虚位 【Ⅱ】
「なあ、カレン。
お前、本当にその服で出て良かったのか?」
「どこか変でしょうか?」
「死んでた人間が『生き返る〜っ』って書かれたプリントTシャツを着てるのは、さすがにギャグだろう」
「説得力がありますよね」
「いや、そうでなく」
僕には女装趣味という高尚な嗜みは無いので、
当然のことながら家には、カレンが必要とする類いの衣類が一切存在しなかった。
そのため最近になって、最低限の生活用品として彼女の服を何着か買い与えたのだが、その際、ほとんど冗談半分で選んだあのプリントTシャツを、カレンは異様なまでに気に入ってしまったらしい。
そもそも、召喚の際に全裸で現れると分かっていたのなら、
もう少し事前に準備というものが出来ただろうに。
……いや。
前世の嫁ではなく、
よりにもよってこんなポンコツを呼び出してしまう未来が事前に分かっていたのなら、
服を揃えるより先に、狙撃手を百人ほど手配していたはずだ。
それにしても――
「随分と機嫌がいいんだな。
目当てのカフェまでは、まだ距離があるぞ」
「分かりますか? イズヒト様との、現世での初デートですから。
記念日ですよ、記念日。
全世界共通の祝日とされるべきです」
「じゃあ僕は三百六十五人の女性と初デートして、毎日祝日にしてもらうとするよ」
「殺しますよ?」
やだ、この子、怖い。
目が笑っていない。
女の子が浮かべる『心臓を射貫くような笑み』という表現は、こんな場面のために用意された言葉だっただろうか。
誰だって、ときめいてしまうに決まっている。
そうでも思っていないと、次の瞬間には殺されそうだから。
恐怖に押されて、僕の膝が小刻みに笑い始めた。
「や、やだなあカレン。
年中祝日なら、毎日君と一緒にいられると思って言っただけさ。
カレンのこと、もっと知りたいからね」
地獄で嘘つきの舌を引き抜く係の給料は、歩合制だろうか。
もしそうなら、僕の生涯で君たち全員を養ってやれる。
これからもカレンに、死ぬほど嘘をつく予定だからね。
死後の生活設計にまで思考を巡らせていると、
カレンは顔を緩め、にやにやと意味ありげに笑っていた。
「イズヒト様ぁ。
“もっと知りたい”だなんて……そんな恥ずかしい言葉、十八禁ですよ〜」
「なら、全身にモザイクでもかけてもらえ」
「何か言いました?」
「いいえ、何も」
僕たちは並んで、この国屈指の観光地でもある《オビーリヤ旧市街》を歩く。
洒落た商店やレストランが軒を連ね、路端では陽気な手拍子に合わせ、色鮮やかな衣装の女性が情熱的に踊る。
人々の息遣いまで、街の温度として肌に伝わる場所だ。
歴史ある広場や教会、美術館までもがすべて徒歩圏内に収まっており、
初めて訪れた者なら、隅々まで歩き回りたくなるに違いない。
――だが、この街において好奇心とは、時に悪魔の囁きだ。
区画整理はほとんどなされておらず、細い路地へ一歩入り込めば、あっという間に方向感覚を失う。
ろくに外出してこなかった僕の頭には、地図など入っていない。
もしここでカレンとはぐれたら、しばらく合流できないだろう。
「イズヒト様、ここは賑やかな街ですね。
あちらに見える双子の方は、何をされているのでしょう。曲芸師ですか?」
指差す先で、二人だったはずの人影が揺らぎ――
「わわ、双子から三つ子になりましたよ!?」
「ああ、偽計魔法の【幻惑】だよ。
前世じゃ、嫌というほど見ただろ。
敵が眷属に化けて近づいてきたり、同士討ちを誘ったり」
「……どうして、こんな街中で【幻惑】を?
あの方は、お客さんの中に殺したい相手がいるのでしょうか」
あまりに切実な声音で問われたものだから、思わず笑ってしまった。
「違うよ。ただの演目さ。
観客の誰かにそっくり化けて、その人が絶対にしなさそうな変顔をして、笑わせたり驚かせたりするんだ」
「……そんなことに、意味があるのですか」
「楽しいだろ?」
「え」
「魔術は、もう戦場だけのものじゃない。
水流操作系で乾いた大地に水を引き、夜になれば【松明】で街を照らす」
指先で宙をなぞるように、言葉を続ける。
「それだって前世じゃ、敵襲を知らせる合図だった魔術だろ?」
「……信じられません」
――そうだろうとも。
僕自身、この時代に転生してから何度も同じ顔をした。
驚き、疑い、困惑し――それでも否応なく理解させられた。
かつての魔術は、力を誇示するためのものだった。
殺し、奪い、屈服させるための、最短で確実な手段。
そして僕は、それを極めることで世界を手中に収めた。
「カレン。時代は変わったんだ。
魔術は、もう戦争のためだけの道具じゃない」
街の喧騒を背に、僕は言葉を選ぶ。
「奪うために振るう力じゃなく、豊かに生きるために寄り添う存在になった。
――アーイシャの記憶を持つお前には、この世界が、どう見える?」
問いを投げても、すぐに返事はなかった。
不審に思って覗き込むと、カレンは静かに涙を流していた。
涙は頬を伝い、夕陽に光って小さな虹を作るようだった。
嗚咽も声もなく、まるで街の光景の一部に溶け込むように。
僕は心底、驚いた。
もし前世の嫁――アーイシャが、この光景を見ていたら。
彼女もまた、こんなふうに涙をこぼしただろうか。
やがてカレンは、周囲の視線など意にも介さず、
涙に濡れたまま、ぐしゃりと笑った。
「……素敵な世界になりましたね。
カイス様が、望まれた世界です」
「僕は戦いが嫌いだっただけさ。
強さを極めたのも――臆病だったからだ」
「はい。本当に……本当に……良かった……」
その次の瞬間。
「うわあああああ!」
――台無しである。
やめろ。
どうしてそこで感極まって号泣する。
赤ん坊のような泣き声が旧市街に響き渡り、
観光客たちの視線が一斉にこちらへ集まる。
完全包囲網だ。
これでは僕が泣かせたみたいじゃないか。
僕はカレンの口を永遠に封じたい衝動を必死で抑え、
逃げるように彼女の手を掴み、細い小路へと引きずり込んだ。
――人通りの多い大通りを外れ、細い路地へ入ると、
街の音は嘘のように遠のいた。
石畳に反響するのは、僕たちの足音と、遠くに残る祭の残響だけ。
空気は夕陽に温められ、わずかに砂利の匂いが混じる。
カレンはまだ鼻をすすっている。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、袖で乱暴に拭いながら、気まずそうに視線を逸らした。
「……ごめんなさい。
少し、取り乱しました」
「少しじゃない。
かなりだ」
「うう……」
それきり、会話は途切れた。
手を引いたままだということに、しばらく経ってから気づく。
振りほどく理由も、引き寄せる理由も見つからず、僕はただ、そのままでいた。
彼女の手は、思っていたより温かい。
生き返るだの、前世だの、魔王だの――
そんな言葉が、ひどく遠いものに感じられた。
「イズヒト様」
小さな声で、カレンが呼ぶ。
「ハイ」
「……この世界、好きです」
それだけ言って、彼女はまた前を向いた。
僕は何も返さなかった。
肯定も、否定も、説明も。
ただ、繋いだ手を離さないまま、
旧市街の奥へと歩き出した。
カフェテラスは、まだ少し先だ――。
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