女王様に一口
聖騎士ライネスは固まった。
久々に王都のギルドで口座をみると残高が0だったのだ。
金融制度は法と秩序を第一とするエルフ族が管理しているため、不正は考えられない。
……犯人はあいつだ!
ライネスは王宮に向かい駆けだした。
***
「ふざけるな」
傭兵キールはいきなり切りつけてきたライネスを睨み付けた。
「ふざけているのはどちらだ。キール。もう一度聞くが私の貯金をどうした?」
ライネスもまた、キールを強く睨み返した。
そのまま暫くお互いに睨み合ったが、根負けしたのはキールの方だった。
ぶっきらぼうに吐き捨てるようにして答える。
「買い物をした」
「ほう?」
ライネスは、いかにも楽しげに笑った。
だが、表情は笑えどもその目は周囲の人間を固まらせるに足るほど冷え冷えとしていた。
緊急事態発生、総員退避せよ! と、遠くで誰かが叫んでいる。
「私はあれで布地を買おうと思っていたのだがな。バラスのゼル村で織られたものだ」
これにはキールも目を見開いた。
思わずまじまじとライネスを見やり、その真剣な表情に怪訝そうな顔をした。
「何に使うんだ? お前が布を買う? お前は針子ではなく剣士だと俺は思っていたのだが」
もはや笑みすら引いた険しい表情でライネスは答えた。
「そう、ただの喧嘩屋のお前と違って国王陛下に忠誠を誓った聖剣士であるこの私が、だ。
いいか、あの布はな、一枚一枚、顧客が柄を考えるんだ。
その買い手にふさわしいかを試す試験もある。私は、1年間を試練への準備に費やした。
彼らは布に縫った柄で彼らの言葉『糸語』を表す。
顧客はまず言葉を覚え、ゼルダ村の村長と針長との前で、さすがに羊を育てろとは言われないが、少なくとも自分で紡ぎ染めた糸を使い織った布で糸語を操って、布が必要な理由を語るんだ。そして彼らを納得させられたものだけが、彼らの織った布を手に入れられる」
ライネスは喋っているうちに、新たな怒りがわき上がるのを感じた。
ようやく試練を乗り越え、布の購入のために貯金をいざおろそうとしたら中身が空だったのだ。
この国ではギルドに預けた個人資産を手元に戻すには、個人の決めた『暗号』と『番号』と『本人の第二の名前』を必要とする。そして、ライネス以外でそれらを知っているのは、今、目の前にいる男だけだった。
「さて、『元』花婿殿。私がウェディングドレス用に貯めていた金をどうした?」
真っ青になったキールは目を泳がせていたが、暫くして観念した表情でつぶやく。
「軍艦」
凍てつくような沈黙が降りた。
「……は?」
自棄になったキールが叫ぶ。
「だから、軍艦を買ったんだ!」
額に青筋を立てたライネスは再び彼に切りかかった。
「……貴様!」
第一王女とその婚約者の喧嘩は凄まじいの一言に尽きた。
結婚式用にせっかく整えた王宮が破壊される様に侍従長は卒倒した。
柱の影から、それを見ていたメイドは、隣の柱に隠れている国王陛下に尋ねた。
「あれは国家予算から出す予定ではありませんでしたか?」
「それが、ここのところ平和だろう? あまり軍事費用がかさむと大臣に怒られるから、結婚資金から少し寄付してくれと、この前頼んだんだ」
呆れ顔のメイドが目の前の犬も食べたがらない喧嘩を眺めつつ呟く。
「お二人がいらっしゃれば、軍艦なんて無くても大丈夫な気がしますが」
その時、きぃんっと言う澄んだ音が響いた。
見れば、キールの剣が飛ばされ、彼の喉元にライネスの剣が突きつけられている。
諸悪の根源が国王であると王女が知るのは時間の問題であった。
国王は、そっと、政務室に逃げた。
そしてメイドもまた『次の国王は誰だ!』というメイド連盟主催の賭けの項目に、「史上初の女王! ライネス女王陛下!」を加えるために去っていった。