィが小さく笑みをこぼし、そっと服の下から本を取り出した。
「クラウディオさん、いいものを見せてあげます」
「いいもの?」
「これは返事じゃありませんよ。私は本を見せるだけです」
「本って、例のか」
「はい、大事なことだけを書く本です。あ、でも見せたことをオルテンシア様に言ったら駄目ですよ。あの人まだ狙ってますから」
クラウディオに見せたと知れば「私にだって見せなさい!」と喚くに決まっている。そうルシィが念を押せば、み゛ぃみ゛ぃ喚いて訴えるオルテンシアの姿が容易に想像できたのだろうクラウディオが笑いながら頷いた。
それを見てルシィがそっと本を手に取る。小指の第一関節程度の小ささ、常に肌見放さず身につけ、防水と軽度ながらも防壁の魔法をかけている。継続的な魔法はもちろん常に魔力を消費するのだけど……。
と、そこまで考えてルシィがふと瞳を細めた。
常に身につけて、常に守って、常に魔法を継続している。こんなことになったあの日からずっと……。
ずっと、常に……何を思い出せずにいる?
「……ルシィ?」
クラウディオに名を呼ばれ、ルシィがはたと我に返った。
「大丈夫か?」
「……あ、はい。そうだ、本を」
話の途中だったとルシィが手の中の本を捲る。
開くのは最新のページ、そこに書かれている小さな文字にルーペをかざす。
『重要! クラウディオさんとパーティーに行くこと』
「……ルシィ、これは」
「返事をしたわけじゃありませんよ。ただ私は本に書いたことを見せただけです」
そうルシィが言い張れば、クラウディオが柔らかく微笑んでポンと頭に手を置いてきた。ポンポンポフポフと普段通りに軽く叩かれ……そして最後にグイと引き寄せられる。
ルシィの頭がコツと彼の肩に当たった。
「……クラウディオさん?」
「そうだな、俺は本を見せてもらっただけだ」
そう答える彼の表情は優しく、ルシィもまた柔らかく笑んで頷くと本とルーペを服の中に戻した。
そんな二人のやりとりとほぼ同時刻、学内を歩いていたコンラドは「みっ!」という悲鳴を聞いて足を止めた。
今の声は、と周囲を伺えば数人の男子生徒の集団が目についた。その隙間からチラチラと見え隠れするのは……金の緩やかな髪。
それを見たコンラドが慌てて駆け寄ったのは、再び「み゛ぃ!」という悲鳴が聞こえてきたからだ。それも、先程より切羽詰まっているように聞こえる。
「オルテンシア嬢」
と、そう声をかければ誰もが振り返る。
さすが彼女を囲むだけあり誰もが名家出身で、その顔ぶれにコンラドは僅かに臆しかけるが、それでもと意を決してオルテンシアへと近付いた。
「なんだコンラドか」と誰かが鼻で笑う。お前ごときが邪魔をするなとでも言いたげなその口調と冷ややかな視線は今更で、怒る気にすらならない。リズテアナ魔法学院は社交界の格差をそのまま反映させた学院で、その下層にいる自分にとってはこの程度の嘲笑や日常茶飯事なのだ。
だからこそ男子生徒達には視線をやらず、オルテンシアにだけ用があると彼女を見据えた。
「オルテンシア嬢、クラウディオが呼んでいます」
「みっ……まぁ、クラウディオ様が?」
「えぇ、取り込み中のところ申し訳ありませんが、来ていただけないでしょうか?」
そうコンラドが促せば、オルテンシアが頷いて返した。
囲む男子生徒達がたじろぐのは他でもなくクラウディオの名前が出たからだ。自分の家柄の高さでコンラドを見下していた彼等が己より遥か高みにいるクラウディオの名前に恐縮しないわけがない。誰もがバツが悪そうに顔を見合わせ、そういうことなら……とオルテンシアを放つように道を譲った。
もっとも、去り際に往生際悪く「また後で」だの「考えておいてください」だのと声をかけてくるあたり根本を諦めたわけではなさそうだが。
そうして彼等が去っていくのを見送り、ひとまずは解放されたとオルテンシアが深く息を吐いた。
あれだけ名家の、それも見目も家名に劣らない男達に囲まれておいてこの態度なのだ、さすがローズドット家とコンラドが苦笑を浮かべる。
「ありがとうコンラド、あの方達しつこくって困ってたの」
「貴女をエスコートしたくて必死なんです」
「私じゃないわ、ローズドット家の令嬢よ」
ツンと澄まして言い切るオルテンシアの表情には悲観する色もなく、かといって己の境遇に対して憤る色もない。ただ当然のことだと、そんなこと分かりきっていると言いたげなのだ。
だが事実、彼等はオルテンシアを『ローズドット家の令嬢』としか見ていないのだろう。この時期になって慌てて囲っているのがその証だ。
「あの方々、きっと私がクラウディオ様にエスコートされると思っていたのよ。ところがクラウディオ様はルシィに花を贈った……だから慌てて私に声をかけてきたの」
「……正直な話、俺のまわりでももっと前から声を掛けておけば良かったと言ってる奴はいますね」
「ローズドット家の令嬢をエスコートしたとなれば箔が付くでしょ。そうじゃなきゃ、こんなみ゛ぃみ゛ぃ煩い女なんて誰も誘わないわ」
「オルテンシア嬢、でもそんなことは……自覚あったんですか!?」
「あるわよ。みんな昔から家名ばっかり!」
「いやそこじゃなくて、み゛ぃみ゛ぃのとこです!」
「あるわ!」
自覚はあるけど治らないの!と訴えるオルテンシアに、コンラドが驚いたと目を丸くさせる。
だが次いでオルテンシアが「それでクラウディオ様はどこに?」と尋ねてくるのではたと我に返り……そして頭を下げた。
「……コンラド?」
「申し訳ございません。貴女に嘘をつきました」
「嘘?」
「貴女が困っていると思って……クラウディオが呼んでいるなんて嘘なんです」
「……みぃ」
オルテンシアか不思議な音で吐息をもらす。
それに対してコンラドは頭を上げると共に小さく溜息をつき頭を掻いた。
「名前を借りるなんて、情けないですよね」
「……そんな」
「友人の名を出さないと彼等を追い払えなかった。家の事情とはいえ、俺は自分が」
「みっ!」
そんなことないわ!と「み」の音に込めてオルテンシアが訴える。――こうやって通じてしまうから治らない可能性も否めない――
その声に俯きかけていたコンラドが顔を上げれば、美しい金糸のご令嬢は顔を真っ赤にさせて「みっ、みっ」と小さく声を上げていた。
「……オルテンシア嬢?」
「わ、私、淡い色のドレスにしましたの……」
「ドレス、ですか」
なぜ今ドレスの話を?と首を傾げるも、オルテンシアは落ち着きなく胸元で握った手を動かしている。
頬どころか耳まで赤く、コンラドが心の中で「俺の髪のようだ」とボンヤリと考えた。
「花と、リボンをあしらった……柔らかなラインのドレスに……それに、髪を結い上げて、リボンで結んで……」
「そうですか、それはとても……」
素敵ですねと言いかけてコンラドが言葉を飲み込む。
花とリボンをあしらった淡い色合いのドレス、それに結い上げた髪をリボンで……とは、素敵どころか自分の好みそのものなのだ。
見事なほどにピンポイント、まさに……
まさに、ルシィに話した通り……。
「……オ、オルテンシア嬢?」
「コンラド、私……私……」
意を決したかのようにオルテンシアがコンラドを見つめる。
金の髪が風を受けて揺れるがそれを押さえる余裕もないのか、オルテンシアが顔を赤くさせ、それでも強い意志を瞳に宿してスゥと息を吸い……
「わ、私、貴方に! み゛ぃぃい!」
と叫んで走り去っていった。
「み゛ぃぃい!」
「なるほど、それで『貴方になら誘われてあげないこともなくってよ!』って言ったわけなんですね」
「み゛っ! みぃいいい!」
「それもその喋り方で」
泣きながら話すオルテンシアにルシィが頷いて返す。
クラウディオと別れて自室でまったりしていたところ、オルテンシアが帰ってくるなり部屋に飛び込んできてこの有り様である。
何を聞いても泣きながら「み゛ぃぃい!」としか言わず、ならばその「み゛ぃぃい!」から事態を聞き取り、そして大泣きの理由を理解したのだ。
「確かに伝わってても高飛車ですけど、そもそもコンラドさんに伝わったかどうかが」
「……み゛ぃ……み゛っ、み゛ぃ……」
「分かりましたよ、さり気なく聞いておいてあげます」
だから落ち着いて、と宥めると、ルシィの部屋のルシィのベッドのルシィの布団にくるまってルシィの枕をボフボフと叩いていたオルテンシアがグスンと端を啜り、「……お願いね」と今回だけは人語で小さく呟いた。
場所は変わって男子寮、ルシィ達同様に最上階に設けられた一室。
「オ、オルテンシア嬢が、まさか、お、おれ、俺のことを……?」
と譫言のように繰り返すのはコンラド。部屋に戻ってきて夕飯の準備に取り掛かったわけなのだが、頭の中は先程の一件でいっぱいである。
そんな彼に対しルームメイトのクラウディオはといえば、
「俺はそのパンをパンで挟んで細切れにしたパンで飾ったものを副食に、パンの上に焼いたパンを乗せたものを食べるのか……」
とルームメイトの奇行を眺め、しばらく放っておこうと食堂へと向かった。




