王位
大通りを外れ、細い裏路地へ足を踏み入れる。
白く塗られた壁が視界の奥まで連なり、通路は迷路のように折れ曲がっていた。
慣れた観光客なら、ここを抜け道として利用するのだろう。
だが、普通の人間はまず足を踏み入れない。
迷い込むと、どこに出るのかすら予測できない道だ。
――でかい赤ん坊をあやすには、これほど都合のいい場所もない。
人目はなく、街の喧騒は遠くに霞み、石畳に反響する足音だけが、静かに僕らの存在を知らせる。
冷たい石壁からは、かすかに日の余熱が伝わり、湿った砂利の匂いが鼻をくすぐる。
小路の曲がり角を曲がるたび、街灯の影が揺れ、僕の手を握るカレンの指先から微かな緊張が伝わってきた。
「……落ち着いたか?」
「はい。すみません、イズヒト様。
どうにも、感極まってしまって」
「勘弁してくれ。
次にお前を外に連れ出す時は、口をロープで縛っておく必要がありそうだ」
「まあ。なかなかハードなプレイですね。
悪くないです」
「黙れ」
罰のつもりで吐いた言葉が、
この変態女の欲求を満たす結果になるとは、夢にも思わなかった。
――本気で、頭が痛い。
これから先、
僕はどうやって、この女と生活していけばいいのだろう。
「学園生徒も、ちょうど下校時刻だった。
何人か、見てただろ?」
思い出したように言う。
「変な噂が立ち始めたら、どうする。
……まあ、もう行くこともないから、どうでもいいんだけどさ」
「そういえば、イズヒト様」
唐突に、カレンが首を傾げた。
濡れた睫毛の奥で、好奇心だけが妙に澄んでいる。
「学園に行っていなかった理由は、よく分かりました。
でも、それでも一つ、分からないことがあるんです」
「……何だよ」
「そこまで学園に関心がないのに、
どうして今まで“在学”していたのですか?」
「……っ」
言葉が、喉の奥で引っ掛かった。
――また、そこか。
本当に、妙なところばかり見ている。
死霊術の研究に没頭し、
学園という場所を、ほとんど利用していなかった僕。
それでも、籍だけは残していた理由。
確かに、今となっては不自然だ。
カレンを召喚する直前まで、
僕は“最強”と呼ばれる魔術師だった。
そんな存在が、
学園生徒という肩書きを持ち続けていること自体が、どこか歪んでいる。
――まあ、いい。
どうせ、隠すほどの理由でもない。
発泡スチロール製の脳みそでも理解できるよう、
噛み砕いて説明してやろう。
そう思った、その瞬間だった。
「――そこ、どけよ。ゴミ虫」
低く、粘ついた声。
反射的に顔を上げた。
男が三人。
制服姿――同じ学園の生徒だと、一目で分かる。
同時に、
“関われば厄介な類い”だということも、即座に理解した。
その中でひときわ目を引くのは、
目つきが悪く、高慢さを隠そうともしない長髪の男だ。
彼は迷いなく、
僕たちに向かって指を差した。
「道、塞いでんじゃねえよ」
一拍。
そして、吐き捨てるように続ける。
「――殺すぞ」
裏路地の空気が、
目に見えない刃を含んだまま、ぴたりと張りつめた。
――何だ、こいつ。
失うものがない、無敵の人かよ。
鉢合わせたこと自体が事故だ。
最近の僕は、本当にツイていない。
溜息混じりに、呆れをそのまま言葉にする。
「どうして僕は、今日だけで二回も殺害予告を受けなきゃならないんだ。
ついさっきまで、“世界は平和になった”って話をしてたところなのに」
「すみません、イズヒト様。あの時は、うっかり……」
「うっかり殺されてたまるか」
軽く吐き捨て、男たちに視線を戻す。
「……それで、あんたら――」
平和的解決を望み、あわよくば和解しようとした、その瞬間だった。
長髪の男は、指をこちらに向けたまま、静かに口を開く。
声音は淡々としている。
怒りも、焦りも、躊躇も、微塵もない。
――その時、
僕は気づくべきだった。
学園内の序列を示す指輪。
彼の指に嵌められたそれは、龍の紋章に緋色の魔石。
学園内に、数えるほどしか存在しない――
最上位Tier1、
『王位』を示す証。
気づいた時には、もう遅かった。
「――穿つ刃は、光の吟唱。
精霊の歌、具現せよ」
詠唱は、静かだった。
だからこそ、逃げ場は存在しない。
「【穿光】」
光が、音を立てて空気を裂いた。
男の指先から放たれたのは、敵を撃ち抜くためだけに研ぎ澄まされた、光の弾丸魔法だった。
人を笑わせる曲芸でも、暮らしを豊かにするための魔術でもない。
――ただ、殺すためだけの魔術。
瞬きをするよりも早く、熱を持った痛みが駆け巡る。
「があっ……! あ、ああ……!」
声が、意志とは無関係に喉から零れ落ちた。
全盛期の僕であれば、こんな魔術――
額で受け止め、弾き返し、詠唱者ごと叩き伏せていたはずだ。
だが、今の僕にその力はない。
避けることも、相殺することも叶わず、
ただ身体で受け止め、膝を折るしかなかった。
光は、僕の右肩を正確に貫いた。
余分な熱も、無駄な破壊もない。
向こう側の景色が、穴越しに見えるほど――
あまりにも、綺麗な撃ち抜き方だった。
……お見事だ。
そう思ってしまった自分に、遅れて吐き気が込み上げる。
血が、止めどなく溢れ出す。
生温かいそれが石畳に滴るたび、
――現実が、一拍遅れて追いついてきた。
そして――
僕は、感じ取った。
悍ましいほどに濃密な、殺気。
それは、目の前に立つ『王位』の男のものではない。
彼の殺意は冷たく、均質で、
学園という制度が許容する“暴力”の範疇に収まっている。
――違う。
もっと原始的で、
もっと深く、
触れただけで皮膚が焼け落ちそうな――
多分。
いや、間違いない。
カレンが――
本気で、
――ぶち切れた。
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