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二○二X年二月二六日

 その日の山は朝から霧雨が降り、その雨は冷たく凍りつくような風を地上に吹き付け、白と黒い山肌とのコントラストで、無機質な、なにか美しくもあり、また不気味でもある別世界のような空間を描いていた。


 今から半世紀ほど前に、同じく二月下旬に、軽井沢に重い銃弾の音を響かせた集団が存在したが、その冬の空間も今日と同じような異空間を思わせるようなものであったろうか。

 窓の外から見える今夜の準備に忙しい男たちの吐息も白い煙のようだ。銃弾の黒と吐息の白、これもまたモノトーンだ。本当にあれが起こるんだろうか。そんな疑心が湧き、龍博は眩暈に見舞われた。が、同時に、彼らの高揚感がまるで龍博の眠っている獣性を呼び覚ますような恐怖を感じていた・

「あいつら、本当に今日あれをやるのかな」と隼人が言った。

「ああ、やるな」と龍博は答えた。

「まあ参院議員選挙しだいだがな」

「ネットを見ると、まず間違いなさそうだな」

「何か…」

「何か?」

「なんとなく映画でも見ているようだ」

「そうだな現実離れしている」


 そうだ、ここに流れる風景は物語になるかもしれない。テロリストの冬、映画の題名になりそうだ。だが、リアルに戻れば、何とか野党が踏ん張って、民自党に三分のニを取らせないでほしい、そうすれば何人かの命を救うことになる。だが実は龍博は自分の心を図りかねていた。もちろん殺人は悪だ。だが一方で彼らの作戦の成功を秘かに、だが確かに望んでいる部分がある。これを矛盾というのだろうなと自重をこめて龍博は思う。


 昼過ぎに隼人がやってきて、

「携帯を一時、私に預からせてください」

 なるほど、本当に出発するのだな。途中でややこしいことさせないためか。

「分かった。ただ、三人は解放したんだな」

「はい、朝早くに車を出して、東京までお送りしました。その車ももう帰ってきました」

 ほっとした。彼らはまだ正気がある。ただ夜になれば、それも消えるかもしれない。

 陽が落ちた。


 そして、いっせいに車のクラクションが鳴らされた。それは出発の音でもあり、彼らの雄叫びであろう。

 ゆっくりとトラック二台、乗用車四台は暗い山荘から出発した。

 龍博は隼人と乗用車に乗っていた。優斗が運転している。龍博は助手席だ。


 外はいつしか粉雪が舞い始めた。冬の最後の雪か、ライトの光に照らされてチカチカ光る。暗い闇の空間にちりばめられた光はまるで銀河宇宙の中を彩る恒星のようだった。

「ありえざる空間、ありえざるテロか」と龍博はつぶやいた。

「えっ?」と優斗が聞いた。

「いや何でもない」

 部隊は山間部から、出ようとしていた。だが、

 警笛音が響いた。

 優斗が訝しげに言った。

「何だ?」

 龍博がボソっと言った。

「間に合ったか」

 隼人は目を瞠った。

「あなた、何を」

「……」


 黙って龍博は優斗を見た。それは、はたして安堵のつもりか、それとも悔悟か龍博自身が判然としなかった。

 優斗と龍博は車を出た。

 トラックの前に出ると、ライトの光の中に深紅のジャガーが横付けで、道をふさいでいた。

 また飛ばしてきたんだろうなと思った。にしても横に座って寝ているのは、まあ幸雄だろうなと思った。

「これは?」と優斗はジャガーに近づき、ジャガーを囲んで車を叩いて「おい、何してる!」「ここを通せ!」と怒鳴っている男たちを制して、運転席のミラーを叩いた。すーとミラーが下ろされ、

「こんにちは」と美里が平然と言う。

「何をしているんですか?」と穏やかな口調で優斗が聞いた。

「ドライブの休憩よ」

 人を食った返事である。

「ほう、ドライブね、よく道を覚えていましたね」

「頭は悪くないんで、ごめんなさい」

「出来るなら、車を通してほしいんだけど」

「だめ、お酒飲んじゃった」と美里は缶ビールを出した。

「ほんとうに飲んでいるのか」

「今日はろくでもない日だから、飲んじゃった」

「ろくでもない?」

「政権与党が三分のニ取っちゃうかもしれないって」


 優斗はほうと目を瞠った。

「それはろくでもないですね」

 美里は艶やかな声で言った。

「だからさ、あなたがたも飲んでパーとやったら」

「すごい度胸ですね。屈強の男たちに囲まれている。しかも隣の男は寝ている。あなたがたはいったい何ですか?」

「ああ、言っとくけど、蹴っ飛ばしたら高くつくよ、このジャガー新品だから」


 ああ、その辺にしないと、この集団は危険だぞ、美里。と思いながらも、龍博は美里の度胸の良さに驚いた。もっと驚いたのは幸雄が本当に眠っているみたいだからだ。度胸というより、恐怖という感情が無いのか。

 その時、山の曲線を走る車のライトが見えた。ライトはみるみる近づきつつあった。

 やっと来たか、ぎりぎりセーフだな。

 ライトが近づいて、男たちの前にゆっくりと止まった。粉雪が少々大きくなり、人々の肩に積もりはじめていた。吐く息は白く煙のように暗転の空に吐き出された。

 ライトが煌々と輝く光の中、そのベンツは止まり、助手席から一人の人物が出てきて、後部ドアを開けた。その人はベンツから静かに出ると、男たちの前に悠然と立った。

 後部ドアを開けた人物が一歩前に出て、皆を見回した。

「宮内庁長官谷原です。諸君には、ここで引き返してもらいたい。君たちの心情は察するが、いやしくも日本は法治国家です。暴力で自分たちの意志を通そうとするのは間違っています」


 優斗も一歩前に出た。

「長官には、私的には恩義があり、感謝もしています。しかし、我々はまさに止むをえず決起しました。あなたがたがこんなに素早く連携したのには驚きましたが、私たちも引くに引けません」

 宮内庁長官が言葉を発しようとした、その時、長官の背広の薄く雪が積もった肩を、その人は叩いた。そして宮内庁長官の前に、隼人たちの前に立った。


 隼人は絶句したようだ。そのほかの男たちも唖然とし棒立ちになった、龍博と隼人そして美里を除いて。

 優斗はつぶやいた。

「陛下」

 まさに今上天皇、その人だった。

 少々、白くなっている髪に白雪が被さり、陛下が雪の精に見えた。

「倉科君、単的に言おう。君たちの行動は間違っている。私は政治に関わることはできない。しかし議会の勢力状況がどうあろうとも、憲法上議会ができるのは発議に過ぎない。隼人君、決定権は国民にある。私は平和憲法を半世紀以上守ってきた、この国の名も無き人々を信じている。君たちの行動はその名も無き人々を裏切ることではないかね。それでも、決起すると言うのなら、私の屍を超えて行きたまえ」

 この言には龍博も驚いた。これほど強い言葉を使うとは思っていなかった。隼人も唖然としている。


 長官が凜として言った。

「諸君、陛下がこういう言葉を発せられたのは、おそらく日本史上稀なことだ。倉科! 返答やいかに」

 優斗はゆっくり白鉢巻きを解いた。

「青柳さん、私の負けですね。あなたがたの本当の案はこれだったのですね。いつから考えていたんですか」

「君の演説を聞いたときから、君たちの意志が本物と感じた。だから、君たちを本当に止めるにはどうすればいいか、ずっと考えていた」

「籠城作戦は、嘘だったんですね」

 龍博は空を仰いで言った。

「ああ、そうかもしれないが、君が陛下の言うことを聞かない可能性もあったから、その時は「籠城作戦」もやむをえないと思っていた」

 隼人は苦笑いをした。

「あなたを引っ張り込んだ私の負けだ。あなたがたのような人が居るということは、まだこの国もまんざらではない」

 その時、隼人が頭をぼりぼり掻いた。

「ただなあ、これだけの武器を不当入手して使用しようとしていたのは見逃せない」

 優斗は頷いた。

「もちろんです。高瀬さん通報してください。裁判で、私たちは私たちの意思を主張します」

 龍博が、

「だが、陛下のことは……」と言うと、優斗は苦笑いをした。

「もちろん言いません。もっとも言ったところで誰も信用しません」

「まあ、そうだな」


 するとベンツに乗っていた由紀子が降り、二人に近づいてきた。

「ご苦労さん」と龍博は声をかけた。

「まあ、ぎりぎりセーフね」

 すると宮内庁長官がハンドルを握りベンツはゆっくりと陛下を乗せて、この場から離れていった。

 美里がビールを飲みながら、

「ねえ、車の中で寝ているこいつ、ここに置いていっちゃおうか。起きる気配が無い」


 龍博が頭をぼりぼり掻きながら、

「まあ、それはかわいそうだから、優斗君に言って、車を借りよう」

「そうね、でも本当に良かった。私たち三人の解放が分かれ目だったわね、あれが拒否されていたら私たちの負けだったわね」と由紀子が言うと、

「優斗君は果たして何も分かっていなかったのかな?」と龍博は雪の断片が間断なく舞い散る夜空を仰ぎ見た。


長い物語を、最後まで、読んでくださって、ありがとうございます。本編はこれで終了です。また、あまりネットでは見ない物語を考えています。私の小説は「新宿ドリームステージ~夢は現出する、リアルこそ夢である~を連載中なので、そちらもよろしくお願いします。

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