魔術演舞 【Ⅲ】
魔力で編み出されたスコアボードに、微かなノイズが走った。
淡い星型の光が、ひとつ、またひとつと欠けていく。
9から8へ。8から7へ。
星が瞬くたび、窓ガラスに小石を投げ込んだような乾いた破砕音が闘技場に反響する。
その音に合わせるように、ソウマの眉間へ深く、苛烈な皺が刻まれる。
怒りではない。焦燥でもない。――計算が、狂わされている顔だ。
視線の先では、カレンとソウマが肉薄していた。
剣も詠唱もない。
あるのは、肉体と魔力だけをぶつけ合う、原始的な殺し合い。
拳が掠めるだけで頬が裂ける。
血が飛ぶ。
だが次の瞬間には、幻影魔術によって再構築された皮膚が、何事もなかったかのように繋がり直る。
呼吸を忘れるほどの拳の応酬を前に、僕はただ、静かに思考を回していた。
逃げの姿勢ではない。
覚悟がないわけでもない。
だが理解している。
今の二人の間に割り込んだ瞬間、
“僕”という存在は、形を保ったままではいられない。
――だから、考える。
この戦場で、唯一まだ誰にも踏み込まれていない領域。
それが、僕の居場所だ。
現状、押しているのはカレンだ。
間違いない。
力でも、速度でも、魔力量でも――上回っている。
ただ。
「【雷砲】!」
「……らあっ!」
視界が、わずかに歪む。――躱した?
一瞬の隙を突いた、超至近距離の一手だったのにも関わらずだ。
ありえない。
反応できるはずがない。少なくとも“人間”なら。
だが、現実はそこにあった。
ソウマは確実に順応している。
カレンの踏み込み、重心移動、雷撃の初動――
それらを“読もう”としているのではない。
身体が、すでに覚え始めているのだ。
カレン自身も、それに気づいたのだろう。
一呼吸、僅かな間――驚きで動きが硬直する。
その瞬間を、ソウマが見逃すはずもない。
「【穿光!】」
詠唱ではない。
思考と同時に叩き付けられた魔術名。
光が直線を描き、弾光が、カレンの身体を撃ち抜いた。
もし僕だったら、心臓に穴が空き、すべてが終わっていただろう。
だが――人間離れした存在であるカレンは、耐えた。
声にならない悲鳴。
肉体が後方へと弾き飛ばされ、地面を抉る。
それでも、致命には至っていない。
――少なくとも表面上は。
だが、戦場の温度は確実に揺らぎ始めている。
「……がはっ……」
湿った音とともに、血が吐き出される。――吐血。
その事実に、僕の思考が一瞬だけ遅れる。
カレンは魔術で召喚された存在だ。
魔術演舞において、人間ではない。
平たく言えば――魔装具、あるいは召喚獣。
道具には競技的なライフポイントは設定されていない。
だが、この空間では例外がある。
一度の攻撃で“1ポイント以上に相当するダメージ”を受けた場合――
召喚体は、退場扱いとなる。
回復は不可。
再召喚も不可。
試合終了まで、復活はルール上、認められていない。
つまり――
この場でカレンが失われれば、
それは“戦力低下”ではない。
即ち、詰みだ。
僕の頼みの綱は、彼女しかいない。
彼女が退場するということは――
実質、
この魔術演舞における
僕の敗北を意味する。
理解が追いついた瞬間、この戦場で初めて、焦燥という感情が胸を刺した。
負ければ、カレンを殺す唯一の手段――
『救済聖書』は霧散する。
彼女を殺さなければ、
最愛の人との再会は、永遠に失われる。
思考が軋み、ノイズを帯び始めた――その時だった。
「大丈夫ですよ……イズヒト様」
――!
潰れかけた声。
それでも確かに、柔らかな温度を持っていた。
「カレン……?」
彼女は口許の血を拭い、花がほどけるように微笑んだ。
そして、静かに言葉を紡ぐ。
「私は……あなたのカレンは、負けません。
早く終わらせて、デートに行きましょう。
まだ、見たいお店も、知りたいことも、たくさんあるんです」
「――ふざけるな」
思わず声が荒れる。
「そんなことを言っている場合か。
この状況が分かっているのか!?
僕はほとんど戦力外だ。
ソウマのライフは7。
どう見ても、詰んでいる!」
正直、ソウマという男を侮っていた。
戦争ではなく、競技という舞台において――
この男は、やはり最強の一角だ。
隙はある。
だが彼は、魔術演舞というルールを骨の髄まで理解している。
致命傷以外は、すべて一ポイント。
その仕様を最大限に利用し、
自身のライフすら囮にして、僕の残り一を常に射程に収めている。
中途半端な攻撃は、この瞬間、許されない。
ソウマの想定を超える一手を――何か、何か――
「イズヒト様は、絶望などしていません」
「……は?」
断定だった。
慰めでも、祈りでもない。
「この程度が絶望なら、
死者との再会など、果たせなかったでしょう」
言葉は、希望としてではなく、前提として差し出される。
「幾度の失敗を繰り返してなお、イズヒト様は信じ続けた。
最愛の人との再会を」
一瞬の間。
「私が“その人”かどうかは、今は関係ありません。
でも――私たちは、出会えました」
微笑み。
そして、最後の一言。
「それって、奇跡みたいだと思いませんか?
イズヒト様は――
絶望の中に光を見出す、天才なんですよ」
絶望――。
その言葉を、僕は何度も反芻してきた。
日が昇ろうと、月が瞬こうと関係なく、毎日、毎日。
“アーイシャ”との再会だけを焦がれて。
輪郭は幾度も形を持ち、
触れようとするたびに、脆く崩れた。
現実から逃れるように瞼を閉じ、
千年も前の記憶を、指先でなぞる。
希望は手のひらまで来て、
霧のようにすり抜けた。
――確かに、カレンの言うとおりだ。
これまでの日々に比べれば、この程度を絶望と呼ぶには浅すぎる。
言葉にはしなかった。
沈黙を噛み締めるように、
ソウマは、わずかに首を傾げる。
切り捨てるでもない。
嘲笑うでもない。
攻撃に転じることもない。
ただ、カレンを――
異物を見るように、静かに眺めていた。
「女――」
低い声。
「カレン、と言ったな。
なぜ、お前ばかりが傷を負いながら、
この男に忠義を尽くし、闘う?」
「理解できないでしょうね」
カレンは、吐息ひとつ分の間を置いた。
その沈黙が、刃のように鋭い。
「女性の影に身を潜め、
表に立たず、静かに思考だけを巡らせる――
そんな方に、心酔している理由など」
――もう少し、言い方はなかったのだろうか。
胸の奥が、きしりと鳴る。
「……盲目なだけか?」
「いいえ」
即答だった。
「盲目になられたのは、私ではありません。
永い闇に慣れきってしまわれた、イズヒト様です」
静かな声が、戦場の静寂に落とされる。
「彼は本来、強く、気高く――
そして臆病であったが故に、世界を治め得た方。
私が命を捧げるに、これ以上相応しい王はいません」
わずかに、微笑みが添えられる。
「……今は少し、その面影が薄れておられますが」
「王、だと――?」
ソウマの喉が、低く鳴った。
「王であるなら、なぜ俺とぶつからない。
なぜ力を示さない。
なぜ女に闘わせ、己は離れて見物をする」
怒りではない。
理解不能なものを前にした、獣の声音だった。
「ソウマ様」
カレンは、はっきりと名を呼ぶ。
「あなたはやはり、
『王』とは何たるかを、理解しておられません」
「ああ?――剣も振るえぬ者に、王を名乗る資格はない。
その称号は、臆病者には不釣り合いだ」
「王とは、名乗るものではありません」
即座に、しかし静かに、カレンは言い切った。
「あなたは学園が用意した【王位】という階級に跪いただけの、愚かな民です」
彼女は瞼を伏せる。
「――“王は、剣を振らない”」
トクリ、と。
僕の胸奥で、沈黙していた心臓が、ひとつ、震えるように脈打った。
皮膚の下で血が熱く流れ、魔力が微かに指先から蠢く。
一瞬、視界が揺らぐ。
理由は分からない。
ただ確かなのは、長い間、胸の底で沈黙していた何かが――確かに、息をしたという事実だった。
転生してからの十数年。
暗がりで息を潜め、忘却の下に押し沈められていた感覚。
それが今、静かに、しかし抗いようもなく、目を覚ましつつある。
沸騰しかけた衝動を、呼吸で押さえ込む。
今、解き放てばならないものではない。
それでも――
魔力の質が、確かに変わった。
皮膚の下を、熱が這い、血管の中を焼けるように駆け抜ける。
焼け爛れるような感覚。
痛みではなく、鋳直される予兆だった。
カレンが、穏やかな笑みをこちらに向ける。
「王の手は、剣を振るためではありません。
勝利を、掴むためだけにあります」
静寂の中で、思考を回す。
感情を切り離し、情報だけを拾い上げる。
――吹き飛ばされた腕が地に落ち、再生するまでの時間。
――強力な魔術には、必ず最低限の魔力量。
――僕のライフは失われれば即敗北の“1”。
――カレンのライフは数値化されず、退場すれば復帰不可。
そして――
何より、カレンが僕を“王”として仰いだという事実。
視線を上げる。
カレンは微かに唇を噛み、目には涙が滲む。
けれど、その瞳は揺るがない。
静かに、しかし揺るぎなく、僕を信じていた。
「イズヒト様」
声は小さいが、力強い。
「この闘い――イズヒト様の勝利です」
断言された瞬間、胸の奥に熱が走る。
勝利はまだ保証されていない。
だが、彼女が確信している。
僕の性質を、行動を、想いを。
王を信じる民の視線を、一身に受けた気がした。
その確信が、僕の心を揺さぶる。
王を信じる民が、勝利を確信した。
――ならば。
王は、その名に恥じぬ結末を、現実として与えねばならない。
動き出す時だ。
「カレン、時間は与えた。
“僕を生かす方法”は見つかったか?」
「はい。ずっと考えておりました。
なぜ相手を殺す方法ではなく、イズヒト様を生かす方法と仰られたのか」
確信をもって告げる。
「死霊術師の絶命の一撃をお考えですね。
――では、“外法の手”は如何でしょう?」
「……!」
僕の意図の読み取りは正しい。
しかし驚いた。
“外法の手”は前世での、僕とアーイシャ、そして極少数の臣下のみが知る、対単体排除に特化した作戦の一つ。
知識だけで実現できるものではない。
もし、それが、可能であるならば――
カレンが、アーイシャである可能性さえ、現実味を帯びる――。
いや、今はまず、この闘いに勝つことだけを考えろ。
もはや、この魔術演舞。
救済聖書を賭けただけの闘いではない。
僕が、僕自身に
王位を示す為の闘いだ――。
決意の声音が、喉を震わせる。
跪いた者に、威光を示すように。
羨望の眼差しを一身に受けるように。
「カレン」
「はい」
「見せてやろう――。
カイス王……いや、ハトバ・イズヒトが、現世でも“最強”であることを」
まるで、千年待ち侘びた想い人に、ようやく出会えたかのように、
カレンは静かに涙を流す。
「はい!」
カレンの言う“外法の手”。
それが実現する前提で考える。
あとは僕が、確実に、勝利を――
ソウマの心臓を握り潰すだけだ。
――始めよう。
そして、一手で終わらせる。
僕のオリジナル――
――“禁秘級”魔術だ。
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