勇人とジェーン
モルフォのネオンサインはひっそりと灯っていた。隼人はゴールデン街は初めて来た。新宿には大きな所轄の新宿署があるから来たことは何回かあるが、キャリア官僚の、それも警察となれば、あまり縁が無い。
「よくもまあ、これだけ小さな店が集まっているもんだな」と言いながらきょろきょろする。
すると前から、ワンピースの長髪豊かな、長身の女性?が歩いてきた。すれ違った瞬間、かなりの量の香水が匂った。
「はは、女装だよ」と小さい声で龍博が隼人に言った。
「キャリアの中にも、そういう趣味ある人いるみたいだぜ」
「本当か?」
「キャリアはストレスたまるからな。パワハラより、よっぽど上等だ」
そうかもしれない、と思った瞬間、俺にも、そういう趣味に走る可能性があるのか? そう思ったらぶるっと震えた。
モルフォはゴールデン街の店の例にもれず、小さい、白いカウンターのみの店で、名の知れぬ絵画が数点、クリーム色の壁にかかっている。
隼人はママのジェーンを見たとき、言い知れぬ魔力を感じた。すると、
「おや、あなた霊力あるわね」とジェーンがのたまわった。
龍博がへーという目になった。
「ママ、それ本当か?」
ジェーンは頷いた。
「本当よ。あなた幽霊見たことあるでしょ」」
隼人は内心穏やかならずだった。なぜなら本当だからだ。夜遅く、たった一人でデスクにいるとき、廊下に気配を感じて、覗くと、提灯を持った女が歩いていたり。一つ目の小僧が、窓から覗いているのを見たりしているからだ。殺人現場は正真正銘の地獄だ。おそるべしゴールデン街。
水割りの氷を口の中でかじりながら、ぐっと琥珀の液体を喉に流し込む。ウイスキーは口に苦かった。すると龍博が聞いてきた。
「高瀬さん、あんた、この事件どう思う」
隼人はうっと詰まった。事件のことは、こういうところでは言えないじゃないかと思った。それを見透かしたように、龍博は言った。
「大丈夫、この店で話したことは外に漏れない。漏らした人間はただですまない、らしい」
苦笑いをして、隼人は言った。
「この事件の本質は何か? ということだな」
龍博は頷いた。
「ああ、ただの男女のよくある痴情問題ではないということ。まあそういう面もあるが」
「合意があった、なかったか、よくある話だ」
「ああそうだ。ママさん」
「何よ」
「男女のセックスの合意があったかなかったか争うことを、どう思う?」
「まあね、その手の話はよくあるし、本当のことは微妙よね。男は女がその気だった。女はその気がなかったっていう線は曖昧なのよね、だから男のほうが社会的地位があって、女のほうがホステスかなんかなら、示談で済ますのが普通よね」
「まあ、これが普通のごたごたなら、それが正解なんだが」と龍博が言葉を濁すと、
「何よ、何かあるの?」
「所轄が逮捕状を取っているんだな。そして逮捕直前で上から圧力がかかって逮捕はパー、その後、事件捜査は所轄から本庁に移った」
「何、それ、それじゃ女は激怒するんじゃない」
「だ、そうだ警視庁」
隼人は腕組をして、思いっきり顔をしかめて見せた。そして、
「これ絶対許さん」と唸った。
「でも逮捕状をチャラにするなんて、どんな人よ」
このジェーンの疑問に隼人がゆっくり言った。
「多分本庁の課長当たりではだめだ。部長以上じゃないと」
龍博が言った。
「もう分かっているんだろ」
隼人はちっと思った。嫌な奴。
「公安じゃない、こんな事件、公安は扱わない」
「すると」と龍博が一押し。
「刑事部長と、なぜか内閣情報官」と頷きながら隼人は答えた。 この取り合わせがたしかに不思議と言えば不思議。
「この取り合わせは妙だな」と龍博が難しい顔をして言った。
「結局、B氏の人脈というところか」と隼人が腕組をしながら言った。
龍博がオンザロックの氷と液体を揺らした。
「B氏を洗えば、裏のつながりがわかるかもしれんが、B氏は民間人だ。どうやって権力構造に食い込んだか。B氏は何やっているんだっけ」
隼人は、その時ハっとした。
「B氏はテレビ局のプロデューサーだったんじゃないか」
龍博が、にっと笑った。
「最近そういうことを、よく知ってそうな奴と出会わなかったか」
二人同時に言った。
「白石由紀子」
続けて龍博が言った。
「B氏はテレビ局のプロデューサー。テレビと言えば広告代理店D社。白石はもとD社」
まあなと心の中で呟いて隼人は頷いた。