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1.



 春の霞かかった空は、沈みゆく夕日の茜に色づいていた。

 これから、黄昏から薄明へと移り変わる世界。やがて、宵闇に支配されていくのだろう。

 千花ちかは目を細める。この景色を見るのも、これが最期だろう。 

 彼女がいるのは、歩道橋の真ん中。風が吹き、千花の肩ほどまでの髪が靡く。共に、彼女の手中にある携帯電話のストラップが揺れた。

 その歩道橋は、千花ととおるが同棲するマンションのすぐ傍。透、というのは、千花の恋人である。

 先刻さっきまで、千花は透と電話をしていた。歩道橋に向かいながら。そして待ち合わせを、した。すれ違いにならないよう、呼び出したのは歩道橋が設置される理由となった公園。そこに、呼んだ。毎春、二人で桜を見に行った、思い出の詰まったそこに――。

「もう、咲いてるかなぁ……」

 想いを残さぬよう、千花は公園を背にしていた。桜を一目でも見てしまえば、覚悟が鈍りそうだったのだ。

 歩道橋の下には、二車線道路。でも今の時間、交通量は少ない。歩道にも、人はいなかった。マンションから公園までの道のりは一つ。その道を、ただぼんやりと千花は見下ろす。

 そうして、透を見つけた。千花は二階ほどの高さの歩道橋の上、透は地上。ゆえに、彼は人形のように小さく見える。

 いつもなら、姿を見つけた瞬間、彼のもとまで駆ける。けれど、今日の千花はそこから離れず、上から手を振った。

「透くーん」

 気づいた彼は、歩を止めた。まだ、二人の距離は少しだけ遠い。声が届いているのは救いだった。

 千花は言葉を継ぐ。

「そこで、待ってて」

 今まで出したことのないような、大きな声。叫んだことなど、あっただろうか。これが、最初で最後かもしれない。

「そこで、待ってて」

 もう一度、小さく独りごつ

 ――そう、待っていて。

 千花は歩道橋の欄干から身を乗り出す。すると、透が声を張り上げた。

「千花! なにやってんだっ。危ないから、大人しくそこで待ってろ!」

 恋人の焦燥した声に、彼女はふふ、と笑い、反駁する。

「待ってるのは、透くんだよ。今、行くから。そこで待ってて」

 ――今、彼はどんな顔をしているだろう。

 想像し、羨望にも似た色を浮かべて微笑む。「声みたいに、焦ってくれてたら、いいなぁ」と呟いて。

 そうして欄干によじ登り、そこに立った。今まで見た中で、一番きれいな空だと思う。地上よりも強い風を身体全体で感じれば、まるで空を飛んでいるような、そんな気持ち。

「――っ、千花!? なにして――」

 透の声が、する。大好きで愛おしい人の声。千花の世界で、唯一彼女を支配できる、声。

「愛してる」

 千花は透を見下ろし、凄艶に笑んで――飛び降りた。




***   ***   ***




 ――真っ暗。

 光などなく、闇の世界で痛みだけを感じる。ズキン、ズキンと脈打つ苦痛は、朦朧とする意識によって鈍くしか感じない。それよりも、なにか――命が流れるような感覚がした。その命が気力なのか血液なのか、千花には判じることができない。けれど、どちらにしても尽きれば千花は死ぬだろう。

 冷たい地面から、近づく足早な靴音が耳に響く。

「千花――――!!」

 焦りと動揺、そして悲痛のこもった声の刹那、ふいに車道の中心で横たわっていた千花の身体は抱き起こされた。

「千花、千花、待ってろ。今、救急車を呼ぶからなっ」

 ――彼が、呼んでいる。慌てている。

 千花が目をうっすらと開けば、泣きそうに歪んだ透の顔が目の前にあった。

 ――不思議。

(痛いのは、貴方じゃないのにね)

 怪我をしたのは、千花。しかし、辛そうなのは透。――不思議。

「千花、千花、千花……待ってろ、すぐ助けが来るから。絶対、俺がなんとかするから――っ」

 瞬間。失明するかと思うほどの光に二人は包まれる。神々しい、白い光。しかし熱は感じない。太陽のあたたかい光とは異なる、どこかやわらかな光だった。

 眩しさに千花は目を瞑り、意識を手放した。




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