踏み出す一歩が、世界を変える
午後五時。
陽が少しずつ傾いて、校舎が琥珀色に染まり始めるころ。
私は、ひとりで人気のない中庭を歩いていた。
制服のリボンは少し曲がっていて、靴の踵はすり減りかけてる。
ポケットにはスマホ、バッグには未提出のレポート。
髪は黒のミディアムボブ、癖っ毛で左右に跳ねてるのを朝は直せなかった。
鏡に映る私は、どこにでもいる「やる気ゼロ」のJKにしか見えないと思う。
だけどその日、
私の“いつも通り”は――突然、終わった。
◆ ◆ ◆
「……ん?」
風が、走った。
中庭の奥、旧体育倉庫の向こうから、“シャアァッ”と何かが滑る音が聞こえた。
振り向いた先にいたのは――ひとりの女の子。
逆光の中で、髪が銀色に揺れていた。
高く結んだポニーテールが、空気を切るたびきらりと光る。
細身で背筋がぴんとしてて、脚が長くて、制服の上から黒のライダースを羽織っている。
足元には……見慣れないボード。
スケートボードより長くて、でも細くてシャープなフォルム。
前輪のあたりにハンドルのような突起があって、キックボードっぽさもあるけど、もっと未来的。
まるで浮いてるみたいに、地面すれすれを滑っていた。
女の子は、片足をボードに乗せたまま、私の方をちらっと見た。
「……見てた?」
「う、うん……何それ。……すご。かっこいい」
思わず言葉が漏れた。
口に出した瞬間、私自身が一番驚いていた。
だって、こんなに胸が高鳴るの、いつぶりだろう。
彼女はボードから降りて、ゆっくりこちらに歩いてきた。
ヒール付きのスニーカーがコツンと音を立てるたびに、制服のスカートがふわりと揺れる。
「フローボード。知らない?」
「ふろ……?」
「正式には“FLowboard”って言って、
未来型電動キックボードの競技用モデル。
空中に浮いてるように走るけど、ホイール付き。乗る人がバランスをとると、ラインを滑るみたいに動けるの」
「へぇ……なんか、ゲームみたい……」
「でしょ。でもこれ、ちゃんとした競技。
このリンクポイント――ほら、地面にある青い発光板。これを順番に踏むと“チェイン”が発動する」
「チェイン……?」
「連続得点。つなげればつなげるほどスコアが跳ね上がる。
タイミング、操作、ルート選び、全部自分で考えて繋げるの。――最高に楽しいよ」
彼女はにこりと笑って、再びボードに乗った。
そして、軽く助走をつけて――
“シャッ!”
ボードが風をまとって走る。
彼女の銀髪が宙を舞い、スカートが翻る。
光るリンクポイントが、青から紫へ、紫からピンクへと変わっていく。
――まるで、空を滑ってるみたい。
そのとき。
「わ、わわっ、ストーーップ!!!」
叫び声とともに、別方向からもう一人の女の子が突っ込んできた。
小柄でふわふわの金髪ツインテール。
目がくりくりしていて、制服の上にピンクのパーカーを羽織っている。
そして、彼女の乗っていたボードが――
こちらに直撃しそうになっていた。
「わっ、やばっ!」
私の反射神経が、勝手に動いた。
飛んできたボードに、とっさに足を乗せる。
その瞬間――
身体がふわっと浮いた。
「なっ……えっ……えぇぇぇぇええ!?」
地面から1センチ。いや、0距離かもしれない。
でも、確かに空を滑っていた。
ボードが勝手にリンクポイントを拾って、発光していく。
風が顔をなでる。視界がすっと開ける。
スピードが、気持ちいい。
私の中の何かが、跳ねた。
「―――うっそ、超たのし……!」
次の瞬間、ブレーキも知らずに壁へ突進。
――ドン!
衝撃。尻もち。
でも、変な話。全然、痛くなかった。
倒れた私の隣に、すっと立つ銀髪の女の子。
見下ろしたまま、肩をすくめてこう言った。
「……アンタ、反射神経の化け物ね」
私は息を切らしながら、彼女の顔を見上げた。
空の色が、変わって見えた。
風の音が、心臓の鼓動みたいに響いてた。
――なんだこれ、めっちゃ面白い。
こうして私は、「フローボード・リンク」と出会った。
そして、人生で初めて、“走りたい”って思ったんだ。