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8話 丘の上で

********


 あれから一年の月日が流れた。


 古城を見下ろす丘の上、フォルトゥナは筆を止め、遠くを見つめていた。


 谷底から吹き上げる風が心地よく、彼女の黒髪をふわりと揺らす。涼やかな風が何もかもを遠くへ運び去ってくれたらいいのに――そんなことを考えて、彼女は小さく息をついた。


 空には穏やかな雲が流れ、緑の草原が広がっている。美しい風景だ。けれど、今の彼女にとっては、その美しささえも色褪せて見える。


 ――エイドリックは、どうしているだろう。


 ふと彼の姿が脳裏に浮かんだ。療養中、何度も熱にうなされ、荒い息をしていた彼の横顔。


 そして、恐怖に凍りついたあの顔――あの瞬間が、今でも心に残って離れない。


 あの後、正式に婚約は破棄された。


 書類に署名する際、フォルトゥナの手は一切震えなかった。それでも、心のどこかで何かが途切れる音がした。


 ――それで良かったのだ。


 誰もがそう言った。彼女自身も、そう言い聞かせた。


 けれど、それからというもの、フォルトゥナの周りには奇妙な静寂が漂い始めた。


 両親は彼女のために新たな縁談を探し、いくつかの家が候補に挙がったものの、なぜかいつも最後には立ち消えになってしまう。


 「幽霊姫」――そう噂される彼女の存在が、どれだけの者の心を遠ざけているのか、もう分かっていた。


 ――不気味な娘。見えないものを見る者。


 そんな言葉が、いつも彼女の後ろをついて回る。


「今日も、物見遊山の来客ね……」


 幽霊が見えるという噂に興味を抱いた好奇の目。彼女をまるで見世物のように眺め、腫れ物に触るように扱う人々。


 そのことを思うだけで、胸が重たく沈んだ。


 フォルトゥナは静かに筆を置き、目を閉じる。風の音が耳に心地よく響き、自然だけが彼女を慰めてくれる気がした。


 しかし、その静寂を破るように、遠く丘の下から何かが駆けてくる音が聞こえた。


「お嬢様――! お嬢様!」


 彼女の侍女だ。白いドレスが風に舞い、必死に丘を駆け上がってくる。


「どうしたの……?」


 まだ遠い侍女の姿を見つめながら、フォルトゥナは静かに立ち上がる。


 何かあったのだろうか。


 侍女の表情は遠目でも分かるほどに焦っている。


 ひょっとしたら、来客の件かもしれない――そう思いながら、フォルトゥナはゆっくりと丘を下り始めた。


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