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王位 【Ⅲ】

 

 階級のお高いソウマ・ツヅリは、

 僕が指輪を見せた瞬間、殴りつけたくなるような顔で高笑いした。


「あっはははは! 虚位インフェリオだと!?

 学園最低のクソランクじゃねえか!

 お前、でけえ態度の割に、隣の女の腰巾着だっただけかよ」


「こし……」


 まあ、当然の反応だろう。


 五段階ある学園ランクの最底辺、Tier5・虚位インフェリオ

 それは落第生の烙印であり、

 魔術の研鑽よりも、上位者の雑用や実験台になることを暗に推奨される階級だ。


 身に着けているだけで、

 人生の失敗作を首から提げているようなもの。


 馬鹿にされるのも当然だ。

 ましてやソウマの階級はTier1・王位アブソリュオ


 きっと僕のことを、

 言葉を覚えた珍獣か何かだと思っているのだろう。


 ソウマの視線が、ゆっくりとカレンへ移る。


「じゃあ、高ランクは――こっちの女だけか」


「……何ですか、それは?」


「ああ?

 お前が、この底辺野郎を飼いならしてる王位アブソリュオなんだろ。

 誤魔化さなくても分かる。目を見りゃな」


 彼は嗤った。


「強者特有の――

 どっかネジの外れた目だ」


 ははあ、王位アブソリュオ様。

 さすがのご慧眼けいがんでいらっしゃる。


 ご明察の通り、こいつはネジが吹き飛んでいる。

 しかも一本や二本の話ではなく、思考回路そのものが根こそぎ狂っている。


 ――僕たち、案外仲良く出来るかもしれませんねえ。


 そんな皮肉を胸の奥で転がしていると、

 カレンは小首を傾げた。


「飼われているのは、私の方ですよ?」


 カレンは澄んだ声で言った。


「イズヒト様が望まれるなら、

 私は全身を縄で縛られ、

 馬車で一日引き摺り回されても――構いません」


「構えよ!?」


 思わず声が裏返る。


「僕が異常趣向者になるだろ!

 今まさに、想像の斜め上から殴られる狂気に、

 全力で戦慄しているところなんだが!?」


「サプライズです!」


「お前のそれは、猟奇殺人鬼が出会い頭に言う台詞だよ。

 そんなに僕に忠実なら、今すぐ死後の世界に還れ」


「それは嫌です」


 即答だった。


「なんでだよおお!!」


 ――そんな、どうしようもなく間抜けな応酬を背に、

 ソウマの眉間に、はっきりと皺が刻まれていく。


「死後の世界、だと……?」


 声に、微かに震えが混じる。


「ん? ああ、そうだよ。こいつ――カレンは死霊だ。

 僕が、あの世から召喚したんだ」


「……馬鹿を言うな」


 ソウマは、唇をかみ締める。

 お前みたいな底辺が、死霊の召喚など出来るわけがない。

 低級の使い魔すら呼べないはずだろう、と。


 だが、次の瞬間、青白い光が彼の両目を満たす。


「……【透魔の眼(メディシオン)】」


 唱えた途端、ソウマの眼光が妖しく変貌した。

 幻術も罠も、魔力量も、すべてを映す眼――その冷徹な輝きは、肉体の奥まで侵すかのようだった。


 それがカレンを捉えた瞬間――

 ソウマの顔色が、一気に失われた。


 血の気が引き、

 心臓の鼓動が、こちらにまで聞こえる。


 対してカレンは、

 まるで誇らしげに、胸を張って見返していた。


「『……何だ、この麗しき美少女は』

 ――そう言いたそうな顔ですね」


「いやカレン。

 どう見てもあれは、部屋で巨大な害虫と鉢合わせした時の顔色だろ。

 人類共通の“絶望”の表情だ」


「私を、害虫扱いですか!?」


 カレンの声が一段跳ね上がる。


「やっぱりこの男、殺さなきゃだめですよーう!」


 両手をぶんぶん振り回し、今にも再び魔力を収束させそうな勢いだ。


 ――だから駄目だと言ってるだろうに。


 僕は、じたばたと抗議するカレンの額を軽く押さえ、強引に動きを止める。

 そのまま、未だ【透魔の眼(メディシオン)】を解除できずにいるソウマへと視線を送った。


 ……ほら、見ろ。

 お前が見ているのは“美少女”なんかじゃない。


 世界の理不尽が、

 たまたま女の形をして立っているだけだ。


「……これで、分かっただろ」


 僕は肩を竦め、できるだけ軽い調子で言った。


「カレンには、逆らわない方がいい。

 僕なんて毎晩、怖くてベッドの中ですすり泣いているよ」


「…………」


 ソウマは、答えなかった。


 ただ、虚空を見つめるように立ち尽くし――

 やがて、掠れた声で呟く。


「……心臓が、動いてねえ……」


 【透魔の眼(メディシオン)】が捉えたものを、まだ処理しきれていないらしい。


「……本当に、てめえが死霊使いなのか?」


「まあね」


 否定も、誇張もしない。


「もっとも――

 今の僕は、この指輪に相応しいだけの力しか残ってないけど」


 次の瞬間だった。


「……ふ、ふふ……」


 ソウマの喉から、奇妙な音が零れた。


「ふふふ……ははは……

 ――あっははははははは!」


 額に手を当て、腹の底から笑い始める。

 愉快そうで、しかしどこか空虚な笑い声が、狭い路地裏に反響する。


 僕とカレンは、顔を見合わせた。


 ――これは、普通の反応じゃない。


 壊れた玩具を見るような視線で、

 僕たちは、ただ黙って彼を見守る。


 やがて、笑い声が途切れ、

 残響だけが石壁に吸い込まれていった。


 ソウマは、ふらつきながら立ち上がる。


 そして――


「……ふざけるなあっ!!」


 怒声と共に、壁へ拳を叩きつけた。


 鈍い衝撃音が、

 今度は確かに“現実”として、路地裏に響いた。


 ――おお、怖。

 情緒、どうなってんだ。


 咄嗟に理解する。

 身体強化の魔術だ。


 次の瞬間、壁面が悲鳴を上げた。

 まるで鉄球を叩きつけられたかのような鈍い音と共に、石が砕け散る。


「……!」


 破片が地に落ちる音を、耳が捉えるより早く、

 ソウマが一歩、踏み込んできた。


 ――近い。


 空間が潰れる。

 距離という概念が、暴力に書き換えられる。


 次の瞬間、腕が伸びた。

 狙い澄まされた直線。

 躊躇も、警告もない――殺すためだけに最適化された軌道。


 その延長線上にいるのは、


 ――カレン。


「カレン!」


「きゃ……」


 声より先に、身体が動いた。


 思考が形になる前に、

 僕は力任せにカレンを突き飛ばし、

 自分の身体を、その直線の終点へと差し出す。


 正面衝突。


 眼前で、爆弾が弾けたかのような衝撃が炸裂した。


 腕を通して、骨に直接、重量が流れ込んでくる。

 筋肉が悲鳴を上げ、関節がきしむ。


 歯を食いしばる。


 足元の石畳が耐えきれず、

 蜘蛛の巣状の亀裂を走らせながら、

 嫌な音を立てて沈み込んだ。


 ――カレンは?


 一瞬だけ、視線を走らせる。


 無事だ。

 怪我もない。


 ……ちくしょう、残念だ。


 安堵と落胆が、同時に胸に湧き上がる。

 行動と感情が噛み合わない。

 まるで自分が、多重人格者にでもなったみたいだ。


 ――違う。


 これは、余裕じゃない。

 恐怖が、思考を歪めているだけだ。


 冗談を考えている場合じゃない。


 ソウマの腕が、さらに押し込んでくる。

 魔力で底上げされた膂力が、じわじわと僕を押し潰そうとする。


 体重を一点に集中させ、足の裏の神経を震わせる。

 踏み込む足が石畳を掘り、亀裂を呼ぶ。


 全身の筋肉が悲鳴を上げる。

 それでも、今にも力負けしそうな自分の身体を――

 必死に、ぎりぎりの限界で踏みとどめた。



「よく、今のを受け止めたな」

 ソウマは、感心したように言った。

「力の殺し方も、悪くない」


「そりゃどうも……!」

 歯を食いしばりながら、声を絞り出す。

「でも、僕は――

 両手で、あんたの片腕ひとつを押さえるので、もう限界なんだけど……!」


 ――強すぎる。


 冗談抜きで、洒落にならない。

 両腕を総動員しているのに、じわじわと押し返されている。


 こいつ、どれだけ筋力を底上げしてるんだ。


 僕が前世から得意なのは、

 魔術特化型・陰キャ遠距離戦法だ。

 距離を取り、詠唱を重ね、相手が近づく前に終わらせる。


 ――肉弾戦は、めっぽう弱い。


 それを、ソウマは一瞬で見抜いたらしい。


 彼の口元が、にやりと裂ける。

 獲物の急所を見つけた肉食獣の、それだ。


 押さえ合っていない、もう片方の腕が――

 ゆっくりと、振り上げられる。


「……なら」


 低く、楽しげな声。


「もう一発は、どうする?」


 ――まずい。


 距離は、ゼロ。

 次は、防げない。


 間に合うか?

 いや、間に合わせろ。


 詠唱を組み立てる時間はない。

 魔力の制御も、精度も、全部投げ捨てる。


 必要なのは――

 発動するか、しないか、それだけだ。


「……頼むぞ」


 喉の奥で、そう呟いて。


 僕は、詠唱を破棄したまま、

 最速で、魔術名だけを叩きつけた。


「【死者の握り手(ソル・アガラス)】!」


「――何……!?」


 ソウマの声が、明確な驚愕を帯びて跳ねた。


 それで十分だった。


 簡易でいい。

 盾にすらなればいい。


 地を踏み鳴らすと、

 足下の石畳が、唸りを立ててわずかに盛り上がる。

 石の隙間から、微細な振動が足裏に伝わり、地面そのものが息をしているかのように震えた。


 次の瞬間――

 白骨化した一本の腕が、地面を突き破って生え上がった。


 骨の表面はざらつき、荒削りで、ところどころ欠け、節々が歪んでいる。

 それでも、確かな質量を持って空間を押し返す力がある。


 その手は、 まるで天にある太陽を掴み取ろうとするかのように、

 ぎこちなく握り拳を作り――


 振り下ろされたソウマの拳を、真正面から受け止めた。


 鈍い衝撃。


 拳と骨がぶつかる音が、

 裏路地に短く、重く響く。


 弾かれたのは――

 ソウマの拳だった。


「……っ!」


 だが。


 勝った、とは言えない。


 それなりの硬度を持たせたはずの骨の腕に、

 一本、二本と――

 不吉な亀裂が走っていた。


 たった一撃だ。

 ただの、素手の一発で。


 相手が、それだけの手練れなのか。

 それとも――


 僕が、弱体化しすぎて、

 骨まで脆くなったのか。


 ……まあ、どちらにせよ。


 お互い、カルシウム不足なのは間違いないらしい。


 その二手を防がれたソウマは、

 ゆっくりと表情を歪めた。


 怒りが、

 熱を持って、顔に滲み出てくる。


「……また、防ぎやがったか」


 ソウマは、吐き捨てるように言った。


「俺は――王位アブソリュオだぞ?

 こんなことが、あってたまるか。

 ……いいや、あっちゃいけねえ!」


 言葉の端々に、

 自分自身への苛立ちが混じっている。


 肩で息をしながらも、

 その瞳から、殺意だけは消えていない。


 僕は一歩も引かず、声を張った。


「どちらかが倒れるまで、やり合うつもりか?

 僕たちは、喧嘩がしたかったわけじゃない」


 血と焦げの匂いが残る裏路地で、

 出来るだけ理性の言葉を選ぶ。


「先に手を出したのは、あんたらだ。

 でも――やられた分は、もうやり返しただろ」


 一拍。


「落としどころをつけたい。

 どうすれば、見逃してくれる?」


 ソウマは答えない。


 ただ、

 こちらを射殺すような視線で睨み据える。


 怒りのピークは、およそ六秒――

 それを過ぎれば、思考は戻る。


 どうか、その六秒をやり過ごしてくれ。


 内心でそう祈っていると、

 やがてソウマは、ゆっくりと息を吐いた。


 そして、口角をわずかに吊り上げる。


「……『魔術演舞デュエロ・マギア』だ」


「――なんだって?」


「一週間後だ」


 ソウマは、淡々と言い切った。


「今日の決着をつけるために、

 学園の決闘場で魔術演舞デュエロ・マギアを行う」


 ぞっとするほど、落ち着いた声だった。


「一対一。

 公式の舞台で、正々堂々とな」


 そして――

 こちらを値踏みするように、視線を巡らせる。


「てめえが本当に死霊使いなら、

 その女も“魔術の一つ”として参加できるだろ」


「……」


 嫌な予感が、喉の奥に溜まる。


「――何を、賭ける?」


 問いかけると、

 ソウマは顎元に手を当て、わざとらしく考える素振りを見せた。


「そうだな……」


 数秒。


 そして、笑う。


「俺が勝ったら――

 その女を、もらおうか」


 裏路地の空気が、

 再び、冷え切った。


「カレンを、かい?」


「ああ。その女だ。使い途がありそうでな」


「なら今すぐにでもくれて――へぶぉ!?」


 何故だ。ソウマは微動だにしていない。それなのに、腹の奥に――確かな衝撃が突き刺さっている……? 新手の魔術か? いや、これは……


 カレンの正拳突きだ。


 肺の空気が一気に押し出され、僕は泡を吹きながら地面に崩れ落ちた。


 視界の端で、カレンがこちらを見下ろしている。

 背筋に氷を落としたような笑顔だった。


「イズヒト様。

 今、私を“売ろう”としましたよね?」


 多分、内臓がいくつか破裂している。

 声が出ない。息も浅い。

 今日一番の重症だ。――冗談抜きで、死ぬかもしれない。


 それでもカレンは、何事もなかったように続ける。


魔術演舞デュエロ・マギアというものは存じませんが、

 こちらが勝利した場合、何を頂けるのでしょう。

 釣り合いの取れない賭けは、好みません」


「無論だ」


 ソウマは顎に手をやり、愉快そうに口角を上げた。


「今日の無礼についての謝罪。

 それから――お前たちにとって、ちょうどいい“土産”だ」


 ……土産。

 カレンを縛り、馬車で引きずるためのロープだなどと言い出したら、

 この場で全力で殺すつもりだったのだが――


()()()()()()()()()

 ――『救済聖書ビブリオ・サルバシオン』の情報だ」


「……!」

 


 ……死霊を、殺す?

 そんなものが、存在するのか。


 だが考えてみれば不思議ではない。

 この死霊術が恐怖として君臨していた千年前、

 対抗手段が生まれていないはずがない。


 そしてそれが、時代の隙間をすり抜けて、今もどこかに残っているとしたら。


 それがあれば――

 僕は本当に、カレンを。


 殺して、力を取り戻せるかもしれない。


 その名は、

 僕の中で――

 もう一度、戦う理由として脈を打ち始めていた。





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