「昼の部も開催しろと……!?」
話は数時間前に遡る。
「夕飯に付き合ってほしいんだ」
とコンラドがルシィを食事に誘うのを、廊下の曲がり角から眺める一組の男女がいた。
「まさか、ルシィとコンラドが……?」
と驚きを隠せずにいるのはクラウディオ。青く美しい瞳も今は驚愕の色を隠しきれず、目の前で友人と後輩が会話しているのを真剣な表情で見つめている。
そんな彼の下、縦に並ぶように曲がり角から顔を覗かせるのは「み゛ぃ……」と不安げな声をあげるオルテンシア。眉尻が下がり、ふるふると震えている。
互いに別の場所へと行こうとしていたところ偶然出くわし、そしてルシィとコンラドが話しているのを見つけ声を掛けようとし……先の発言に慌てて立ち止まって身を隠したのだ。
「夕飯……あの二人が、俺達抜きで」
そう呟きつつクラウディオが考えを巡らせる。
いや、考えなど巡らせるまでもない。わざわざ声をかけ、周囲に気付かれないようにと――それも「特にクラウディとオルテンシア嬢には」と念を押すように――告げてまで食事に誘うのだ。そこに特別な感情があるのは明白……。
だがそれが分かっても認めたくないという感情が沸き、クラウディオが乱雑に頭を掻いた。仮にコンラドが誘っているのが他の女子生徒であれば、覗き見して後で冷やかしてやろうと悪戯心が沸いただろう。だがどうしてか今はそんな気にならず、悪戯心等という表現では済まされない程に胸の内がざわつくのだ。
ちなみにそんなクラウディオの下ではオルテンシアが「み゛!……みぃ」と声をあげていた。ルシィのこの行動に対して「み゛っ!」と怒りを訴え、もしかしてコンラドは……と彼を想って「みぃ」と切なさに吐息をもらす。いかに「み」の単音といえどそこに込められている想いは深い。
とにかく、そんな二人はルシィとコンラドが分かれてもなおしばらくは彼等の居た場所を眺め、そうしてどちらともなく曲がり角からゆっくりと姿を現した。「きゃぁ、クラウディオ会長よ」「オルテンシア様、今日も麗しい」という声が聞こえてくるが、今の二人はそれどころではない。
何かを決意したかのような表情で顔を見合わせた。はたから見れば麗しい金糸の男女、見つめ合う様はまるで絵画のようで、そのうえ、
「オルテンシア嬢、今夜俺に時間をくれないか? 二人で散歩をしよう」
「光栄ですわ」
と微笑みあって約束を交わすのだ。これにはクラウディオを恋い慕う女子生徒も嫉妬すら抱けないとそそくさと尻尾を巻いて逃げていった。
そうして時刻は過ぎて周囲も暗くなってしばらく。
誰もいないはずの校舎を手元と足元の灯りだけで歩くルシィとコンラド……の背後で隠れつつ後を追うクラウディオとオルテンシアの姿があった。
適度な距離を保ち足音と声を魔法を使って彼等に聞こえないようにし、念のため気配も消してある。言わずもがな、手元の灯りも彼等には届かないように細工済みだ。
そんな徹底した状態で前を歩く二人の後を追う。ちなみに自室の廊下の電気を消すことも嫌がるオルテンシアも今はそれどころではないようで、暗い廊下にも怯えの色一つ見せず進んでいる。乙女心とはそういうものなのだ。
「くっ……なぜ俺はこんな夜の校舎で昔の話を暴露されているんだ……コンラド、俺に何の恨みが!」
「あらまぁ、クラウディオ様ってば。一人部屋は寂しかったのですか?」
「いや、別に寂しいというわけではなく、やはり一生徒として寮に住むのが当然で……」
と、そんな会話を交わしつつ廊下を歩く。
そうして前を行くルシィとコンラドが一室へと入っていくのを確認し、クラウディオとオルテンシアが顔を見合わせた。
極普通の教室だ。この時間だけあり明かりも落とされ、シンと静まって人の気配も無い……ように取り繕われている。
「なんだこれ、防壁のつもりか?」
「これなら布一枚扉にかけたほうが役に立ちそうですわね」
そう呆れを隠しきれずに誰もいないはずの教室を眺める。
リズテアナ魔法学院一の魔力を持つクラウディオと彼に匹敵するオルテンシアに掛かれば、この程度の防壁などあって無いようなものなのだ。明かりは漏れているし人の声も聞こえてくる、中に何人いるかおおよそだが把握もできるほどである。――ちなみに中から数人の声と賑やかな談笑が聞こえ、これが深夜の逢瀬では無かったと知って二人がほっと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない――
だが防壁の不出来さは分かっても中で何をしているのかまでは分からない。だからこそクラウディオとオルテンシアは互いの意思を確認するかのように顔を見合わせ、扉に手をかけると、
「お前達、こんな時間に何をしてる!」
「現行犯逮捕でしてよ!」
と勢いよく扉を開け……
「クラウディオ、なんでここに!」
「オルテンシア様!?」
と目を丸くさせるルシィとコンラドをはじめとする数名の生徒、そしてなにより彼等が囲む机の上に多種の料理が並んでいるのを見て、いったいどういうことかと首を傾げた。
「つまり、たまにこういう一般階級の料理が食べたくなるってことか」
「食堂の料理は美味しいし満足してるんだが、たまにな」
「み゛っ! み゛ぃー!」
「え、味に深みがない? そりゃそうですよ、この口の中に入れた瞬間に浅いところで濃く弾ける粗暴さが良いんです」
「それでこうやって定期的に集まって飲み食いしてたんだな。しかし、初めて見る料理ばかりだな……」
「俺達は家柄も低いし下手すりゃ一般階級と同じ暮らしだったから、結構こういうの食べて育ったんだ。だからかな、時々どうしても食べたくなるんだ」
「み゛!? み゛ぃいい!」
「え、異物混入? まさか流石にそれは……トマトじゃないですか。というかなんでオルテンシア様さっきから食べてるんですか?」
と、そんな会話を四人が交わす。
もちろん机の上にはリズテアナ学院の食堂では決して扱われない食べ物が並んでいる。
安いパンに薄い肉の切れ端が詰め込まれたものや、濃く味付けされた惣菜が挟まったもの。濃いだけのソースで味付けされ火で焼いただけに近い肉と、そのソースが絡まっているだけの添え物とさえもいえない野菜。どれも大量に作り売り捌くことを優先されているため形が崩れたり切り方がバラバラだったりとお世辞にも見た目が良いとは言い難い。もちろん、中身も同様である。
安い食パンにベーコンとチーズで囲いをつくり玉子を落として焼いただけの物に至っては、その大雑把すぎる料理の仕方にクラウディオもオルテンシアも唖然とし、そして食べ方が分からずナイフとフォークはどこだと探しだすほどだ。そうして手掴みでパンを持って丸かじりする周囲に唖然としていた。――もっとも、クラウディオもオルテンシアも一口齧った瞬間に衝撃を受けたかのような表情を浮かべ、話を中断してもくもくと食べていたのでどうやら気に入ったようだが――
とにかく、そんな未知の料理を前にクラウディオが――ひとしきり食べてみた後に――溜息をついた。次いで他の生徒へと視線を向ければ、誰もが居心地悪そうに顔を俯かせる。
「別に何を食べのるも個人の自由だ。学院側にもそこまで制限する権利は無い。ただ夜の校舎に忍び込むのは……」
言いかけ、クラウディオが口を噤んだ。
本来であれば咎めるべきだが、それが分かっていてもその先の言葉が出ないのだ。自然と眉間に皺が寄ってしまう。
そんなクラウディオの様子を察してか教室中にシンと静まった妙な空気が漂い、ルシィがならばとこの場を代表してクラウディオに声をかけた。
「なら、どこで食べろって言うんですか?」
「……ルシィ、容赦なく痛い所を突いてくるな」
「そういう性分です」
「あぁ、君はそうだったな。……うん、そうだな」
溜息をつくように肩を落とし、クラウディオが呟く。
実際、ならばどこでと問われても的確な答えなど出してやれないのだ。この場に集っている生徒達は皆リズテアナ学院のヒエラルキーでは下層に属している生徒と言え、日頃から肩身の狭い思いをしているはずだ。そのうえ一般階級の食事を懐かしんでいると知られたら今以上の扱いを受けるのは間違いないだろう。
だからこそ隠れていたのだ。誰にも見つからないように、少ない魔力ながら防壁をして。
生徒会長として、そして国を治める王族として、この格差を無視して彼等の行いだけを咎めるなど愚行としか言いようがない。
「まぁ、校舎に忍び込んだのはお互いさまってことで今回は見逃そう。ただ次からは適当な理由をつけてでも正式に届けを出して教室を使うように」
「クラウディオさん、正式な届けなんて出せませんよ」
「なんだったら俺の名前を使ってもいいから。あんまり権威を使うのは好きじゃないんだが、俺が認めたとなれば学院側も二言返事で受理するだろ」
「……公式クラウディオ・バレクを崇め奉る会」
「ルシィ、やめなさい」
「クラウディオ・バレク公認ファンクラブ夜の部、の方が良いですか?」
「ルシィ、無理に俺を関連付けなくて良いから。というか関連付けないでくれ」
そうポンポフしながら諭してくるクラウディオに、ルシィが心地よいと瞳を閉じ、
「オルテンシア・ローズドット公認ファンクラブ夜の部」
と別案を出した。
標的から外れたとクラウディオが安堵し、コンラドが彼の寛大さに感謝の言葉を告げる。先程まで俯いていた生徒達も自分達の行動が咎められなかったと強張っていた表情を緩め、そしてオルテンシアはファンクラブの発足に満更ではないと言いたげに頷いていた。




