もう、無かったことには出来ないほどに
「目的は何だ。
お前は僕を殺すために現れた、悪魔の手先か?」
「そんなことが目的なら、とっくにやってますよう。
私の目的――現世でもう一度、生きる理由があるとすれば……そうですね……」
素っ裸の変態少女は顎元に指を添え、思案する仕草を見せた。
その視線は、魔術の焦げ跡がまだ残る天井へと向けられている。
まるで答えをそこに書き残してきたかのように。
沈黙。
その間に、僕の鼓動だけがやけに大きく耳に響く。
やがて彼女は、思いついたというより――最初から決まっていた答えを口にするように、屈託のない笑みを作った。
「カイス様のお側にいることです!」
あまりにも場違いな言葉だった。
魔術、殺意、恐怖。そのどれとも噛み合わない。
「……は?」
自分でも驚くほど、間の抜けた声が喉から漏れた。
「何だそれ。僕は既婚者だぞ?
お前、むしろそっちのほうが燃え上がるタイプなのか」
「カ、カカカカイス様!? まさか現世でもう新しい伴侶を!?
誰の許可を得てそんなことしてるんですかあ!?」
「少なくともお前の許可はいらないだろ。
期限切れのクーポン券より価値がない」
「言ってることはよく分かりませんが、凄まじく侮辱されているという事実だけは理解できます!
不倫ですよ、不倫!
カイス様は誠実さだけが取り柄だったのに……うわああああ……」
……何だこいつ。
本当に泣いているのか?
というか今、さらっと僕を貶したな。
魔術に秀でているところだって、立派な取り柄だったはずだ。
そう反論しかけて――ふと、思考が止まる。
……ああ。
今の僕には、それがもう無い。
力を失い、魔術を奪われ、それでもなお立っている理由を探せば――
確かに、残っているのは誠実さくらいなものかもしれない。
ならばせめて、その最後の拠り所だけは守らねばならない。
僕の名誉のためにも。
「おい、お前。
盛大な勘違いをしているようだが、僕は現世で結婚などしていない」
変態少女の泣き声が、ぴたりと止まった。
「僕の生涯の伴侶は、アーイシャだけだ」
「……え?」
その一言は、拍子抜けするほど小さく、
しかし確かに、何かが揺らいだ音だった。
「本当ですか?」
分かりやすく顔色を明るくしたのが、ひどく腹立たしかった。
思わず平手打ちの一つでも食らわせてやりたくなる――が、それは叶わない。
今やこの女の魔力は、僕を凌駕している。
下手に感情をぶつけるのは愚策だ。
少なくとも今は、彼女の機嫌を不必要に逆撫ですべきではない。
「ああ、本当だ。
だから――またアーイシャを召喚するための研究を続ける」
自分の声が、妙に冷静であることに気付く。
「お前が“僕の側にいること”を現世で生きる理由だと言うのなら、その研究を手伝え。
それが条件だ。それなら、お前を僕の側に置いてやる」
「本当ですか!? カイス様!
私、またお側に居てもいいんですね。
……いやでも、私がカイス様のお嫁さんなんだけどなあ」
「馬鹿なことを言うな」
吐き捨てるように言う。
「おそらく、アーイシャの魔力を大量に注ぎ込んだせいで、
記憶が混濁しているんだろう。
だから当分の間――アーイシャを“自称”することくらいは、黙認してやる」
「自称じゃなくて、私は本当にカイス様の――」
そこで、我慢の限界だった。
僕は上半身を起こし、変態少女の頭を掴んで押し退ける。
……これくらいの扱いなら、許されるだろうか。
分からない。
何もかもが手探りだ。
まるで地雷原を、細い杖で叩きながら渡っているような心地だった。
「はいはい、分かったから……もういい加減どいてくれ。
それから、僕はもうカイス・イヴン・アル=ウラキウスじゃない。
現世での名はハトバ・イズヒトだ。イズヒトでいい」
「イズヒト様……イズヒト様……」
変態少女は、その名を確かめるように、ゆっくりと反芻した。
まるで、失えば二度と取り戻せない呪文でも刻み込むかのように。
前世の記憶のままなら、確かに奇妙で馴染みのない響きに聞こえるのだろう。
僕自身、この世界に転生した直後は、名前一つ取っても時代の隔たりに戸惑ったものだ。
――問題は、この自称嫁をどう扱うかだ。
一歩踏み違えれば、主従関係は容易く反転する。
かつて僕が有していた絶大な力を、そのまま受け継いだ存在。
その力は、あまりにも危険だ。
先ほどは研究を手伝えなどと言ったが、正直、期待はしていない。
仮に研究が進み、アーイシャだと確証の持てる人物を再び召喚できたとして――その後、この変態少女はどうする?
自らの居場所を失うことを恐れ、アーイシャを殺す可能性は?
否定できない。むしろ、現実的な未来だ。
だから、僕がこれから成すべきことは一つ。
――こいつから、僕の力を取り戻す方法を探る。
その決意が胸の奥で静かに固まっていくのを感じながら、
そんな思惑など露も知らぬまま、変態少女は噛み締めるように言った。
「素敵なお名前です」
「そうかな。両親が旅行先で僕を産んだものだから、その地名が付けられたらしい」
「ご両親……! 後でたくさんの手土産を持って、ご挨拶に行かなくちゃですね」
「そんな格好で行ってみろ。
手土産のお返しに、通報と手錠が付いてくるぞ」
「まあ、イズヒト様。この格好でご挨拶に行けと言うのですね……!
お望みとあらば、一肌脱ぎますとも」
「それ以上脱ぐものが無いから問題なんだよ!
服を着ろ、服を!」
声を荒げながら、ようやく気付く。
そういえばこの女、本当に何一つ身に着けていない。
今この瞬間に至るまで、僕はこの女をどう始末するか、そればかりを考えていた。
だから視界に映る異常を、意識の外へ追いやっていたのだろう。
だが「始末しない」という選択を下した途端、現実は容赦なく押し寄せてくる。
目のやり場が、無い。
本当に、どうしようもなく、すっぽんぽんだ。
憤慨と居心地の悪さを誤魔化すように、僕はふらつきながら立ち上がる。
黒く焼け焦げたクローゼットの戸に手を掛けると、
魔力の熱と衝撃で歪んだ蝶番が嫌な音を立てた。
「……くそ」
力任せに引き剥がすように開く。
幸い、中身まで燃え落ちてはいないようだった。
学園の制服や私服が並ぶハンガーラックを漁り、
その中から白いTシャツを一枚掴み取る。
それを、振り向きざまに放った。
「ほら。今すぐ着ろ」
床に落ちた白布を見つめ、変態少女は一瞬だけきょとんとした顔をする。
それから、宝物でも受け取ったかのように両手で抱きしめ、にやりと笑った。
「……ふふ。
イズヒト様、優しいですね」
「違う。
視界汚染の対策だ」
そう言い切りながらも、胸の奥に残る違和感を、僕はまだ言語化できずにいた。
敵か。味方か。
嫁か。化け物か。
分からない。
だが少なくとも――この女は、僕の世界に深く足を踏み入れてしまった。
もう、無かったことには出来ないほどに。
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