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後編

 何の変哲も無い住宅街。

 平均的な収入のサラリーマンがローンを組んで購入したマイホームが立ち並ぶ中に、特に目立つこともなく首領の家はあった。

 佐藤昭雄、夢路という表札が掲げられている二階建ての家がそうだ。

 首領が帰宅すると、まだ家に明かりが灯っていた。

「お帰りなさい」

「あぁ、ただいま」

 玄関を開けると妻の夢路が出迎えた。

 息子達は既に巣立っており、いまでは二人暮しに戻っている。そのことに一抹の寂しさを覚えなくも無いが、遠くに住んでいるわけでもないし、休みの日には行き来もある。我侭は言えない。そもそも同居を断ったのはこちらなのだから。

 いったん自室に向かって部屋着に着替えると、リビングに向かう。夢路もそこにいた。

「どうしたんだい? いつもはもう寝ている時間だろう」

「久しぶりに昭雄さんと飲もう思ったのですが……」

 見ると、ソファの前にあるテーブルには晩酌の用意がされていた。

「またの機会にしますね」

 顔色を見れば首領が飲んできたのは明らかだ。

 しかし、そう言って片付けようとした夢路を制した。

「いや。片付けなくていい。飲もう、夢路さん」

「いいんですか? 明日に残ると大変なのでは……」

「大丈夫だよ。私が強いのは知っているだろう? それより、私も夢路さんと飲みたいんだ」

「そうですか」

 パッと花が咲いたように夢路が笑う。その輝きは歳を経た今でも変わりはない。首領に与える効果も。

鼻歌を歌いながらグラスを並べる夢路の背中を見ながら、自然と肩から力が抜けていくのを首領は感じていた。

「肴はあるのかい?」

「冷蔵庫にあるもので何か作ろうかと」

「今日は私が作ろうかな」

「昭雄さんが、ですか?」

 キョトン、と。少し驚いた顔で夢路が振り返った。

「あぁ。別に驚くことじゃないだろう? 結婚した頃もしばらくは私が作っていたんだし」

 いまでこそ台所で腕を振るうのは夢路だが、新婚当時は逆だったのだ。それ程夢路の腕は壊滅的だった。首領としては別に構わなかったのだが、夢路にとっては不満だったらしい。子供が生まれたのを機に一念発起して、近所でも厳しくて有名な料理教室に通い始め、そこでの血の滲むような努力の結果、いまのレベルに達したのだ。それでも時々焦がすのだが、まぁそれも愛嬌のうちだろう。

「そうですが……」

「いいじゃないか。偶には私に任せて、ゆっくりしてくれ」

「……わかりました」

 少し考えるそぶりを見せた後、夢路はゆっくりと頷いた。

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね」

 夢路は微笑むとソファに腰を下ろした。

 それを見届けると首領は隣の部屋にある台所へと向かった。


「待たせたね」

「良い匂いがこちらまで届いてきていましたよ。何を作ったんですか?」

「適当な炒め物だよ。さ、飲もうか」

 手に持った皿をテーブルに置くと、首領も夢路の隣に腰掛けた。差し出されたグラスを受け取りながら礼を言うと、どういたしましてと返ってきた。

 互いに酌をして、互いのグラスを軽く合わせる。

 チン、と小気味の良い音がした。

 先ずは軽く呷る。『桂』で飲んだ酒も美味かったが、二人で飲む酒もまた、違う意味で美味い。無論、酒そのものの質の良さもあるのだが。

「今日、路子が遊びに来ましたよ。幸ちゃんも一緒に」

「おぉ、そうだったのか」

 それからしばらくは夢路の話を聴く時間だった。それに首領が相槌を打ち、時間が過ぎていく。

 リビングには、暖かな空気が流れていた。

「ねぇねぇ昭雄ちゃん」

「ん?」

 夢路はすっかり出来上がっていた。首領のことを昔の呼び方で呼んでいるのがその証拠だ。夢路は酔うと、年上の幼馴染だった頃の口調に戻ることを首領は知っていた。

「あのね」

 首領が返事をするとニコニコと、上機嫌に笑いながら言葉をつむぐ。

「何か悩んでいるの?」

 傾けていた酒で一瞬咽そうになったのを何とか堪えた。全く予想外の言葉だった。何故そんな言葉が出てきたのか。心当たりは一つしかない。

将軍(あいつ)か」

 基地で漏らした言葉を気にしたに違いない。

「悩み事があるならドーンッと言ってね。深刻なことでも人に話せば案外簡単に解決するんだから」

「わかっているよ。別に、悩んでいるわけじゃ……いや、やっぱり悩んでいるのか」

 今日あったことを思い出す。

 報告書を見て、時代の流れを改めて感じた。引退したヒーローの、幸せな顔を見た。

「最近、考えるんだ。体力が落ちた。頭の回転も遅くなった。自分の考えも段々古く見られるようになってきている。そして、自分は若い世代の考えが理解できない。こんな自分が大勢の命を左右するトップにいてもいいのか、ってね」

 定年がある職業なら、思い悩むことも無かっただろう。若い世代に後を任せ勇退すればいい。でも、この職業には定年なんてない。本人に意思がある限りいつまでも続けていいのだ。

 それにヒーローの引退はあっても、悪の首領が引退なんて聞いたことも無い。

「それに恥ずかしい話だが、死ぬのが怖くなってきたんだ。いままで怖くなかったということでもないんだが。何というか、老いを感じて、組織が危機に瀕してくると、死を身近に感じるようになってね。それで改めて周りを見渡してみると、大切なものが沢山あることに気がついたんだ。それで、それと別れるのが寂しいな、と思えば思うほど死ぬのが嫌になってくるんだ」

 首領が話している間、夢路は静かに聴いていた。そして、首領が話し終えた後もしばらくは何かを考え込むようにして黙っていたが、やがて考えが纏まったのだろう。ゆっくりと口を開いた。

「なら、辞めたらいいんじゃない?」

「なっ……!」

 あっさり言われたその言葉に絶句した。

 ダーク・フロンティアは元々首領、将軍、夢路の幼馴染三人で四十年前に立ち上げたものだ。夢路自身、子育てに専念するために引退するまでは女幹部、鮮血皇女キャンメリーを名乗り獅子奮迅の働きを見せた女傑だった。だから首領という地位の重さを知っているはずなのに。

 首領は裏切られたような面持ちで夢路を見ていた。だが、夢路は動じない。

「だって、限界を感じているんでしょ? 今の話では。なら無理をする必要も無いと思うわ。昭雄ちゃんが死ぬと私は勿論悲しいし、皆も悲しいもの」

 正論なのかもしれないが、どうにも納得できなかった。

「しかし私が辞めたら組織はどうなる? うちの組織も他と同じくワンマン体制だ。私が辞めると組織が成立たない。そうなると今も組織のために働いてくれている者達はどうなる? 組織のために殉じた者達の遺志は?」

「どうでもいいじゃない。そんなこと」

 何故そんなことを気にするのかと、本気でわからない様子だった。

「確かに、ここまで組織を率いてきたんですもの。色々なしがらみもあるし、私たちで作って、ここまで大きくした組織を無くしてしまうのを惜しいと思うのも解るわ。でも、いいじゃない。そんなの全て捨てちゃって、皆で楽しく暮らしましょうよ」

 夢路の言葉は止まらない。

「昭雄ちゃんのことだから、どうせ『首領が引退なんて聞いたことが無い』なんて思っているんでしょ? それなら幹部が子育てに専念するために引退する、なんて言うのもそれまで聞いた事が無かったわ。でも、昭雄ちゃんはそれをしたじゃない。わたしは引退して、普通のお母さんになれたじゃない。だったら、首領が引退して普通のおじいちゃんになったっていいじゃないの。文句を言う人がいたらわたしがやっつけてあげるわ」

 甘美な言葉だった。

 首領を辞める。

 そんな未来を想像してみた。組織を解体し、首領じゃなくただの佐藤昭雄になった自分が、同じくただの梶原恒道となった将軍とお互いの孫を連れて七五三を祝いに神社へ参拝するのだ。もうヒーローの影に怯えることは無い。孫の成長を楽しく見守りながら、梶原家の縁側でのんびりと、茶でも飲みながら将棋を指して余生を過ごすのだ。

 考えるだけで幸せだった。夢路の提案はこの上なく惹かれる、素敵なものだ。

「うん、いい考えだ」

 首領は笑って頷いた。

「しかし私はそれを選ぶことはできない」

 だが、続いた言葉にはきっぱりと否定の意思が込められていた。

「どうして?」

「うん」

 首領はリビングの隅にある箪笥に目をやった。その上には幾つもの写真が飾ってあった。自分で撮った物もあれば他の誰かが撮った物もある。それら全てが大切な思い出が詰まった品だ。

「普通の老人になった自分を想像してみたよ。幸せだった。とても。心の底から」

 穏やかに首領は笑っていた。

「でも、駄目なんだ」

 昔のことを思い出すようになっていたのに、何故わからなかったんだろう。

「私は骨の髄までこの世界の住人なんだ。大の大人が子供の遊びの延長みたいに、世界征服がどうのと言って本気でぶつかり合うこの世界の。ここから離れたら私は私で無くなってしまう。そして、そのことに私は耐えられない。命が続く限り、私はここに居たいんだ」

 こんな簡単なことにも気付けなかったなんて。全く。歳はとりたくないものだ。おかしくて笑いがこみ上げてくる。そう思う首領の心は最近では覚えが無いぐらいに軽くなっていた。

「夢路さん、ありがとう。お陰で迷いが晴れたよ」

「やっぱり駄目だったわね」

 夢路は小さく息を吐き、苦笑していた。

「やっぱりって、初めから私がこう答えることが解っていたのかい?」

「えぇ」

 当然という面持ちで頷く。

「私が幹部を辞める時も同じようなことがあって、さっきと同じ様なやりとりをしましたから」

 そう言えばそんなこともあった気がする。すっかり忘れていた。

「でも、それが無くてもわかりましたよ」

 だって、あなたの妻なんですから。

 そう言って微笑む夢路はまるで少女のようだった。

「やっぱり君には勝てないなぁ」

 完敗だった。

 その日の二人は結局明け方近くまで酒を酌み交わし、首領は珍しく迎えが来るまで寝過ごしてしまった。

「恒道」

「なんだ?」

 前で車を運転する恒道に声をかけた。

「ありがとう」

「なんのことだかさっぱりだな?」

 惚けているつもりなのだろうが、お互い長い付き合いだ。そんなことは直ぐにわかる。というより、そもそも隠す気が無いのだろうが。

「昨日のことだ。夢路に連絡したのはお前だろう?」

「……まぁな。俺も結構心配してたんだぜ」

 ここは基地ではないし、聞き耳を立てる者もいない。

 だから旧来の友人として二人は話していた。

「あぁ。すまなかった。でももう大丈夫だ。俺はもう迷わんよ」

「どうだかねぇ。お前ってやつは意志が強そうに見えるけど、結構打たれ弱いところがあるからなぁ」

「そんなことはないぞ」

「じゃあ今回の件は?」

 むッと言葉に詰まる昭雄。

 バックミラー越しに見た恒道は肩を揺らして笑った。

「で、結局どうするんだ? 辞めるのか?」

 お前の決断を支持する、と恒道は言った。

「いや、俺は続ける。生涯現役のつもりだ。生きてる限り、百になっても続けるぞ。呆けてきたら、ん、ちょっと考えるかも知れんが。お前はどうする? 辞めるなら別に構わんぞ。わざわざ俺に付き合う必要も無い。桜ちゃんもお前が死ぬと悲しむぞ」

「おいおい、ここまで来てそれはねぇだろう。俺も降りるつもりはないぜ。どうせ遅かれ早かれいつかは死ぬんだ。なら好きにさせてもらうさ。それに俺は死ぬ時は畳の上で曾孫玄孫に囲まれ大往生って決めてるんだ。お前より長生きしてやるから安心しな」

 ニヤリと太い笑みを浮かべる恒道を見て嘆息する昭雄。

「気にするだけ無駄だったな」

「でもまぁ気に掛けてくれて嬉しかったぜ。んじゃ、これからもよろしくな。首領」

「あぁ。よろしく、将軍」

 車が組織所有の山へと入って行く。

 もうすぐ基地に到着だ。

 咳払いをし、声を整える。

 闇の帝王ブラック・ヘルは鬼神ハデス将軍の運転する車の後部座席で気合を入れた。

 さぁ、今日はどんな報告が上がってくるのだろうか。何でもかんでもドンと来い!



 ダンボールの山を背景に大勢の人が整列している。愛すべきダーク・フロンティアの構成員たちだ。

 いま、各地の支部でも同じような光景が広がっているのだろう。そんなことを考えながら首領はいつものように口を開いた。

「諸君! 偉大なるダーク・フロンティアの諸君! 今日もまた世界征服に向けて、大いに活動しようじゃないかッ」

 号令の下に今日も悪の組織ダーク・フロンティアは動き始めるのだった。



元は5年ほど前に書いた話でした。

この世界観は気に入っているので、いつかこの世界観でもう一度話を書きたいな、と思っています。

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