赤いくつ?~ミヤコ・マリの除霊事件記~
けたたましくサイレンが鳴り響く。振り返ると、歩道の傍を救急車が通り過ぎて行った。
何処かで事故があったか、病人を迎えに行くのだろう。早く着けばいい、避けていく車の群れ、自分と同じ様に振り返る人々、こんな光景は、もはやよくある風景だ。
警視庁WEBサイトによると、交通事故件数の総数は減少傾向にあるが、自転車関連事故は7万件前後と横ばいで推移しており、全交通事故に占める自転車関連事故の構成比や自転車対歩行者の事故の発生件数は、増加傾向にある。
そして近年では右肩下がりだった日本全体での犯罪認知件数は2022年から増加傾向にあり、地域や犯罪の種類によって異なる変動が見られるが上昇傾向にあり、中で最も大きい割合を占めるのは「窃盗犯」である。
「ここ、何処……」
白のブラウス、黒のスラックス、手には赤いポーチを持ち、頭の上を団子でひと括りにした、女性の姿があった。
並ぶ店の前を覚束ない足取りで、歩道を歩いて行く。汗がじっとりと胸に浮き出ていった。人が何人か通りすぎ、誰もその様子には気づかない。
交差点に出て信号が変わると、女性は横断歩道を渡り、そのまま進むと、地下道に降りて行った。歩みを止めず、ポーチからカード入れを取り出し、改札を通ると、右へ、左へ……地下鉄に乗ってしまった。
しまいには、立ち止まる。見上げて眺めた看板には、こう書かれていた。
『心霊・除霊・浄霊専門』『ミヤコ・マリ』
駅からは5分ほどで着くビルの3階に事務所がある様だ。女性は動かず、時間が数十分経った。
「何やってるんですか、マ理さん」
横から声をかけられて振り向いた。頭2つくらいは飛び出ていた青年が立っていた。細く華奢だが骨がありそうで威圧を感じた。
「マ……理?」
ぼんやりと青年を見つめ、そして再びビルを見上げる。難しい顔をして眩しそうにしかめた。「分からない……」と苦しい声を出す。
「え?」
様子がおかしいと察知した青年は、女性の顔を伺うと「中へ入りましょう」と言って先を促した。
階段を上り屋内に入ると、そこは先ほど女性が眺めていた部屋で、事務所らしい机やソファ、観葉植物、上質な佇まいがあった。
「座って。珈琲でも入れてきますから」
「あ、ありがとう……」
「僕の事が分かりますかね?」
女性は間を置いた。そして首を振る。
「黒田聖時です。あなたは都マ理」
それを言って台所に消えた。「クロダセイジ……ミヤコマリ……」と反芻すると、落ち着いてきて、辺りを見回す。何処か懐かしい気がするが、モヤがかかったままスッキリとはしていない様だった。
やがてどうぞ、と言って淹れたての珈琲の香りが漂うカップを渡した。青年、聖時に「ありがとう」と微笑んで受け取ったマ理は、冷ましながらも考え込む。
「一体どうゆう事なんですかねえ」
聖時も考えながら溜息をついた。自分も淹れた珈琲を飲んで向かいに座り、テーブルに置く。腕を組んで、マ理を凝視した。
「言われましても……けど、ここまで自力で来たわ。地下鉄に乗って。それまでは……何処で、何してたんだろう」
持っていたポーチをチラと見た。交通系ICカード、スマートフォン、手帳、財布、化粧小物などが入っている。あるのを見ただけで確認はしていないが。きっと身分は見れば判明するだろう、自分は都マ理で、手帳やスマフォを開けば自分が何をしようとしていたかなども分かりそうである。
「じゃなくて、マ理さん。何で記憶が失われてるんですか、って事です。どっかで頭ぶつけたんですか? 今朝から、依頼があって出掛けたはずです」
厳しい表情の聖時を見て萎縮したマ理は、申し訳なさそうに涙を浮かべた。「だって……」
途端に顔を見上げて聖時はもう一度溜息をつくと、
「どうしようもありません。病院へ行きましょう」
冷静に、マ理を連れて最寄りの医院へタクシーで向かった。
帰りにコンビニに寄って、2分の1日分の野菜が摂れるあんかけ焼きそばと、あじほぐし弁当、からあげチャンと、カスタードモンブランを2個買った。
事務所に着いて少し遅めの昼食をとりながら、医者に言われた事に2人ともが難儀を示す。解離性障害、一過性全健忘などといった記憶障害がある。多くは数時間で回復し後遺症も残らないが、原因ははっきりしておらず、ストレスや過労が関与する可能性も指摘される。MRIやCT検査でも異常が見つからない事が多く、再発のリスクもあり、繰り返す場合は専門医を受診する方がいい。
出掛けた先でマ理に何が起きたのかが不明だが、外傷は無かったので、よほどショッキングな事があったとか、心因的な原因が疑われる。
「あの、聖時くん」
「何ですか」
「さっきから、肩に何かついてるよ」
マ理は美味しそうにカスタードモンブランを食べながら、向かいの聖時に尋ねた。「何処って」「肩に」
指をさして示すと、聖時は自分の肩を見た。
「何も無いですけど」
すると、「それ」は動いて、人間の「手」だと分かった。「あ!」
にゅーっと伸びて現れてきた「それ」と背後から、人の形をしたものが出現した。「お化けだよ、聖時くん!」何故そんな事が口から出てしまったのか、本人にも理解できていない。
「そうかいそうかい」
聖時は慌てる事なく、胸元のポケットから取り出した小さな紙をビシッ! っと「それ」に貼り付けた。
「ちゃんと、『見える』んですね。それは良かった……か?」
「体が覚えてるみたいね。悪霊じゃない、それも分かる。もし悪霊だったら、聖時くんには祓えない。それも分かる」
「なるほど。無くなったのは記憶の一部分だけで、生活で必要な事は問題なさそうだ。トイレとか食事とか、仕事は」
そこで行き詰まり、唸った。「仕事は、出来ますかね?」と、頭を掻く。
「さあ……私って、霊媒師?」
看板に書いてあった『心霊・除霊・浄霊専門』により、要するにお祓い専門? と首を傾げる。
「やり方は様々ですが……原因を突きとめ、お化けの方々には、速やかにご成仏して頂く様に御手配する事です」
棘のある言い方に聞こえたが、気にしなかった。
「紙ですぐ消えたよね。お札ってやつね。私も持ってるんだっけ」「ええ」「忘れてるなぁ。体が覚えてるのかな……咄嗟に、出てくるのかな」「かもしれません」「ならいいけど、怖いなぁ~」
突然、はは! と聖時が笑い出した。驚いて「何だよー」と返すマ理。
「怖いなんて笑わすなよ。あなたは最強ではないですか。自分でだってそう言ってるし、紙だって本当は要らないでしょうが」
「そうなの……」
「ズレてますねあなたは」
混乱した。私はおかしな人間なのかなと、泣きそうにもなってきていた。
私はお化けが見える人間で、この人が言う事なら最強の霊力? を持っていて、きっとそれで憑りついてるお化けなんかをお祓いするお仕事で、だから、私は……。
固定電話が鳴り出した。『スリラー』が流れる。
「はい。心霊専門、ミヤコ・マリです」
電話を取ったのは聖時だった。相手は女性である。
『岬といいます。息子が……』
焦りもあるのか挨拶もせずに用件を伝えてきた。「息子さんですか。どうしました?」
『うちの息子が……5歳になったばかりなんですが、変なんです。助けてください』
主婦らしき人物の切実な訴えだった様で「どんな風に、なんですか」聖時は真剣に、耳元の声に集中して聞き入れようと会話を淡々と続けていった。岬と名乗った相手は必死に説明を聞いてもらおうとしている。しばらくの時間が経っていった。
『赤いものに、異常なんです』
「赤いものに?」
『赤いものに、異常に執着するんです」「こだわりが?」「ええ……」
子どもだし、よくある事ではないのかと考え込んで、横目でマ理を見た。
『トマトが嫌いでよく残すんですが、ある時から食べるようになってしまって。すごいんですよ!』
「良かったですね」
『ご飯そっちのけで食べちゃうんです。足りないとケチャップを探して持ってきて、すするんです。興奮してしまってもお~』
「うーん」
『それに、外出すると郵便のポストがあるでしょ。抱きついて離さない、とか言うんです。人間ならまだ分かりますけど、相手はポストですよ!? 展望も未来もありません」
ポストとの未来って何だろうと思った。結こ、ん……どうでもよかった。人間なら分かるというが、離さないと言っているのが仮に大人で、いきなり赤の他人に抱きついていたら痴漢で赤っ恥であるが……子どもなら赤セーフだろうか、しばらく考えてしまった。
『突然夕日に向かって駆け出すし』
「はは。若い、青春ですね」
『まだ5歳ですってば』
「じゃあ、おませさんてやつですかね」
『キティちゃんのリボンも赤いのじゃなきゃダメだって』
「ご当地キティってのがありますね。僕、京都八つ橋で持ってます」
『それより男の子ですってば! ある日突然キティちゃん』
聞いている側はこれでも真面目だった。だがどうも心霊臭くないので、対策をどうしようかと方向を巡らせていると、岬と名乗るその女性から首を傾げたくなるような言葉がついに飛び出した。
『私、遠縁の親戚に赤い派手なヒールの靴をもらったんですけど……それだけは、異常に怖がるんですよね。何故なんでしょう?』
聞いた聖時は「すぐにそちらへ伺います」と言って、住所を聞くとゆっくり電話を切り、目でマ理に知らせた。
『チャーシューボウル』――依頼主の住むマンション名だった、201号室らしい。
タクシーの運転手に名前の由来は存じますかと尋ねてみると、「さあ、管理者にでも聞いてみないと確かではないですがねえ。ベルウッド、なんていう名前が『鈴木』からくるものだったとかって聞いた事ありません?」と、のんびり答えていた。チャーシューボウル、焼き豚丼。残念だが、運転手の回答では正解に当てはまりそうではなかった。
赤いものに執着していた5歳の子どもが、母親の赤い靴にだけはお気に召さずに嫌っている。この時にはまだ、心霊現象だと決め込んではいなかった。あくまでも可能性のひとつ。子どもなんて気分で好みや行動が変わるものだと思ってやまなかった、だがそれは、訪問した家先にと近づいていくと一変する。
「この辺りは……知ってますか、マ理さん」
「何を?」
「ニュースで。強盗殺人事件があった場所ですよ。住所を聞いて何か引っかかってたんですが」
視線を聖時から窓の外に移したマ理は「どんな?」と尋ねた。
事件は数週間前になるが、記憶にも残る新しい事件が聖時の脳裏に呼び起こされていた。残虐な押し入り強盗殺人事件――全国版ニュースにも2日ほどに渡り報道され続けていた、想像したくない事件だった。
被害者は住居人の若い女性で、玄関で血だらけになって倒れていたのを訪ねて来た同僚が発見したらしい。抵抗した痕もあり周囲の壁には血がかかり、凄まじい現場だったという。
「関係するとは思いたくないですが」
「そこはマンション?」
「そうですが……報道で名前までは」
向かう、マ理達を乗せたタクシーは教えられた住所へと到着した。2人は201号室へと向かい、入っていく。
静かに佇んでいたマンション、間取りは2LDK、2人が玄関で靴を脱ぎ、どうぞと通されたのは、リビングだった。食卓があり洋風黄色チェック柄の座布団が敷かれ、所々に玩具が転がっていた。奥のソファの背後にある白いレースカーテンが揺れていて、差す太陽光線をある程度に遮断してくれている。ベランダには家庭菜園をしているらしく、ミニトマトが成っている鉢が見えていた。
特段変わった事はないマンション住まい。聖時は振り向き、出迎えてくれた女性を見て早速と用件を並べていった。
「息子さんというのは、どちらに? お会いできますか」
「あ、今、昼寝をしておりまして。呼んできます」
「ああ、結構です起こさなくて。見にいきます」「じゃあこちらです、どうぞ……」
仕切っているのが聖時で、つられてマ理は奥の部屋へと進んで行った。すぐ、6畳ほどの部屋だった。中央に小さな布団の上で子どもがひとり『才』の字で寝ている、と思ったら、赤い剣を下に敷いて寝ていた。子どもは腕を伸ばして仰向けに足を揃えて寝ていた。
「赤い玩具が多いんですね……」
「最近赤いものばかりを買ってしまって。その剣も、『ハヤクナントカスルンジャー』の太陽レッドが持ってるやつです。何処かを押すと光りますよ」
「そうだ。例の赤い靴、見せて頂けませんか」
マ理に言われて、女性は玄関の方へと取りに向かいながら遠くなっていった。その隙にマ理は子どもを見下ろして確認した。
「どうですか。分かりますか?」
「……霊の影響ね。見たらわかる」
マ理は記憶を失いながらも『確信』した様だ。まるで何かに取り憑かれた様に口から自然に言葉が出てくる。はー、と溜息をついて腰に手を当て、外の方を見た。
「適当に済ましますか。悪霊オーラはそんなには出ていないんでしょう?」
落ち着いているマ理を見越してか、空気を察し、聖時が聞いた。マ理にははっきりと『見える』らしい……数値で表すと、10オーラ程度である。
「お待たせしました。この箱です」
女性が素早く持ってきたそれだったが、「あ、そこに置いといてください。まず降霊しますんで」と2人から指示された。
「は!? ――こうれい!?」
女性は素っ頓狂な声を上げていたが無理もなく、聖時は内心、面倒臭そうに言った。
「赤、赤、赤。このまま放っておくと、壁さえ赤くしようとか言い出しかねません。その前に、お子さんに憑いている霊とお話させて頂きますから。では準備を」
聖時は優位に立った様に、女性にテキパキと指示をし始めていた。「では、って。ああやはり子どもは何かに取り憑かれて? でも私、素人ですよ!? 準備って何のですか!」そう熱り立ち、いきなりの展開にとても冷静ではいられなくなった。しかし2人には聞いてかいないのか、作業の事ばかり考えている。
「こちらで適当にやりますから、この札を持って隅でジッとしていてください」
それで聖時が女性にと渡した白い折り畳み封筒の『札』だが、『スーパーおふだ』と墨で書かれている。どこが基準で何がスーパーなのかがさっぱりと解らなかった。恐らく単に幽霊除けだろう、売っているメーカー名だったなんてオチはないと思われる。
降霊の準備とはいっても部屋の中央、子どもが寝ている横に手頃なローテーブルを持ってきてもらって座布団を周囲に置き、電気を消してカーテンを隙間なく閉め切ったら、だいたいは終わりである。
「あっといけない、ローソクないですか。あー、いいや面倒臭い。携帯のでいいでしょう」
勝手に話を進めていきながら聖時は、ペンライトを点けて手探りで自分の鞄から携帯用と言っていたローソクを取り出していた。それはお誕生日用のローソクで、だが棒状ではなく、『4』や『5』と型作られている物だった。これの先端に焼き焦げた跡があるが、ここに火を点けるのだろう、既に誰かが祝われた後らしかった。おめでとう、そして適当である。
テーブル上に立てたローソクに火を点けて灯りを確保した2人は座ったまま、女性へと向いた。
「それでは、もし退屈でしたら座禅でも組んで待っていてください。待っている時間が勿体ない」
ミヤコ・マリ流の親切で相手を気遣っている様だったが、女性はかなり何か聞きた気だった。ぐっと何もかも全てをまるで丸のみをするかのように飲み込んで、堪えている。「お、お願いします……」
「では先生、お願いします」
聖時は恭しくマ理に後を投げかける。自分がするのはここまでと視線でそう告げた。受け取ったマ理は唾を飲みこんで、知らないわよもう、と緊張を抑え込む。
「さあ、君は誰かな?」
降霊の始まり始まり、だった。
ミヤコ・マリ心霊相談所――簡単・お手軽・悩まないくじけない、相談無料、と聞こえはいいが、適当だった。もう一度言おう何度でも言おう、適当だった。『早い・安い』も売りだった。
それを思い出してきているのか、マ理は調子を取り戻してきていた。
「(カノコ)」
マ理に呼ばれて、即座に反応があった。しかと声を耳に入れたマ理が改めて見ると、寝ている子どもの目は閉じたまま口だけが動いていた。
「カノコ? 君の名前かな?」
ニヤと笑いながら、足を胡坐に組みかえて背筋を伸ばした。数秒の間を置いて、口は動いていた。
「(隣のマンションの住人です……)」
か細い声は、油断すると聞き逃してしまいそうである。
「(包丁でブシューッと刺されて即死したみたいで、しかも現金3万を財布から持って行かれて)」
「ああ、知ってるよ、あの強盗殺人事件。あれは酷かったですね。壁に染みが残っていましてね、報道でチラ~ッと見えたんですが……中々消えないだろうな。しかしよく知ってますね、子どもに取り憑いて存じましたか。それより、非常に悔やまれた事でしたでしょう……全くもって気の毒としか。ところで、僕らに何かできる事はありますか?」
一気に横から捲し立てる聖時に、カノコと名乗った恐らく幽霊は、しばらく黙っていた。
やがて子どもの目がぱかっと開いたかと思うと、体を起こし、目の前に居るマ理の目をぼんやりと見つめていた。そして切々と、訴えかけるように目に力を込めて言った。
「(酷いわ……)」
目の両端に涙を溜めていた。
「(悔しい……たった3万ぽっちのためにあんな知らない奴に殺されたんだと思うと、死んでもとても死にきれない)」
握りしめた手が震え、顔中が悪意と憎悪に満ちたものに変貌していた。それは子どもではなかった。
その時にユ、ラ、リ、と、ローソクの火が揺れ、炎は靡き、ボッ、と、一瞬だけ、大きくなっていた。
マ理はひとつ咳払いをして……凝視した。
「仮に、あなたがその犯人の男に何してくれようが全然構いません。けど、子どもさん達には関係ないでしょう、何で取り憑いているんです? まさか子どもの体を使って何か企んでいるの? それではあなたもその野郎と同じく『犯罪者』になってしまいます」
優しい目で見つめた。
「(だって!)」
言葉に、幽霊カノコは大声を出していた。
「(私が悲鳴を上げても壁を叩いても。ちっとも……誰も気がついてくれなかったんだもの……)」
話す内にトーンが下がっていくカノコの声は、萎んで静かになっていった。
あの日に起きた事。
あの日、ひとりで留守番をしていた子ども、真太は、リビングでテレビゲームをしていた。テレビ画面に集中しゲームに熱くなっていた。同時刻、確かにカノコは襲いかかる犯人から逃げようと壁を叩いたし助けも大声で呼んでいた。だが音は届くはずもなく、残念で仕方がなかった。誰も、気がついてはくれなかった。
「(辛くて、辛くて……公園に行ったら、この子が居て。ホットドッグの移動販売車が来てて、美味しそうに、口の周りをケチャップで汚しながら、私、ついて行っちゃった」)
涙が流れた。
「美味しそうだった?」
マ理は微笑んだ。コクリと、カノコは頷いた。
「(でも食べられない……)」
そうね、とマ理は目を閉じた。
「これの出番でしょうか」
黙って聞いていた聖時が問いかけた。手に持って差し出したのは『スーパーおふだ』である。封筒から取り出してマ理に見せた。
「ああ、そうか。なるほど……」
マ理は受け取り、書く物がないかと辺りを見回した。どうぞ、と聖時が手持ちのボールペンを渡す。
『スーパーおふだ』なる紙をひっくり返し、サラサラと『ホットドッグ』と書いた。そして子ども、カノコの額に貼る。
「(ああ……)」
カノコには光が見えた様だ。泣きながら、天井を見つめ、気持ちの良さそうな顔をする。
「(いい匂いがする……あたたかい、パンを焼いた香り……)」
それに導かれて、子どもの体から分離したカノコは立ち上がり、浮いて、天井を突き抜けて行ってしまった。
抜け殻となった子どもは、そのまま倒れて寝てしまった。
「行っちゃったね……」
マ理と聖時、ずっと大人しくしていた子どもの母親は、誰もしばらく動けなかった。
ミヤコ・マリ心霊相談所――簡単・お手軽・悩まないくじけない、相談無料だが、適当だった。『早い・安い』も売りである。
ひと仕事を終えてマ理が何処かでご飯食べようと言い出し、2人は近くのファミレスに寄った。
『THE職人ビーフシチューハンバーグ~ホイル包み~』と『唐揚げてりタル丼』を注文し、それが来るとマ理は歓声を上げた。「うほうっ」
「いただきます」
「唐揚げ好きだねえ、聖時くん。君は何なんだ」
「まだ思い出せないのですか」
「それがねえ、喉元につかえて中々出てこないっていうの? まどろっこしいってばー。本当に、何処で記憶を置いてきたんだろ」
マ理はハンバーグのひと切れを、聖時は唐揚げの1つを口にした。
「でもさっき、うまくできましたね難なく。普段はもっと容赦なく、何も使わずに気合だけで済ましてますが」
げ、とマ理は「そ、そうなの?」とたじろいだ。
「適当に同情して、適当に念じて、それでも体から離れない様なら強制執行、って流れでした」
「厳しいのね私……って、いいの? そんな適当で」
「トラブルになった事は今までありません。道具もオリジナルで自作でした。それっぽくしないと信じてもらえないからとか、道具にお金かけて勿体ないけど経費で上げたいからとか、広まると依頼が増えるからSNSは一切やらないでとか、とにかく自由奔放だなあと感心します」
自分の事とは思えなかったマ理だが、ハンバーグとともに飲み込んだ。そういえば、聖時の他に社員はいないのだろうかと思い出そうとした。
ホイルに包まれたハンバーグ……それを見ながらマ理は、嫌な予感がした。それを的中させるかの様に、マ理のスマフォが鳴る。『夜空のムコウ』だった。
「はい。もしもし、ミヤコ・マリ心霊相談所でございます」
受けながら、水をひと口飲んだ。
『あのう……岬です』
遠慮がちに相手は名乗った、除霊した子どもの母親だ。何だろうと顔を曇らせる。
「どうかしましたか」
『先ほど、除霊してもらってありがとうございました。ですが……』
「何か?」
『起きて、様子見ていたのですが何も変わりなく、そこは安心したというか、いいんですけど……』
ためらう母親の言葉に、マ理も返事にためらった。
『置きっぱなしにしていた赤い靴には怯えてしまって……そこも変わらなくて。除霊はしたんですよね? 一体どういう事なんでしょうか』
夜の9時を過ぎ、マ理と聖時はマンションの201号室に引き返した。
母親に加えて父親が帰宅しており、どういう事ですかと詰め寄られる。マ理は両親に応えず「子どもさんは何処ですか」と聞いた。
子どもはリビングで赤い剣をいじり遊んでいた。誰、と可愛らしい顔でマ理を見ている。
「そっか……見落とした」
悪霊オーラが、1しかなかった。「ほんのちょっとしかないから、見逃したよ。私ときたら」
カノコのオーラは10で、大きかった。それ故に隠されてしまっていたのだろうと、マ理はしゃがみ、子どもの肩に手を置いた。
「な、何を……」
「シッ、静かに見ててください」
指を立て聖時は両親を制した。これから起きる事には誰も何もするなと圧をかける。
「話を聞くよ少年、君は、交通事故で死んだみたいだね。赤が嫌いなのに、何で赤が好きな子に取り憑いちゃっているのかな。おかしいでしょ」
口元を歪めながらマ理は聞いた。交通事故死――マ理の目には少年で、そんな風に見えたのだろうか――と聞いて、場の者は胸の中がざわついた。
無言だったが、やがて「(……おかしくない)」と子どもの口が開いた。
「(俺は……バイトからの帰り、交差点を渡ろうと自転車を走らせていたら、横からバーンと……直進してきた)」
「車が?」
「(ああ。信号無視だったと思う。スピードは出てたろ、行けると思ったんじゃないか)」
「そうだね。黄色でも停まらない車をよく見るよ。不良運転者が多くて困る。事故が多いと依頼も増える……なーんて」
「(俺はそれからの事が分からなくて……死んだのかな、って分かった時に、賑やかな場所に出た。公園だった)」
マ理は頷く、公園と聞いて接点ができた。恐らく今居るマンションの近くの公園で、カノコの話によれば、移動販売車が来ていて、場は人で盛り上がっていたはずだ。
「(そういや飯食ってないなーとか、いや俺もう何も飲み食いできないだろとか、物を触れんのとか、色々試してみたくもなって。見かけた子どもについてみた)」
想像してみる。ホットドッグを美味しそうに頬張る子どもが目の前にいて、取り憑くさまを。
「それは面白い実験だ。それで、何か発見がありました?」
「(俺、事故った時に唯一覚えている事がある。足だ)」
「足?」
「(そうだ。倒れていたら、誰かが駆け寄ってきた。顔は逆光で見えなかったけど、そいつの足が赤かったんだ)」
「足が……赤い?」
「(そうだ)」
「どういう事だろう。赤い靴だったって事?」
「(かもしれない。とにかくそれが印象に残ってて……全てが一瞬の事の様に思えて……怖いんだ)」
話が途切れた。そういう事なのか、とマ理は唸った。赤と靴、これがセットになった時に、少年は恐怖する。赤や靴だけでは発動しないのだ。
「君の血がかかってたのかもしれないね」
マ理は微笑みながら、質の悪いジョークで言った。そして「では、行くべき所へ行こうか」と言った。
「(てめえ何者なんだい)」
「心霊のプロ。代々受け継がれていてね、そしてどうやら最強みたい」
「(はあそうですか。これからも頑張ってください、未来ある方々へ……)」
マ理は少年を子どもから引っぺがし、遠くへ投げた。え、幽霊触れるじゃん、と両親は凍りついた。オーラ1程度ですから、と聖時は取り繕った。
夜は10時までで閉店である。余裕で間に合わないとマ理は悲しんだ。
「デザートに宇治抹茶と苺の和風パフェ食べるって決めていたのに! 私とした事がこんな凡ミスを……! 痛恨の痛み!」
帰りのタクシーの中でマ理は酒を呑んだ訳でもないのに酔った様に吠えていた。
「痛恨の痛みって日本語が崩壊してませんか。頭痛が痛いみたいな。僕は教師じゃないので分かりませんが」
「突っ込んでくれてありがとう。聖たんは優しいねー、君とは何処で出会ったんだろう、キュン」
「気持ち悪いんでやめてください。今日の事をまとめますと」
「うん?」
「まず子どもに、2体の霊が取り憑いていた」
「うん」
「それについては解決しました。やり方はどうあれね。赤が好きなのはただの子どもの好みで、赤い靴を怖がる事だけはもう無いでしょう。ご両親についても、まあ、現場を全て御覧にはなって聞いてはいましたから、すぐにご納得頂けてよかったです。後日にまた請求しますが、おおよその値段を聞いてビックリされていましたね。そんなに安くて済むのかと」
「だねー」
「使用したのは紙が数枚と使い回しのローソクくらいで100円にもなりません。言ってて悲しくなってきましたが、おおまかに以上。詳細は、帰って報告書に書きます」
「ありがと~。コンビニ寄っていい? アイス食べたいな」
「いいですが終電に僕が間に合わなくなりますね。先に駅に行ってから降ろしてください。それからは好きにコンビニでも何処へでも」
今夜は星が見えない、月も見えなかった。明日は見れるだろうか、マ理は窓から空を見ていた。
翌日のニュースで、殺人事件の犯人である男が署の捜査本部に別の強盗致傷などの容疑で再逮捕された事が知らされた。
交通事故の事も調べると、被害者の少年の素性も明らかになった。加害者の運転手は逮捕されている。
2体の霊は本当に成仏できたのかは分からない。マ理は、祓うのが仕事なのと言い切った。それ以降は知らないと言い張っている。
ミヤコ・マリ心霊相談所――簡単・お手軽・悩まないくじけない、相談無料だが、適当だった。『早い・安い』も売りである。
殺人や事故死などの事件が後を絶たず、1日に何件も連絡の来る事がある。しかし妙なのは、マ理が来た依頼は絶対に断らない事だった。
「それが仕事だからね。『プロ』としての」
そう言ってしまうマ理で、密かに笑う聖時である。とても地味で割に合わなくてもいい、生きがいだから……何でだっけ、忘れた。
メロンクリームソーダに口をつけて、注文したワッフルが来るのを楽しみに待っている。
マ理が見つけたレトロなカフェで、聖時と窓際のテーブル席につき、これから行くであろう依頼者について打ち合わせをするつもりだった。
「できるだけ道具を使ってくださいね。手を抜かないで。それと、依頼者の方についてですが――」
聖時が説明しようとすると、店員がワッフルと、パンケーキを運んできた。すでに置いていた珈琲の横にそれらを並べると店員は去ろうとする。
しかし何かを思い出した様に、店員は動きを止めた。「お客様」声をかけ、マ理の顔を見る。
「ん? 何?」
不思議がって店員を見返すと、首を傾げていた。
「間違っていたら失礼いたしますが……以前、パンケーキをご注文くださって、叫ばれていた方でしたでしょうか?」
店員はマ理の顔色を窺っている。マ理は聞いて、目を見開いた。「あああ!」叫びも加わった。
パンケーキ……マ理の血の気がひく。全てを思い出したのだった。
「私、あの日、ここに来て、これを食べたの!」
聖時は驚いて顔を歪めた。「はぁ!?」あの日とはいつの事かと問うた。
「記憶が無くなった日よ!」
真実は以下である。
早朝から出掛け、事件を素早く解決し、帰りに近くのカフェに寄った。それがこのレトロなカフェで、居心地が良くすぐに気に入った。
並ぶレトロメニューの中から注文したのがパンケーキで、お腹がすいていたマ理はプリンと紅茶も一緒に注文した。
そして感動したのが、パンケーキだった。生地はふわふわ、メレンゲが入っているの? それとかかっているメイプルシロップ、こんな美味しいの味わった事がない、純正なの?
適当で済ませてきたマ理の舌に、これほど衝撃を与えた物はなかった。初めての事に、マ理の脳は完全に麻痺していた。立ち上がり震え、なんと目から滝の様な涙が溢れ出た。
そして叫んだ。うーまーいーぞー。某料理アニメを思い出す。
「それからどうしたって?」
眉をひくつかせながら頭を抱え込んだ聖時は、肩が震えていた。
「頭の中が真っ白になっちゃって……過去を忘れちゃった」
真実だった。「いやだから……そんな事で。つまり何、このパンケーキがあまりにも美味しかったから、記憶がぶっ飛んだ」
その通りである。
深く頭を下げて頷いた。「分かってスッキリしたわ」目をキラキラと輝かせていた。
「それは良かったですね」
人違いです、と聖時に言われて去った店員を見送った後で、パンケーキは食べられていった。「良かったー! 全部思い出せて」と呑気にマ理はワッフルにかぶりつく。
「明日からパンケーキは禁止です」
「ええ!? 突然なにぬねの!?」
聖時は確かに脳天つくほど美味いな、と食べているパンケーキを心中で評価した。
明日からは、って事は今日はいいのね!? と手を上げてマ理が追加注文を呼びかける。
何度でも言うが、ミヤコ・マリ心霊相談所――簡単・お手軽・悩まないくじけない、相談無料だが、適当である。
SNSでは広めない事をお勧めする。
ご読了ありがとうございました。
小説家になろう春のチャレンジ企画作品。
テーマ:「仕事」
後書きはブログです。
2010年投稿の『赤いくつ?』と比べてみると面白いかもしれません。
https://ncode.syosetu.com/n6772m/




