嫁、召喚!
「マケド鉱石が少量、モモワラシの羽根が一羽分、
それからハナバオオバチの蜜蝋……あとはどれだ。
マダラガエルの唇で、足りるか」
光を拒んだ暗室で、僕は呪文とも数え歌ともつかない独り言を転がす。
石壁に吸い込まれていく声は、やがて自分の耳にすら届かなくなり、
ただ沈黙だけが濃度を増していった。
これから執り行うのは大魔術――
死した魂を現世へ引き戻す、死霊召喚の術である。
魔術師であれば誰しも眉をひそめるだろう。
禁忌に近く、悪趣味で、実用性も乏しい。
それでもなお、僕はこの術式を選んだ。
――一体、何を召喚しようというのか。
この魔術社会において役に立つ博識な守護霊。
右腕となる優秀な執事。
あるいは日々の孤独を慰めてくれるサキュバス――。
一瞬、それらの姿が脳裏をよぎる。
だが次の瞬間、すべてを払い落とした。
否。
断じて否だ。
それらを束ね、飾り立て、価値を天秤にかけたとしても、
決して釣り合わないものがある。
僕が欲しているのは、ただひとつ。
最愛の人。
前世の――嫁だ。
僕の名はハトバ・イズヒト。
かつてこの国を統べ、千年前に絶大な魔力とともに歴史に名を刻んだ王、
カイス・イブン・アル=ウラキウス。
その転生者である。
「よし、準備は整った。
今度こそ蘇らせてやるからな――アーイシャ」
胸の奥が熱を帯び、心臓が早鐘を打つ。
僕は傍らに置いていた、天を噛み砕かんばかりの重厚で鋭利な牙を手に取った。
雪原に棲む狂暴な飛竜の牙だ。
「ください」と頼んだだけで、命ごと差し出してきた。
神秘の象徴者ともなると、奉仕の精神に溢れているらしい。
実にありがたい話だ。
僕はためらいなく、その牙で自身の手の甲を切り裂いた。
「痛っ……!」
買ったばかりの調理ナイフなど比べ物にならない切れ味で、
牙は一瞬にして皮膚を割き、真紅の血を噴き上がらせる。
熱と鈍い痛みが遅れて押し寄せ、思わず眉をひそめた。
――この牙、量産できたらどうだろう。
飲食業界から引く手あまたで、包丁ではなく飛竜の牙が主流になる未来も悪くない。
今のうちに特許でも取っておくべきかもしれないな。
そんな馬鹿げた考えを意識の片隅に追いやりながら、
僕は床に刻んでおいた魔法陣へと手をかざす。
滴り落ちる鮮血が、刻線をなぞるように流れ込み、陣は静かに脈打ち始めた。
石床に描かれた円環が、まるで息を吹き返したかのように赤く染まっていく。
――ここからだ。
幾重にも重ねられた大型魔法陣が、深紅の光芒を放つ。
骸骨兵を一体呼び出す程度であれば、ここまで大仰な準備は必要ない。
今回は違う。
特定の人間を名指しし、なおかつ記憶までも前世のまま――
完全な形で蘇らせる術だ。
いかに強大な魔力を誇る魔術師であろうと、求められるのは力ではなく精度。
一つの符号のずれ、一拍の詠唱の狂いが、すべてを無に帰す。
「……いける。いけるぞ」
喉の奥から、震えるような声が漏れた。
魔法陣の光は次第に増幅し、やがて赤い閃光へと変わる。
眩さに目を細めながら、僕は術式の中心を凝視した。
光の粒子が渦を描き、人の輪郭を形作っていく。
肩、胸、指先――失われたはずの存在が、確かな質量を伴って現れつつある。
順調だ。
少なくとも、ここまでは。
だが――問題は、ここから先だ。
僕は前世において“最強”と謳われた魔術師だった。
しかし、その力のすべてを現世に持ち越せているわけではない。
この術は、転生後の世界で十年以上、繰り返してきた。
それでも、一度として成功していない。
失敗の数が数千を超えたあたりで、数えることをやめた。
「……ここまでは、いつも出来る」
歯を噛み締める。
「一体、何が足りない……!」
完成しかけた“彼女”の輪郭が、わずかに揺らいだ。
足元には、数多の失敗作──いや、人ではない何か──が転がっている。
このままでは、狭い1DKの部屋が無秩序なガラクタの山に埋もれてしまう。
大家に目を付けられたら、即座にホームレス行きだ。
生活を賭けた緊張が、胸の奥で小さく爪を立てる。
思考を必死に巡らせるも、いよいよ空間がガタガタと震え出した。
「やばい……やばいよ、これは……失敗の前兆だ……!」
錯乱した声が、部屋の狭い壁に跳ね返る。
昨日は精霊水道の破裂、そして一昨日は水晶管の不調……。
もはや言い訳の材料も尽き果てたのに、僕の口は止まらない。
「もう、もう爆発のネタがないんだけど、どうすれば……
卵を火魂瓶で加熱した……いや、そんな言い訳がまかり通るのか!?」
絶望に近い焦燥と、どこか滑稽な自問が、部屋の空気をねじ曲げる。
そんな時、不意に──足が床に転がる過去の失敗作の一つに取られた。
「うわあっ――あだっ!」
そのまま情けなくひっくり返った。
腰に走った鈍い衝撃は、僕が趣味で集めていた美少女フィギュアのディスプレイ棚からの、容赦ない制裁だった。
視界が傾き、時間が引き延ばされる。
強い衝撃に耐えきれず、嫁達が悲鳴を上げるように宙を舞い、
床へと散っていく。
その光景は、なぜだかやけに鮮明で、残酷なほどスローモーションだった。
「うあああ……こんな時に……!」
慌てて起き上がり、床に散らばった彼女たちに縋りつく。
「エマちゃん……ユカちゃん……ああ、マリアちゃんまで……。
だ、大丈夫だよね? 腕、折れてないよね……?」
半べそをかきながら、一体ずつ丁寧にボディチェックをする。
細いパーツ、繊細な塗装。
どれも無事であってくれと、祈るように撫で回す。
――そこで、ふと我に返った。
「……じゃ、なくてガチ嫁ぇ!」
声に出して、自分を叱咤する。
「 僕は一体、何のためにここまで来たんだ」
床に座り込んだまま、胸の奥を強く叩く。
「ろくに学園にも通わず、普通の人生も投げ打って……
全部、アーイシャと再会するためじゃないか……!」
視線が、まだ赤く脈動する魔法陣へと戻る。
震える空気。失敗の予兆。
「考えろ……まだ、やりようはあるはずだ」
前世で、死に別れるその瞬間に託されたもの。
アーイシャの魔力。彼女の温度と、記憶と、祈りの残滓。
「……それを全部、注ぎ込めば……形になるか?」
呟きは、願いに近かった。
無謀で、危険で、それでも他に道はない。
床に散らばる“嫁達”と、赤く光る魔法陣。
現実と狂気の境目で、僕は歯を食いしばった。
アーイシャを蘇らせる計画は、前世の時代から温め続けてきたものだった。
思いつきでも、狂気の産物でもない。
長い時間をかけて研ぎ澄ませてきた、唯一の希望だ。
あらゆる時を共に過ごした最愛の嫁、アーイシャは病で死んだ。
王として、魔術師として、国を支配する力を持っていても――命ひとつ、救えなかった。
だからこそ、死の間際に彼女の魔力を譲り受けた。
転生し、再びこの世に生まれ落ちた時、それを使って彼女を呼び戻す。
それが、僕と彼女が交わした最後の約束であり、当初からの計画だった。
迷っている場合じゃない。
今ここでアーイシャの魔力を使わずして、いつ使うというのだ。
僕は胸に手を当てる。
心臓のさらに奥――この身に宿り続けてきた、一際あたたかな魔力の源を、そっと引きずり出す。
それは黄金色に輝く光の束となって現れ、やがて溶けるように形を変えた。
光は液体へと変じ、手のひらに掬えるほどの量となって、静かに揺れている。
懐かしい。
この魔力は、彼女そのものだ。
僕はそれを、赤い閃光の迸る魔法陣の中心へと、ためらいなく注ぎ込んだ。
「アーイシャ……」
声が、震える。
「君のためなら、僕は……僕の全てを差し出したって構わない」
喉の奥が、ひどく熱い。
「……君に、会いたい」
アーイシャの魔力を得たことで、魔法陣の中の粒子が激しく脈動する。
人の形をなぞっていた曖昧な輪郭は、次第に意味を帯び、線を持ち始めた。
肩の丸み。
細い腰のくびれ。
長い髪の流れ。
――女性の姿へと。
それは、かつて何よりも愛した存在の面影を、確かに宿し始めていた。
「アーイシャ……!」
声が、掠れて震えた。
この瞬間を、どれほど待ちわびてきたことだろう。
どれほど幾夜も夢に見て、幾度も同じ幻を追いかけてきたことか。
前世では、死を司る悪魔のもとへすら赴いた。
魂を差し出す交渉まで持ちかけ、それでも叶わなかった願いだ。
視界が滲み、熱いものが瞼の裏に溜まり始める。
「……いや」
僕は、ふと違和感を覚えて首を傾げた。
あの死神は言ったのだ。
――たとえ僕の魂を代価にしたとしても、それは実現しない、と。
なのにどうしてだ。
アーイシャ自身の魔力を用いたとはいえ、あまりにも順調すぎる。
目を細め、光の渦の中心にある彼女の姿を凝視する。
一見すれば、完璧に見えた。
だが、よく見なければ気づけないほど微細な歪みが、全身の輪郭を震わせている。
魔力を帯びた肉体が、この世に定着することを拒んでいる――そんな震えだ。
おそらく、死後の世界から無理やり引き戻された魂は、現世で長く形を保てない。
あと数分もすれば、この光はほどけ、粒子は散り、
またしても「人ではない何か」へと変じてしまうだろう。
――いつものように。
「……まだ、足りないのか?」
呟きは、ほとんど独り言だった。
もう、失敗は十分だ。
恋い焦がれる時間も、喪失に身を浸す夜も、数えきれないほど味わった。
過去に縋り、思い出に胸を抉られる生き方は、もう終わりにしたい。
僕は、何のために生きてきた。
この命を賭して、やるべきことは何だ。
そう自問しながら、僕は唇を強く噛み潰した。
「僕は……!」
喉が裂けるほどに、叫んだ。
「僕は、アーイシャと再会するためだけに、この世界を生きてきたんだああ!
僕の魔力が欲しいなら、全部くれてやる!
足りないなら心臓でも何でも持っていけ!
それでも足りなきゃ、来世の僕から取り立てろ!
この、欲張り女房があああ!」
両腕を突き出す。
差し出したのは魔力だけではない。
命も、未来も、輪廻の先にある可能性さえも――すべてだ。
全身が焼けるように熱い。
内側から臓腑が煮え立ち、身体が今にも弾けて四散しそうになる。
並の魔術師であれば、ここまでの消耗に耐えきれず、すでに塵と化しているはずだった。
部屋中を黒い稲妻が駆け巡り、
やがて鼻腔を刺す、鉄と腐臭が混じったような死の匂いが漂い始める。
それでも――
それでも僕は、アーイシャに会いたかった。
やがて、音が消えた。
世界が遠のき、耳鳴りだけが残る。
視界が白く滲んでいく。
眼球が溶け落ちたのか、それとも、すでに僕は死んだのか。
何もわからない。
触覚も、痛みも、熱も、思考すら輪郭を失っていく。
――n回目の失敗。
今度こそ、終わりなのかもしれない。
まあ、いい。
ろくに友達も作らなかった。
魔術演舞に出場することもなかった。
この世界に、僕の死を悼む者はいないだろうし、
僕自身、後悔と呼べるほどの未練もない。
そう思った。
――その時までは。
「……ス様、カイ……様……」
耳の奥で、水に溶けるような声がした。
不思議と胸が静まり、永い旅路の終わりに辿り着いたような安らぎがある。
――ああ、アーイシャ。
君が迎えに来てくれたんだね。
ようやく、会えた。
「カイス様!」
乾いた音が弾けた。
次の瞬間、頬に走る鋭い痛み。
反射的に上体を跳ね起こす。
……叩かれた?
今の、誰に?
「カイス様、良かった! 本当に良かったです!
死んでませんね! あ、私はもう死んでますけど。えへへ」
「……アーイシャ、なのか?」
視界がはっきりする。
そこは、炭のように焼け焦げた一室だった。
溶けた床、崩れた魔法陣、焦臭い空気。
そして――
僕の目の前に立つ少女。
背中まで伸びる茶色の髪。
琥珀色に澄んだ瞳。
一糸まとわぬ、あまりに無防備な姿。
彼女は、まるで春の陽だまりのような声で言った。
「はい。あなたのアーイシャ・ラフティマ・レジットですよ?
地獄の底から、現世に戻ってきちゃいました」
――n回目の死霊術。
ついに、嫁と現世で再会した。
……はずだった。
「……お前、誰だよ?」
喉から零れた声は、自分でも驚くほど冷えていた。
僕の目の前にいるのは、
記憶の中のアーイシャでも、
千年前に愛した妻でもない。
ただの――
本当に、見知らぬ女だった。
Life1の死霊使い!~前世の嫁を召喚したつもりが別人だった件~
お読み下さりありがとうございます。
読者さんのリアクションが継続の指標となりますので、
ぜひブックマークや評価をして頂けると嬉しいです!




