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広告代理店D

 白石由紀子はメールの文面を確かめると、すぐに削除した。そしてスマホを握ると立った。

「ちょっと、外に行くわ」と今、会社にいる、三人に声をかけた。

「おでかけですか」と坪倉和子が声をかけてきた。和子は「デザイナー兼秘書のようなもの」という職名があった。名刺にもそう書いてある。和子の名刺を初めて見た人は必ずへーという顔して和子を二度見する。そうさせているのは由紀子社長なのだが、由紀子の名刺にも社長のようなものと記してある。やっぱり、初めてそれを見た人はへーという顔になる。大変無礼ではあるが由紀子は広い心でそれを受け止めることにしている。だいたい、普通の社長が休日に社内にテントを張って寝るだろうか。いるかもしれないが少数だろう。


「ちょっと外に出てくるわ。缶コーヒー飲んでくる」と言った。

由紀子が、こういう表現を使って行動するのは大抵何かある、そう社内の皆は経験上知っているだろうが口にしない。

 由紀子の会社のミューズが入るテナントビルを出た由紀子は一番近いコンビニに入り、雑誌棚の前に立った。右にフツーの週刊誌、左にイカガワシイ雑誌の並ぶ棚に向かった。左側に立っていた若者が、こっそり棚から離れる。


 週刊展望を由紀子は手に取ると、目次を見て、それを閉じると、手に持って、ついでにコーヒー缶も持ち、レジに向かった。児童公園に行き、公園の中の小さなベンチに座り、コーヒー缶のプルトップを引き、ぷしゅっと音を出す。週刊展望を開き、目当ての記事を読む。ふーんTテレビのB氏か、こいつの身元を探れば内閣の弱みが見えてくるかもしれない、そういうことか。基本的に広告代理店D社は部署ごとに各メディアの担当が決まっている。新聞、テレビ、インターネット。特にテレビ局はキー局の担当が決まっている。すなわちT放送の局長、プロデューサーなどの、仕事、趣味、誰が好きか嫌いか、陰険か陽気か、ゴルフのスコアは、麻雀の腕は。政治家と仲が良いか、誰と良いか、誰と悪いか、女の癖はどうか、それともLGBTQのどれか、つまり担当部署が丸裸にする。人間は情報の塊だ。それを整理し、分析して、利益を得るのだ。これがD社の営業の基本だ


 由紀子はクリ二課、つまりクリエーターだったから。営業のように、その手の情報は多くない。だが詳しい人間を複数知っている。さてテレビ局の現在はどうか。まず、それを知る必要がある。

 由紀子は一本の電話を入れた。すなわち広告会社D社秘書課。

 そして一時間後、


 六本木通りのカフェの通り側の席に陣取って由紀子はブッラクコーヒーを味わっていた。すると、コツコツとヒールを鳴らして、青の夏のワンピースを爽やかに纏って、女王様が、いや違った、高林澪が近づいてきた。

「由紀子、しばらくね」

 由紀子が、

「まあ、座ってよ」


 凜は椅子に座り、長い足を組んだ。スカートの丈が少々短いため、長い足のかなりの部分が露出するので、男性が見れば、さぞときめくだろうが、由紀子は女性である。

 由紀子は週刊展望の、その部分を開いて、テーブルの上に乗せた

「この男知っている?」

 澪がしばらく記事を読んで言った。

「TテレビのB氏ね」

「知っている?」

「直接は知らないけど、あたしのボスの系列にTテレビの営業二局がある」

「あんたのボスって」

「専務よ、今あたし専務秘書なの」

「へえ出世したわね」

「あたし、誰かと違ってシタタカだから」


 由紀子はぐっと前のめりなった。

「真面目に言うと、この週刊誌のB氏の情報が欲しい」

 凜は鷹揚な態度を崩さない。

「何のため?」

「政権の弱みを知りたいの」

「なぜ?」

「言えない、これは墓場まで持っていく」

 凜はじっと由紀子を見た。

「由紀子は何のために、それやっているの。お金?」

「正義のため」

「アハハハ、アンパンマンみたい」


 凜はすこし、人差し指で、顎の先を撫でた。これは凜が考えているときのしぐさだった。そして、

「いいわよ、でも情報って言っても漠然としているわね」

 由紀子は週刊誌を指さした。凜はああという顔になって。

「こいつの女癖ね」

「そういうこと」

「まあ、探って見るけど」

 女二人はその後、たわいもない話をして、凜の方が先に帰った、

 そういえば凜は幾つだっけ、三十を超えているのは間違いないが、まあだいたい自分と同じくらいだろう。能力は間違いなくある。なければD社の専務秘書などになれるわけはない。そして秘書は表に出ない情報を握っている。必ず何か出る。

 だが。由紀子は椅子に座ったまま、また一本の電話を入れた。

 

 東京メトロ日比谷線の六本木駅を降りて、いろいろある出口の階段を上がると、たいてい、六本木通りという大きな道路に出る。そこから、日本で二番目に高い東京タワーという、長らく日本の象徴に君臨していたタワーが堂々と聳え立っているのが見える。この、ときに赤になったり、青になったりする塔を目指して六本木通りを歩くと、とにかく坂が多い。六本木から麻布にかけて歩くと、おそらく同じ距離を平面で歩くことと比較して倍は疲れる。上下の起伏の多い、歩くことが趣味の方にはおすすめの道ではある。その坂のうちで狸穴坂という坂がある。タヌキ穴坂ではない、マミアナ坂という。狸という言葉はアナグマとかタヌキを意味するらしい。


 この狸穴坂がなかなかに長いし、結構な勾配の坂である。この坂を下りると狸穴公園という小さな公園があるが、むろんタヌキアナ公園ではない。マミアナ公園である。その公園の真向かいの灰色のビルの地下部分にLE・FLEURS・DE・MALSというカクテルバーがある。フランスのボードレールの有名な詩集「惡の華」のフランス原語である。


 壁は赤と黒の混合色の蘇芳食、カーペットは黒の、だいたい暗い雰囲気である。カウンターが十五人くらいの幅で、翡翠色。

 白石由紀子は、たった一人、奥端カウンターでカクテルを味わっていた。今は午後十時。

 すると、ちょうど十時五分、図ったように、その男は入ってきた。ブルースーツに紅いネクタイ、白い靴。頭は金色の短髪。みるからにお近づきにはなりたくない人種であるが、まっすぐ由紀子のそばに近づき、

「とうはん、お待たせしました」と低い声で言ったので、周りの客はほっとしたようだ。


「三郎、あんた、もっとましな格好できないの? それじゃ皆ビビるわよ」

 由紀子の言葉に帯刀三郎は頭を下げ、

「すんまへん、これでも地味な格好のつもりなんですが」

「まあ、いいわ、座りなさい」

「失礼します」と大阪特有のイントネーションの声を発して、三郎は座った。

「あんた、東京に出てきて何年?」

「四年です」

「いい加減慣れないの、東京に、どう見てもこてこての大阪人やわ」

「自分、慣れとうないです。東京弁」

 由紀子は仕方が無いという顔をして言った。

「あんた、テレビ局の情報持っている?」

 由紀子も大阪弁になっているが気が付かない。三郎が答える。

「無くは無いですが、まともな情報じゃありまへん」


 三郎は、関西を拠点とする広域指定暴力団桜会の幹部で東京方面の責任者である。なぜ三郎は由紀子を「とうはん」というか、それは桜会の親分が由紀子の父、佐倉剛三だからだ。白石というのは母方の名前だ。子供は親を選べない。由紀子は小さい時から、三郎のような人種と付き合ってきたのだ。また言わば、広告会社D社に、ある意味で反旗を翻した由紀子をD社がつぶせないか、その理由が桜会なのだ。ずいぶん、すたれたと言っても、やくざの行動原理は市民のそれとは違う。由紀子のためなら、何でもするというやくざは複数存在するのだ。

「まともじゃない情報が欲しい、この男について」と由紀子は週刊展望のそのページを開いてB氏の写真をつっついた。

「へ―何者でっか? この男」

「Tテレビのプロデューサー」

「あちゃー、あかんわ、とうはん、そいつらの人種はへその下は無法地帯や」

「ただの不倫なんかじゃない、もっと大物の話」

「大物でっか?」

 由紀子は週刊誌を指して、

「こいつの周りで、出てくる人間が大物すぎる」

 三郎は週刊誌を眺めて言った。

「誰です?」

「内調のトップや警視庁刑事部長」

 三郎はほーというような顔をした。

「そいつはごっつい話でんな」


 由紀子はぐっと三郎に顔を近づけた。

「あんたの事務所のところで、テレビに出ているのは何人くらい」

「うちの芸能事務所では五、六人というところですね」

「案外少ないわね」と由紀子が言うと、三郎はにやり笑った

「系列を含めたら、その十倍くらいですわ。リスクは今時なるべく少なくですわ」

「B氏のことなら何でもいい。情報が欲しい」

「わかりました」

「報酬は少ないけど」

 三郎は笑って、その言葉を受け流した。

「あちゃー、とうはん、お金なんか要りませんわ、水臭い」

 由紀子は言った。

「何かが出たら、決してあんたたちの損にはならない。約束する」

 三郎はにやりと笑った。初めてやくざの顔になった。

「期待しています」


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