2話「いっぱい、居る」
フォルトゥナは、両親とファルソン夫妻と共に、三階の客間の扉を静かに開けた。
部屋に入ると、窓際の寝台でエイドリックが寝かされているのが見えた。
彼の顔は真っ赤で、うわごとを呟きながらうなされている。額には汗がにじんでおり、使用人が冷たい布で顔や喉元を拭っているが、あまり効果がないようだった。
「どうしてこんなに具合が悪いのに、遊びに来たりなんかしたのかしら?」
せめてここに来る前に立ち寄った街で療養し、回復してから来ればよかったのに。
小さな声で呟き、肩を軽くすくめた。
「ああ、かわいそうなエイドリック…」
ファルソン夫人が息子の寝台に駆け寄り、涙を浮かべてその手を取っている。
男爵が重い空気を漂わせてため息をつき、フォルトゥナに申し訳なさそうな視線を送った。
「風邪をお召しになられたのですか?随分容態が悪いようですが、医者は何と?」
素直に疑問を口にすると、男爵はしばらく黙っていたが、ようやく言葉を紡ぎ出す。
「医者も手を尽くしようがない、原因がわからないと言っている」
その答えに、フォルトゥナは少し驚き、背後の両親を見上げた。
しかし、彼らは何か「知っているのか」複雑そうで何とも言いにくそうな表情を浮かべて、エイドリックの寝台の方を見つめている。
まるで何か別の理由があるようだ。
「本当に申し訳ない…」
男爵は繰り返し、何度も頭を下げながら、深くうつむいている。
(お父様は、視てみろとおっしゃったわね。それにお母様のあの顔)
同情の中に諦めを煮詰めたような、とてもいいにくそうで表現しがたい表情をしている。
父と母と同じく、フォルトゥナは生まれつき物質的に存在しないものが見える。
それはモノによっては半透明で白っぽく、あるいは黒っぽかったり、靄のようだったり、色あせた石墨に赤を足したような薄い色を纏っている場合や、色味がはっきりと見えるのに半透明な場合など様々だ。
父が見てみろ、というのが「視る」方だと気づいて、フォルトゥナは自分の中の意識を切り替えた。
「わぁ。すごい。―――いっぱい居る」
思わず淡々とした声が漏れた。
エイドリックの寝台の周りには、半透明の女性たちが約八人ほどひしめいて立っていた。それぞれが怒りを込めた鋭い視線をエイドリックに向け、顔はひどく歪んでいる。彼女たちの目には憎悪が込められ、体はかすかに揺れながらも、まるでそこに物理的な存在があるかのように感じられた。
「ヒッ」
突然、ファルソン夫人が悲鳴を上げ、驚愕の表情でその場に崩れ落ちた。無言のまま倒れ込む彼女を、ファルソン男爵が慌てて抱きかかえ、使用人が駆け寄ってきて部屋を退出していく。
「えっ?」
まさか自分が漏らした正直な感想が耳に届いて、恐怖のあまり気絶したとは知らず、フォルトゥナは目をぱちくりと瞬いた。
気づけば父が傍らに立って呟いた。
「どうしたものか…」
父の声には、無力感が混じっている。母はそれに続けて、ぽつりと呟いた。
「私たちは何もできないのよねえ…」
のんびりというかおっとりとそれぞれ呟く両親に軽く目を向けた後、再びエイドリックの寝台に目を戻す。
彼女の瞳に映るのは、やはり怒りに満ちた、半透明の女性たちの姿だ。彼女たちはただひたすらエイドリックを睨み続けている。
顔には怒りのあまり、まるで血の気を失ったような青白さすら浮かび、エイリックにその爪を立てているように見えた。
女たちの内、幾人かは首を締めそうなほど接近し、顔を寄せて今にも飛び掛からんばかりの勢いだが、それぞれが同じ場所に居る半透明の他の女性たちを認識している風ではなかった。
エイドリックがいかにして彼女たちを引き寄せたのか、その原因はパーディントン家の住人の目には明らかだった。
「どうやら、ただの風邪ではないようですね」
フォルトゥナの冷静な言葉に、父親が長い溜息を吐いた。