第四話 手に入れた日常 4
入学式。
それは新たな生活の始まり。
特に高校のそれは小中学校とは少々違ってくる。
いまや高校へ進学することは当たり前のようになって入るものの、それでも自らが選び、試験と言う名の選別を乗り越え勝ち取った道。
そこに集う生徒達は新しい環境に思いをめぐらせる。
そのせいか壇上に立つ校長の祝辞をまともに聞いているものは少ない。
その少数派の中でも特に熱心に耳を傾けているものがいた。
『相澤唯人』。
他の生徒達にとってはもうすでに二~三回ほど経験したであろうこの式典も彼にとって入学式とは初めて経験するものであり、こうした祝辞も聞いたのは初めてだったのだ。
彼らの知るところではないが、校長の話す祝辞はありきたりで毎年ほぼ同じでありたいした中身はない。
唯人も校長が本心でそんなことを言っているわけではないということは『観て』『聴いて』わかっているが、彼が普通の生活をするために資料で見たことが実際に起きている事を確認しているのだ。
『普通の生活』と言うものをしたことがない唯人にとって、いきなり高校に入学すると言うのは少々難易度が高い話であった。
当たり前だが、『高校生活の送り方』について解説している本などない。
正確に言えばあるにはあるが、それは、唯人の求めるものとは異なっており、例えるなら、将棋の駒の動かし方も知らないのに囲いの方法を解説された、といったところだ。
そこに書いてあるとおりに駒を動かすことは簡単だが、その意味が理解できなかったり崩されたときの応用などがまったくできないでは意味がない。
そういったことは小学校あたりでいつの間にか身につくものだが、唯人は小学校にすら行っていないので当然普通の振る舞いなどできるはずもなく、かといってさすがに小学校に通うわけにもいかない。
苦肉の策としていわゆる学園ドラマで学習する、と言う方法を取ったのだがこれがなかなかにわかりやすい。
もちろんとんでもない行動を取ったりする描写もあるが、そういったある意味『メイン』の部分は完全にスルーし、何本も違うドラマを見ることで差異を比べ、大まかな流れを理解するに至った。
そのため唯人は、普段行っている『勉強』を一時中止しこの資料を見るという『勉強』に入学前の一月のほとんどを費やしこの日を迎えたのだった。
(なかなかドラマっていうのも侮れないな。人生何が役に立つかわからないもんだ)
自分が一月の間に学習した成果を確認しつつ誤差を修正、不慮の事態への対応などを想定しながら人生初の入学式を終え、割り当てられた教室へと移動する。
唯人の席は窓際の一番前だった。
唯人としては後ろから他の生徒の様子を確認したかったのだがそうもいかなくなったようだ。
とはいっても意識を集中すればクラス全体がどういった様子かは見ずとも概ね理解できるので問題ない、そう判断し他の生徒の様子を探る。
中学が同じなのか親しそうに話す者、初対面で相手を探りあうように話す者、手元のしおりを読んでいる者、あるいは読んでいる振りをしつつ周囲を観察する者等々。
唯人も
(これは隣の生徒とでも適当に話すべきか?)
などと考えたところで教員が教室に入ってきた。
ロングヘアーを肩ほどの所で束ね、やや緊張した面持ちだが、やさしげで母性に溢れたといった感じの顔に銀のフレームのメガネをかけた女性だ。
年は二十代後半程か。新任ではないだろうがこの高校の中では若い教員といって差し支えないだろう。
恐らく――と言うかほぼ間違いなく――担任の教師であろうが、彼女が入ってきても生徒達は僅かに静まっただけで、すぐに騒がしさが戻る。
原因は彼女にある。といっても彼女に非があるわけではなく、舐められているわけでもない。
舐められてはいないが生徒達の――主に男子の――視線は彼女を嘗め回すように見ている。
唯人が意識を集中する後方から
「デカ過ぎだろ…」
「めっちゃデケェ!」
「…ふぅ」
等々。
彼女の身体的特徴を賛辞?する声が上がる。
当然だが『デカイ』とは身長の事ではない。
胸が!乳が!!おっぱいがッ!!!
デカイのである。
実際そこまで規格外に大きいわけではないが、他のパーツが細身なため際立って大きく見えるのだ。
ちなみにお尻もデカイ。
そんな女性が――入学式があったためか普段からそうなのかは不明だが――スーツ姿になることで更に身体のメリハリがはっきりと浮かび上がっている。
その光景は思春期真っ只中の生徒たちには少々刺激が強かったようで、男子は悩殺され、女子は羨望と嫉妬の視線を送っている。
彼女は騒がしい教室内を静めようとしているがうまくいっていないようだ。
唯人はというと相変わらず後方の喧騒に注意を払っており彼女の魅惑的な肉体に目もくれない。
彼女を含むこの高校の教師に関しては事前に調査しており一通りの情報は揃っているため、確認することは情報の差異の確認程度で改めて注目する必要はないと判断していた。
しかしクラスメイトの騒ぎっぷりを目の当たりにし、
(これも他の生徒のように騒いだほうがいいのだろうか・・・)
などと真剣に考え始めていた。
その時、
「先生が話しているのだからもう少し静かにしたらどうかしら?」
と言う声が響いた。
すると教室は水を打ったように静まり返る。
その声の出所は教室の入り口の最後列。つまり唯人の席の対角に位置する場所であったのにもかかわらず、最も離れた位置にいる唯人にまではっきりと届いていた。
(確か彼女は…)
唯人が事前に確認していたクラスメイトのリストから声の主を思い出すと同時に、
「ありがとう。湧澄さん」(湧澄玲奈だったか…)
一時的に静まったこの機を逃さず教師が礼を述べ、話を始める。
「みんなもごめんなさいね、先生がしっかりしてないせいで早速迷惑かけちゃったみたい。」
「私は一年B組の担任教師になりました『月守灯』です。担任を務めるのは皆さんが初めてになりますが精一杯勤めていきたいと思うので皆さんよろしくお願いしますね。」
自己紹介を終えた担任教師(以降月守先生)に控えめながら生徒達も『よろしくお願いします』と続ける。
一部の男子は『皆さんが初めて』のフレーズに過剰反応し再び騒ぎ出す一歩手前だ。
騒ぎが大きくなる前に月守先生は次の案件に移る。
「それでは次に皆さんの自己紹介をお願いしますね」
(…きたか。)
唯人は悟られないように深呼吸する。
自己紹介は資料でははっきり描かれることが少ないうえ、描かれていてもまったく違うやり方であった。
決まっていることは当たり前だが自分の名前を言うことぐらいでその後は自由である。
その自由こそ唯人にとって今まで縁がなかったものであり、更に言えば自分の存在とは紹介するものでなく隠すものだった唯人にとって自己紹介は最初の壁と言えた。
とりあえず前に倣っておけば問題ないのだが、例えば『~中学から来ました』などという流れになると非常に困ることになる。
それを想定して数十通りのパターンを考えてはいたが想定外のこととは往々にして起きるものだ。
「――――君」
そのパターンを思い返しながら前例となってくれるであろう最初の自己紹介を待つ。
「――澤君」
なかなか自己紹介が始まらない。
「えぇ~っと…相澤君?」
(最初は相澤って奴か。…ん?)
「相澤…唯人君…で合ってるのよね?」
「!!」
唯人の前に立った月守先生が不安そうな顔で覗き込む。
どうやら早速とんでもない失態をやらかしてしまったようだ。
「…唯人です。」
初日の、しかも自己紹介というスタートラインに立つか立たないかという時点でこの有様。
あまりの前途多難さにさすがの唯人も陰鬱な気分になってくる。
「あっ、ご、ごめんなさい。名前を間違えるなんて教師失格ね…」
唯人が暗い顔をして答えたので月守先生は慌てた様子で謝罪してくる。
「いえ、そんなことありませんよ」
(名前を間違えて教師失格なら呼ばれて気付かないのは本人失格だよな…。)
「俺も緊張してたみたいで気付くのが遅れました。申し訳ありません」
(まさか俺が最初だとは…想定していないことはなかったがこんな悪目立ちすることになるとはとんだ失態だ…)
「いえ、気にしないで。それじゃあ自己紹介お願いね」
月守先生が改めて自己紹介を促してくる。
(ミスしたなら挽回すればいいだけのこと。どうせごちゃごちゃ考えたって事態は好転しないな)
「はい。と言ってももう俺の名前は全員わかっちゃっていると思いますけどね」
そう言って先生に笑いかけるとクラスメイト達のほうを向き直り『改めて』自己紹介を始めるのだった。
長くなったので分割しました。
教師が生徒の名前を間違えると言うのは毎年一回はある恒例行事だと思うのですが、どうでしょう?
今は(変に)凝った名前が多くて先生も覚えるのが大変そうですね。