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第16話「恋の決算、あと少し」

湊が東京に出張で来て、カフェで再会したあの日から、また少し時間が経った。

名古屋と東京。

距離は変わらないはずなのに、胸の中は前より近くなっている気がした。


メールは相変わらず毎日届く。

仕事の愚痴、名古屋支店の珍事件、

そして、さらっと混ぜられる甘い一文。


今日の売上はまあまあ

でも桜井不足で若干赤字


そんな文面を見るたびに、美咲はスマホをぎゅっと握りしめた。


ある金曜日の夜。

経理部では珍しく、課長が早めに帰っていった。


「今日はもう上がる。お前も無理するなよ」


「はい。お疲れさまでした」


オフィスに残っているのは、美咲と加奈だけ。

コピー機の音も止まり、フロアは静かだった。


「ねえ美咲」


「なに」


「最近さ、前より分かりやすく顔に出るようになったよね」


「……どのへんが」


「メール来たときの顔。三割増しで可愛い」


「やめて。その分析いらない」


加奈はくすくす笑いながら椅子をくるっと回した。


「でさ。そろそろ決算出すんでしょ」


「決算」


「うん。湊さんとの恋の決算」


「まだ途中経過だから」


「黒字か赤字か、どっち寄りかくらいは見えてるんじゃないの」


美咲は少しだけ考えて、

机の端を指でとんとんと叩いた。


「……仮決算なら」


「うんうん」


「黒字寄りかな」


「ほらね」


加奈は満足そうにうなずいた。


「じゃあさ。ちゃんと本決算出せる日、いつにするの」


「え」


「告白する日ってこと」


「そ、それは……」


そこまで言ったところで、

机の上のスマホが震えた。


湊からだった。


件名:【期末のご相談】

本文:

今度の連休、名古屋来ない

経費は俺持ち

心の決算、一緒に出しませんか


画面を見て、思わず息を呑む。

加奈が素早く顔を近づけた。


「なになに。あ 絶対いいやつ来てる」


「見ないで」


「名古屋って書いてない?」


「読まないでってば」


加奈はにやにや笑いながら立ち上がる。


「もう決まりだね。美咲、連休は名古屋出張」


「仕事じゃなくて」


「恋のほうの出張」


「……そんな出張願い、経理に出せない」


「じゃあ秘書室に出しなよ。心の」


わけの分からないことを言いながら、

加奈は荷物をまとめて帰っていった。


オフィスに一人残され、

美咲は再び画面を見つめる。


(連休に、名古屋……)


心臓が落ち着かない。

それでも、指は素直だった。


件名:【経理回答】

本文:

非公式出張として承認します

ただし 経費は折半で


送信ボタンを押した瞬間、

胸の奥がふわっと軽くなった。


連休初日。

新幹線の窓から流れる景色は、東京より少しだけゆっくりして見えた。

名古屋駅のホームに降りると、

人の波の中に、すぐ湊が見つかった。


「来たな」


「来ちゃいました」


「ちゃんと来てくれてありがとう」


「経理なので」


「どういう意味だよ」


「途中で引き返すなんて、不良債権みたいで嫌だからです」


湊は笑いながら、

美咲のキャリーバッグをひょいと持ち上げた。


「今日は一日、ガイドする。名古屋の経費分、元取ってもらわないと」


「そんなに経費かけてくれたんですか」


「うん。心のほうに」


昼は味噌カツ。

そのあと有名な観光スポット。


けれど、美咲の頭の片隅にはずっと

“恋の決算”という言葉が引っかかっていた。


夕方。

少し落ち着いたカフェに入ったとき、

胸の鼓動はもうごまかせなかった。


窓際の席で向かい合って座り、

二人分のコーヒーが運ばれてくる。


「ねえ桜井」


「はい」


「今日さ。観光もしたし、味噌カツも食べたし」


「楽しかったです」


「それはよかった」


湊はカップに触れながら、

少しだけ真面目な顔になった。


「そろそろ、本当に決算出してもいいかな」


「……決算」


「俺がどれくらい君を好きかっていうやつ」


心臓が大きく跳ねた。


「まだ途中経過だと思ってたんですけど」


「途中経過なんてとっくに通り過ぎてる。

もう何回黒字出しても足りないくらい」


「そんなに」


「うん。だから」


湊はまっすぐに美咲を見つめた。


「好きだよ。ちゃんと、数字とか抜きで」


テーブルの上で、

自分の手が小さく震えているのが分かった。


(知ってた。メールの言葉で何度も伝えられてた。それでも)


直に聞くと、全然違う。


喉が焼けるみたいに熱い。

それでも、逃げたくなかった。


「……じゃあ」


「うん」


「私のほうの決算も、出していいですか」


「聞かせて」


美咲はゆっくりと息を吸った。


「一ノ瀬さんのこと」


「うん」


「ずっと黒字です」


「え」


「最初は赤字だと思ってたけど。

でも気づいたら、残業してでも帳尻合わせたくなってて。

今はもう 黒字しか出ないです」


湊の目が、驚いたように見開かれた。


そして、少しだけ声が震えた。


「それってさ」


「はい」


「俺のこと好きっていう意味で合ってる」


「……経理的には、そういう結論です」


カップの取っ手を握る手に、

自然と力がこもる。


次の瞬間、

テーブルの下で、そっと湊の手が触れた。


逃げようとした指を、

優しく包まれる。


「じゃあ今日が、本決算の日だな」


「本決算」


「うん。名古屋で、君からそう言ってもらえたから」


反則みたいな笑顔だった。


夜。

駅に向かう道すがら、

二人は人混みの中を並んで歩いた。


近づいた肩が時々ぶつかる。

そのたびに、心臓が跳ねる。


ホームに着くと、アナウンスが流れた。


「東京行き 最終のぞみ ご乗車のお客さまは――」


「もう帰る時間か」


「はい。明日も仕事なので」


「真面目だな」


「経理ですから」


湊が少しだけ黙って、

それからぽつりと言った。


「なあ桜井」


「はい」


「今日さ。決算が黒字って聞いて、すごく安心した」


「私もです」


「でも、これからもきっと上下するよな。

喧嘩したり、不安になったり」


「そうかもしれません」


「そのときさ。

一年の終わりにちゃんと笑って黒字でしたって言えるなら

それでいいと思ってる」


美咲は、ゆっくりとうなずいた。


「じゃあ、毎年一緒に決算書作ります」


「二人分のやつ」


「はい。二人分のやつ」


湊が、少しだけ照れたように笑う。


「……やっぱり、君が一番だな」


「なにがですか」


「俺の人生の、経理担当」


電車が滑り込んでくる。

ドアが開く直前、

美咲は小さな声で呟いた。


「こちらこそ。ずっと担当でいさせてください」


聞こえたかどうか分からない距離。

けれど、湊の表情が柔らかくほころんだ。


その笑顔を胸に焼き付けて、

美咲は東京行きの車両に乗り込んだ。


窓の外で手を振る彼の姿が、

ゆっくりと遠ざかっていく。


恋の決算は、まだ途中。

けれど、二人の帳簿は同じページを開き始めていた。

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