カレン
「ほら、早く服を着てくれ。目に毒だ。
サイズの心配はいらない。
僕は華奢だからな……お前でも、余裕をもって着られるはずだ」
あえて、ぞんざいな口調を選んだ。
必要なのは思いやりではない。距離だ。
この女に――自分の内側の揺らぎを、悟られないための。
そんな胸中など知る由もなく、彼女はむっと唇を尖らせた。
「イズヒト様。
もう少しだけ、愛のある接し方ってものを、覚えてくれませんか?」
「哀なら、もう十分に込めたつもりだが。
……まだ足りないのか。困った奴だな」
「ち〜が〜い〜ま〜す〜!」
変態少女は頬を朱に染め、ぷりぷりと怒りながら、投げ渡された服に腕を通した。
――失敗した。
白いTシャツという選択は、明らかに判断ミスだった。
サイズには想像以上の余裕があり、布地は彼女の身体を拒むどころか、むしろ素直すぎるほど従っている。
その結果がどうなるかなど、考えるまでもない。
……透けている。
色々と。
別に、気遣う必要などない相手だというのに。
それでも僕は、無意識のうちに視線を逸らしていた。
「と、とりあえず……今日はそれで我慢しろ」
声が、わずかに上ずる。
「後で、お前の服は適当に見繕ってくる。
だから――その……変な動きをするな」
言い終えてから、自分が何を警戒しているのか分からなくなり、内心で舌打ちした。
「わあ、イズヒト様が選んでくださるんですか? 嬉しいです。
たとえドブネズミの毛皮でも、一生大切にしますね! ……あ、私、もう死んでるんでした」
「もう、どこから突っ込めばいいんだ……」
額に手を当て、心臓の奥から息を吐き出すように溜め息をつく。
考えるな。考えるほど、精神が削られる。
そのまま、指先で軽く合図した。
「お前、ちょっとこっちに来い」
「はい? 何でしょうか」
「……」
「……?」
少女は素直に歩み寄り、僕の目の前で立ち止まった。
いや、確かに呼んだのは僕だ。
それは事実だが――
来いと言われて、ここまで詰めてくる奴があるか。
視界いっぱいに広がる顔。
吐息が、わずかに混じる距離。
耐えきれず、声が跳ねた。
「近すぎるだろ!? お前、距離感が完全に壊れてるぞ!
初対面なのに名前呼びして、週末のランチに誘ってくる奴と同じ詰め方だ!」
「え? すみません、何を言っているのかよく分かりません」
「なんで僕が変なこと言ってるみたいな顔をするんだあああ!」
少女はきょとんと目を瞬かせ、心底不思議そうに首を傾げる。
「イズヒト様が私をお側に呼ぶなんて……てっきり、“そういうこと”が始まるのかと」
「……一体、何が始まるって言うんだ」
問い返した声には、怒気よりも疲労のほうが勝っていた。
こいつには、どうやら一般常識というものが根本から欠け落ちているらしい。
現世の尺度をそのまま当てはめて、真面目に相手をしてはいけないタイプだ。
だからこそ――今、やるべきことがあった。
僕は無言で、少女の額を指ではじいた。
「あだっ」
「少し離れろ。現世での最低限の常識は今から渡しておいてやる。
全部を教える気はないから、分からないことは自分で調べて、考えろ」
少女は額を両手で押さえたまま、きょとんとした表情でこちらを見る。
「あ、ありがとうございます……?」
疑問形で礼を言われたのは初めてだ。
僕は小さく息を吐き、指先で魔術式を組み上げる。
人差し指に、青白い蛍火のような光が宿った。
――よし。
これくらいの魔術は、まだ問題なく使えるらしい。
僕はその光を、もう一度デコピンする要領で、赤くなった少女の額に触れさせた。
「これからお前と、どう生活するか考えないとな」
「イズヒト様、私は『お前』じゃなくて、アーイシャです」
「冗談はそのぽんこつ頭だけにしてくれ。僕がお前をアーイシャと呼ぶことは、絶対にない」
「じゃあ、現世での新しい名前を下さい。イズヒト様みたいな!」
心なしか、嬉々とした表情まで浮かべている。
だが正直なところ、こんな奴の名前などどうでもよかった。
とはいえ――アーイシャ“もどき”と呼ぶのは、最愛の妻に対してあまりにも不敬だ。
その一点だけが、僕の口を縛っている。
僕は吐き捨てるように言った。
「じゃあ、ポチでもタマでも好きな方を選べ」
「酷い! 拾われたペットだって、そんな適当に名付けられませんよ!?」
「もはやお前も、ぽんこつも、とんこつも大差ないよ」
「もっと、すたいりっしゅに!」
――果たして、意味が分かって言っているのか。
仕方ない。
ならばせめて、こいつに相応しい“名前”を与えてやろう。
僕はわざとらしく顎に手を当て、考えるふりをしてから告げた。
「じゃあ……アーヘラだ。
アーヘラ・アルクス。どうだ」
「わあ、格好良さげですね。どんな意味なんでしょう」
「ああ……“踊る娼婦”だよ」
その瞬間、僕の足元に大穴が開いた。
床は抉られ、立ち上る白い煙の渦に巻かれるようにして、僕は奥歯をカチカチ鳴らしながら身を震わせるしかなかった。
恐る恐る少女を見やる。
床に差し向けた右手のひらから、柴色の稲妻がピリピリと音を立てて空気を裂き、霧散していく。
――無詠唱で発現可能な初級魔術、【雷砲】。
本来は貫通力のない痺れ玉に過ぎないはずだが、この威力と速度は尋常ではない。
心臓が喉元まで飛び出るかと思った。思わず身を引き、床の熱を踏みしめながら、わずかに震える手を握りしめる。
もしもほんの数センチでも角度が違えば――今、死んでいたかもしれない。
凍てつく瞳で、少女は僕に微笑みかける。
「あは。イズヒト様、もう一度言って欲しいなあ」
言葉の端に潜む無邪気さに、僕は思わず声を荒げた。
「いやいやいやいや違う違う。君にはもっと、暴力的な――じゃない、女の子らしくて可憐な名前が必要だろ?」
「あ、今の何だか良い響きです!」
ひぃっ――と、思わず漏れた声は、かつての眷属も耳を疑うほどの腑抜けっぷり。
両手で身を守る仕草は、まるで自分を抱きしめるようで滑稽極まりない。
突然指を差されたものだから、再び魔術でも放つのではと、本気で死を覚悟した。
「良い、響き……?
暴力的ってところ? 殺人衝動に目覚めちゃったの?」
「違いますよ。
女の子らしくて“可憐な”って言ったじゃないですか」
「言った」
「良い感じです」
少女は腰に手を当て、満足げにふんぞり返った。
――可憐とは、何だ。
指先ひとつで人の心臓に風穴を開けかねない、このバイオレンス少女が可憐だというのか。
あっははは。せめて名前の前に「殺戮兵器」とでも冠してやらなければ、世界に対して不誠実だろう。
とはいえ、そんな本音を口に出せるほど、僕は命知らずではない。
僕はまるで、機嫌を損ねれば即座に消される下っ端のように、へらりと笑って平手を擦った。
「そうだ。
僕は君に――“カレン”って名前を付けたかったんだ」
「本当ですか?
どんな意味でしょうか」
「可愛らしい、とか。愛らしい、って意味だよ。
うん。君にぴったりだ」
――そんなわけがあるか、モンスターめ。
少女はその新しい名前を身体で理解しようとでもするように、くねりと身をよじらせた。
「ふわ〜、可愛らしいだなんて……もう、イズヒト様〜!」
今は、これでいい。
僕がこいつの手綱をどうにか握り続けられるのなら、きっと――普通の生活も成り立つはずだ。
そして、その時が来たなら。
必ずお前から力を取り戻し、今度こそ、正しくあの世へ送り返してやる。
これから僕、イズヒトと、
殺戮兵器カレンとの――
魔術競技専科での学園生活が、静かに始まる。
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