ESP第二回会議
その日は、朝から雨が降っていた。それもかなりな雨量だ。梅雨の終わりだから仕方が無いが、西日本は、かなりの量になっているらしい。近年になってから、九州をはじめとする、西日本のこの季節の雨の量が、今までとは桁違いに多い、これを気候変動、温暖化の結果とする意見が多いが、では温暖化から豪雨にいたるロジックがいまいち分からない。庶民には分からないだろうと馬鹿にしているのだろうか。美里は常々科学者の、あのテレビに出ているときの肩書である専門家という言葉に疑念を抱いている。お前は何の専門なんだと、焼酎を飲みながらテレビ画面にツッコミをいれているのである。それに雨が無くなったら、次は酷暑である。
体温を超える気温が何日も続く。いったい日本から、からっとした熱いが、どこか爽やかでもあった季節が無くなったのは何故か、本当に解明してほしい。原因が分かれば対処も可能なのだ。東京の現在のような夏にオリンピックを持ってこようなんて、正気の沙汰とは思えない。
美里は新宿の東口の伊勢丹ビルの裏当たり、新宿三丁目の小さな喫茶店に座っていた。この辺りは、かの大歓楽街の歌舞伎町とは異なり、ずいぶんおとなしい町だ。右手に歌舞伎町を見れば左手に新宿二丁目が見える。いわば虎と狼に挟まれた子羊もどきのオントウな街の風情である。
だが、その喫茶店にやってきた人物は、かなり不穏当な話を持ってきた。
入口をじっと見ていた美里は、その人に感じたのは、美人だわな、スタイルいいし、女性としては、背がまあまあ高い。切れ長の目と黒色の長髪が美しい、というごくありふれた感想である、が、それは綺麗に裏切られた・まさに事実は小説より奇なり、である。
その人は私に言った。
「初めまして、江藤清美です」
そして続けた。
「驚きと思いますが、私は生物学上、雄です」
「え!」
何、この人私よりきれいじゃない!
「へえええええ そんなことあるんだね、やっぱ時代は進んでいるね」と言ったのは赤羽幸雄。
ここは、陛下と初めて会ったホテルの場所である。硬く言えばESPの二回目の会合である。ただ多分皆、いわゆる普通の会議は大嫌いという人種だと龍博は思っている。
「これは。どこの週刊誌もつかんでないけどね」と美里。
「へー、じゃ、その人、相当に女らしいんだ」
「私よりも、よっぽど女らしいわよ、美人だし」
どう反応していいのかわからない龍博と無表情の隼人。男性陣は、まあそうなるだろう。こういうのに冷静なのは女性の方であろうと美里は思う。現に白石由紀子は平然としている。
由紀子は言った。
「つまり江藤清美さんは。同意のないまま性交渉を挑んだが、その目的を果たせなかった、なぜなら彼女の性器は自然のモノではないから。美里この場合法的にはどうなるの」
「強制性交には変わらない。ただし同性が同性をレイプした例は、これまでもあるけれど、強姦罪が適用された例はきわめてわずか。これには被害のあった人が、まず他人には言えない、ほとんどの人は黙るから」
由紀子は額に皺をよせ、思いっきり難しい顔になった。まあ難しい問題ではあるが。
「でも江藤さんは性別適合施術を受けていたのよね、これは男が女を強姦したとちゃうの?」
最後が関西弁になったのは由紀子は実は相当怒っていると思った。何に怒っているのか、それはB氏にであろう。
「江藤さんは確かに手術を受け、性同一障害特例法により女性の戸籍変更の申請中なの」
「江藤さんは、裁判で争うの? 思い切り傷つくのは江藤さんだろう」とマトモなことを言った幸雄。
「確かに、通常の強姦罪でも難しいのに、さらに困難になる。暴行罪が予想できるけど、それでは街の喧嘩と同じ、こんな裁判を公平に、かつ理性的に判断する裁判員が日本にいるとは思えない」
皆しばし沈黙をした。そして龍博が鼻をぼりぼり掻いて、
「まあ、法律の問題はさておき、江藤さんが、どういう経過でB氏と、まあそういうことになったのかを知りたいな」
皆が美里を見た。美里はうんとうなずいて、言った。
「ことは二年前にさかのぼる。江藤さんは高校卒業後、常に自分は男ではなく女だという典型的な例で悩んでいた。これのどこが悩みなんだという男に、もし、お前が強制的にスカートをはかされ、女子トイレしか使わせないと言ったら、人権侵害だというでしょうね。トランスジェンダーはこういう分かりやすい問題なのに、日本では世間の一般的な受け入れはまだまだね。まあとにかく江藤さんは高校を出ると、就職して、性別適合手術をうけることを決心する。そして貯金をして、三年後にタイに渡り手術を受けた」
すると幸雄が手を挙げる。
「僕は常々思っているんだけど、なんでタイなの? 日本でもできるんでしょ」
「あなたがんになってがん専門医に見てほしいでしょ。何故?」
美里の問いに、
「それは、専門家に診てもらうのは当然じゃん」
「だから何で専門家が必要なの?」
「それは、その病気についてよーく知っていて、対処法を知ってるから、ん! そうかあ、タイの方が性転換についてはスキルが上なのか」
「そのとおり、性転換なんて簡単に言うけど、赤羽君、自分の身になって考えてみて、切られちゃうのよ」
幸雄は、
「ぞっとする」
龍博は、
「俺も同感だな」
隼人は、
「まったく」
美里は続けた。
「それで、江藤さんは無事、手術を終え、戸籍変更と進んだけど、ここから難しい、性同一性障害者は、まあ障害っていうのは私はいやなんだ。彼らは体のどこかに障害を持っているわけじゃない、きわめて正常なんだから、あ、また脱線したわね。つまり江藤さんは二十一歳になって初めて生まれたと言っていい。でも、この後の人生を歩くことになって、自分が何者になれるか、そう考えたとき、あまりにも、それまでの人生が女になることに必死で、職業とか、未来とかを考えることが無かったことに愕然としたわけ」
龍博が腕を組みながら言った。
「なるほど、江藤さんは二度生まれたわけだ。だが、二十一年間のハンディキャプは大きいわけだ。そこから始める職業となると難しいな。今は何をやっているんだ?」
「水商売」
「まあ、そうなるな」
「ただ江藤さんは、二十一年間の生を、いわば性と闘った時間を、もっと皆に知ってほしい。タイで江藤さんは日本だけではない世界中に自分と同じ苦しみを持った人間がいることを知った、そして、その苦しみを無くすために何かやりたい」
龍博が天を仰いでいった。
「なるほど、読めてきたな。B氏は江藤さんの店の客だろう」
美里はさすがと思った。
「そう、そして、その話テレビで扱えると言った」
幸雄が
「あちゃー悪党だね。桃太郎侍が許さない」
思わず、
「あなたねえ、なんで知ってるの」と美里が突っ込んだ。
「まあ、漫才はおいて、結局、打ち合わせと言って、いろいろな店をはしごしてB氏は江藤さんに酒をのませ。最後はラブホに連れ込んだ」
隼人が初めて口を開いた。
「それで、所轄の警察に高木さんはB氏を訴えたわけだ。そして、確かに逮捕状は出た」
美里は頷いた。
「確かに逮捕状は出た。海外に居たB氏が成田空港に帰る、その瞬間まで刑事が成田で待っていた、しかし」
隼人が引き継いだ。
「しかし、逮捕状は握りつぶされた。いわば天の声が下った、か」
「マンガみたいな展開だね」と言ったのは幸雄。
「ああ、こんなことはできないというのが法治国家の要諦だ。日本は法治国家ではないな」とニヒルに言った龍博。
「でも、こんなこと簡単にはできないでしょ。隼人君」と由紀子。
「ああ」と隼人は頷いた。すこし顔を天井に向けて、
「管理官、一課長でも無理だな。やはり刑事部長かな。まさか公安の案件ではないだろう。それにしてもB氏って奴、大概だな。いったい何を握っているんだ」
龍博は皆を見て、
「ここからは、法と権力の問題だ。これが直接ESPに関係するか分からない。だが政権中枢に、かなり都合の悪い話があるかもしれない。高瀬君、緑川さん、引き続きよろしく。