魔術演舞
指定された日時は、種子の日の十三時だった。
学園の休日を選んでくれたのはありがたい。
とはいえ、この学園では設備が常時解放されており、
休日であろうと生徒の姿がちらほらと見える。
おそらく書庫に籠もり、魔術の議論に勤しむ者たちだろう。
勤勉な連中だ。いずれ配下に迎え入れたいほどに。
一方、長年の不登校を極めた怠惰な僕は、周囲の視線を気にしながら足を進める。
今更、知り合いと顔を合わせたところで気まずいだけだ。
幽霊を見たような目で見つめられ、翌日には仲間内で話題にされることが目に浮かぶ。
しかもその幽霊めいた僕の隣には、
さらに幽霊が控えているのだから、情報の渋滞は必至だ。
誰にも見られぬ前に、さっさと目的地へ――そう心の中で自分を急かす。
思考を整理しつつ、足早に進む。
不登校でも、もとは僕の居城なのだ。
学内闘技場への道筋は、迷うことなく頭に入っている。
広間を抜け、長い廊下を進むうちに、鋭い日差しが視界を貫く。
その先――円形闘技場の中心に一つの人影が立っていた。
僕達の気配に気付いた男は、ポケットに手を突っ込んだまま、不敵な笑みを浮かべる。
「――よく逃げずに来たな。
褒めてやるよ」
円形闘技場の中心。
ソウマは、最初からそこに立っていたかのように、悠然とした姿勢でこちらを見下ろしていた。
「ギャラリーが、すでに何人かいるんだけど」
僕は、わざと闘技場全体を見渡してから口を開く。
「ソウマ。君が用意してくれたのかい?」
観覧席には、まばらながらも確かに人影があった。
学園生徒。
好奇心と暇を持て余した顔ぶれだ。
――帰ってほしい。心から。
ソウマは、数千人を収容できる無駄に広い客席を一瞥し、鼻で笑った。
「わざわざ用意なんてしねえよ。
王位クラスの俺が闘技場に向かえば、それだけで噂になる」
そして、こちらに視線を戻す。
「悪いな。
本当は人前で、お前の無様な負け様を晒すつもりはなかったんだが」
「構わないさ」
僕は肩を竦める。
「負けた後で言い訳されても困るからね。
見届け人がいる方が、後々助かる」
一瞬、ソウマの口角が上がった。
「おお。言うじゃねえか」
闘技場の空気が、わずかに張り詰める。
「念のため、おさらいしておくが――
この魔術演舞、俺が勝ったら」
彼は、ちらりと僕の背後を見る。
「そこの女を貰う」
即座に、僕は視線を逸らさず返す。
「僕が勝てば、本当に『救済聖書』の情報を教えてくれるんだろうな」
短い沈黙。
ソウマは、ポケットに突っ込んだままの手を微動だにさせず、ただ僕を見据える。
「ああ、もちろんだ」
迷いのない声だった。
「二言は無え」
カレンが、そっと僕の耳元に囁く。
「イズヒト様、ご注意を。
このソウマという男、何だか前よりずっと余裕のある雰囲気を漂わせています」
僕は、わずかに唇を歪める。
「分かってる。
僕なんか、今にもおしっこ漏らしそうだ。全力で助けてくれ」
「情けないですが、そのつもりです」
――自分の口から出た言葉に、既に死にたくなってくる。
勝利報酬に、サイズぴったりの素敵な棺桶でも追加してもらおうか。冗談半分、現実味半分で。
そして、ソウマが拳を差し出す。
僕も同じく拳を向ける。
指輪が触れ合った瞬間、静寂が一瞬震え、魔術演舞の対戦が成立した。
従うしかない。
固唾を呑み、全身を研ぎ澄ます。
円形闘技場を、幻影の魔術が包み込む。
見渡す限りの空間は、瞬く間に競技用の魔術空間へと変貌していた。
壁も床も観覧席も――すべてが薄い光のヴェールに覆われ、時間の密度すら変化したかのように感じられる。
魔術演舞――
それは単なる戦いではない。
競技そのものが巨大な幻影魔術に包まれ、知力と反射神経を試す学園最高峰の試金石となる。
お互いのライフポイントは、学園成績に基づき、厳密に数値化される。
相手のライフを0にした方が勝利。
勝利すれば、『救済聖書』の情報を手に入れられる。
敗北すれば――失うものの大きさは計り知れない。
競技開始まで、約一分。
その一分が、永遠にも思える。
僕の心臓は、胸の奥で規則正しく、しかし異常に重く鳴り響く。
指先から、微細な汗の感覚が伝わる。
それでも、視線は逃さない。
――勝たねばならない。
すべてを賭けて、勝たねば。
「カレン、闘技場のスコアボードが見えるか?」
「はい。
カッコいいイズヒト様と、お相手の気持ち悪い顔が映し出されています」
――暴言でも相手のライフが削れればどれほど楽だろうか。
ルールが改定されれば、カレンは無敵なのに。――いや違う違う。
僕は映し出された両者の隣にある、星型の小さな光を指差した。
「あれがライフポイントだよ」
「イズヒト様は……1。
対するお相手は……」
「10だ」
「ど、どどどどどど、どうするんですかあ!?
思った以上の戦力差ですよ!?」
「ああ。分かってはいたが……結構やばい。
今すぐ学園長に土下座して単位を買収した方が良いかもしれない」
「冗談言ってる場合じゃないですよ!」
本当にその通りだ。
しかし、勝てる見込みがあるからこそ、僕はこの魔術演舞を受けたのだ。
競技開始まで、約三十秒。
時間の流れが、まるで濃縮され、心臓の鼓動だけが空間に響いているかのように感じられる。
指先に伝わる微細な震え、背筋を這う緊張。
目の前のソウマは、何事もないように立つ――その余裕が、逆に威圧的だ。
僕は口調を変える。
静かな決意を、わずかに低く抑えた声で。
「カレン、聞いてくれ。
今からの三十秒は、世界の重さを肌で感じる時間だ。
――僕たちは、この勝負に全力を賭ける」
カレンはわずかに頷いた。
ほんの一瞬、少女の瞳から柔らかさが消え、刃物のような鋭さが宿る。
その眼差しが、僕の決意を疑いなく受け取ったことが分かった。
「ライフを削る方法は、主に魔術による攻撃だ」
僕は、闘技場に張り付いた幻影結界を見渡しながら、淡々と説明する。
「相手を気絶させる。
あるいは、身体を欠損させるほどのダメージを与える。
その時点で、確実にライフを一ポイント削れる」
カレンは口を挟まず、ただ聞いている。
だから、僕は言葉を止めずに続けた。
「……それだけじゃない」
一拍。
わざと間を置く。
「一撃で勝敗を決める方法もある」
カレンの喉が、小さく鳴った。
「――相手を、殺すことだ」
言葉は、驚くほど静かに落ちた。
だが、カレンは思わず声を上げる。
「こ、殺すって……!
イズヒト様、それは駄目って、この前言ったじゃないですか!?」
悲鳴に近い抗議。
それを聞いて、僕は肩をすくめる。
「安心しろ。魔術演舞は“競技”だ」
指輪に刻まれた紋様が、淡く脈打つ。
「この闘技場そのものが、巨大な幻影魔術に包まれている。
斬られれば斬られた感覚があるし、焼かれれば焼かれた痛みも返ってくる。
でも――実際に命を落とすことはない」
「……ほ、ほんとうに?」
疑念と恐怖が入り混じった声。
「ああ。
むしろ、僕たちに勝機があるとすれば、それしかない」
僕は、真正面からカレンを見た。
「ソウマを“キルフィニッシュ”するんだ」
その言葉が持つ意味を、噛み砕くように告げる。
「なんせ――僕は、一撃食らえば死ぬ」
事実だ。
冗談でも、比喩でもない。
ライフ1。
それは、呼吸一つ分の猶予すら存在しない数字だった。
だからこそ。
この競技で許された“最大の暴力”だけが、
唯一、平等に勝敗を覆せる。
――殺すか、殺されるか。
たとえ幻影であっても、選択肢はそれしかない。
競技開始まで、残り五秒を切った。
ソウマは、抑えきれぬ昂揚を声に滲ませる。
「作戦会議は終わったか! 始めっぞお!?」
スコアボードのカウントが0に達し、轟く飛竜の咆哮が闘技場全体に響き渡る。
競技開始の合図だ。
同時に、ソウマは魔術詠唱を始める。
「――白き刃は、天使の光翼……」
――この韻……初手に「五本の聖剣」、か。
学園生徒ではごく一部しか扱えない“聖紋級”の魔術。
王位クラスの風格が、その声の震えにも現れている。
「カレン、合図が来たら――僕を抱えて、大きく三歩、等間隔で後ろに退け」
「さ、三歩……ですか?」
「大丈夫だ、僕は――」
言葉を遮るように、ソウマの詠唱が頂点に達する。
背中に現れたのは、巨大な白銀の魔術紋。
周囲を取り巻く天使の羽根が、光を弾き、舞い踊る。
――これほどの上位魔術を、彼は自在に操る。
“切り札”を切ったのではない。
挨拶代わりだろう。
僕は、ソウマをまだ過小評価していたらしい。
「――【五翼の聖剣】」
閃光が、刹那に視界を満たす。
鋭い光の刃が、瞬間、世界を切り裂いたかのように僕の眼を刺す。
身体感覚が狂い、上下左右の区別を失う。
深く沈む暗い水底に、力なく沈められたような感覚――
大抵の者なら、この光に触れただけで戦闘不能になるだろう。
それほど、聖紋級魔術は圧倒的な威圧を伴う。
耳を澄ます。
風を裂く鋭い音が近づいてくる。
僕は息を吸い、心を――一点に定める。
「カレン」
「はい!」
潰されるような閃光の残滓の中、カレンに抱え上げられる感覚があった。
肩を叩くたびに、彼女は一歩、また一歩と後退する。
足音はわずかに砂粒を砕く音と混ざり、耳を打つ。
僅か数ミリ先を、命を刈り取るかの如き剣が地面に叩きつけられる音が響く。
三度目の肩叩きの瞬間、僕は彼女の耳元で告げた。
「雷砲――」
「【雷砲】!!」
僕の合図に呼応し、カレンは無詠唱で雷の魔術を放つ。
瞬発力と熱量を伴ったその一撃は、甲高い破裂音を上げ、闘技場の空気を震わせた。
側に立つ僕の身体も、稲妻の余波で全身が痺れる。
――もし、この一撃で僕のライフが0になったら……。そんな恐怖が、一瞬脳裏をかすめる。
しかし、次第に奪われていた視界が戻り、世界の輪郭が再び鮮明になる。
目の前に立つのは――
「な、何が……、起きた?」
カレンの雷砲によって左腕を吹き飛ばされたソウマは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
その身体の揺らぎは、魔術の威力を如実に示す。
カレンもまた、息を呑み、少し震えた手で肩を抑える。
味方の功績を喜ぶべき場面のはずなのに、驚きと戸惑いが混ざり合った表情だ。
僕は、残された自らの力に確信を抱き、胸を一度撫で下ろす。
「僕は全盛期の力を失ったけどね、その魔術知識だけは、全盛期のままだよ」
スコアボードに映るソウマのライフポイントが、音を立てて砕け散る。
残された数字は――9。
初手から、確かな戦果だ――。
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