襲撃
その電話は由紀子が、まだミューズのオフィスに一人仕事をしているときにかかってきた。時刻は夜十時。
受話器を耳に当てると、
「何? 三郎」
「とうはん、今どこでっか」と三郎のひっ迫した声が聞こえた。
「会社だけど」
「誰かと一緒でっか」
「一人だけど」
受話器の向こうで三郎の声が途絶えた。
「三郎、どうしたの」
「とうはん、よう聞いてください、今、全部の明かりを落としてください、とうはんの会社はビルの何階ですか」
「四階だけど」
「とうはん、明石組のヒットマンがとうはんの命狙っています。明石組のスパイ捕まえて、吐かせました。それによると今日ですわ」
「ふん、返り討ちにしてやる」
「とうはん、相手はチャカ持ってるんですよ、一刻も早く、そのビルから出て、安全なところに行ってください」
「相手は、私のこと知っているのね、そしてオフィスの場所も」
「知っています」
なら、むやみに部屋の外に出るのはかえって危ない。
「あんたが、こっちに来るのは何分後?」
「30分、いや20分で行きます」
それくらいなら、何とか持つかも。
「いったん切るわよ、速く来て」
「はい、とうはん、間違っても相手を捕まえようとは思わんように」
ふん、私の性格分かっているわね。
「ほなら、待っとってくださいよ、とうはん」
「うん、速く来て」
携帯を切った。そしてデスクの明かりを消した。そして、そっと窓をさけて、隣の大部屋に移動した。空間はシーンとして動かない。
正面に廊下への扉があるが、さてどうするか。殺し屋が入ってくるとすれば、窓からか、あるいはあの扉しかない。
一度冷静になる。ここは都会のど真ん中のビル。窓は道路側に面している。まず窓から侵入はないだろう。とすれば非常口、階段、エレベーターか、ただ果たしてここまで上がってくるだろうか。外に出たところを銃撃するというのもあり得る。ただ、その場合には東京のど真ん中で外で発砲するリスクがある。敵はオリンピック級の(あるいはゴルゴ13)射手でない限り、それは無いだろう。また敵は由紀子が敵を認識したことを知らない。つまり、人がいないことを確認して襲ってくるに違いない。すなわち、このビルに入ってくる。ビジネス用のビルだから玄関にセキュリテイシステムは無い。ハハ、これは絶対絶命だな。とにかく時間を稼ごう。由紀子はそっと自分の部屋に帰って、デイスクスタンドの明かりを灯した。そして、すぐに部屋を出る。まあカムフラージュだが、少しは足しになるだろう。
さて、どこに逃げるか、それが問題だ。非常口に行くか、エレベーターか、いやエレベーターはだめだ。エレベーターが四階から動けば、必ず敵は動く。
そうだ! 確か非常用のヘルメットがあったな。用心深く身を低くして、部屋に帰り掃除用具などが入ったロッカーを開けると、紅いヘルメットがあった。入口扉を開く、(ここで警備員が居るだろうとツッコミを入れたあなた、不幸にもこのビルのセキュリテイは無人化されているのである)火事や泥棒が入ると、自動的にコンピューターが警備会社に通報されるわけである。なので多分居ても頼りにならない警備員はいない。大企業のようにセキュリティに金をかけているビルはテナント料が高い。したがって中小企業は入れない。ただヒットマン(ゴルゴ13)に備えたものは多分どこにも無いだろう。
廊下はシーンと静かだった。何者かがいる気配はない。赤いヘルメットを被った由紀子は暗い廊下に出た。耳を澄ますと、何も聞こえない。学校もそうだが、夜の人気の無い、こういうオフィスビルは不気味だ。廊下をなるべく音を立てず、すり足で歩く、パンプスはもちろん脱いでいる。
するとブン! と鈍い音を立ててエレベーターが動いた音がした。エレベーターが動いている。ということは敵はエレベーターか、いやこれはフェイントとも取れる。エレベーターには乗らず、空っぽのエレベーターを動かし、注意を向ける、かもしれない。それでは、エレベーターからも階段からも最も遠い位置に行く必要がある。由紀子はそろりそろり廊下を進み、廊下の右端非常口ドアの前に屈んだ。非常口から敵が来ても、目の前に居るのだから、攻撃しやすい。つまり何とか自分の位置を確保したのだ。後は腰を落とし由紀子はエレベータ―を待つ。ブーンと闇夜に機械音が響き、エレベーターは確実に上がってきている。闇の中沈黙の時間が流れてゆく。
そして、エレベーターが止まり、乾いた機械音とともにエレベーターの扉が開いた。廊下にエレベーターの光がほのかに射す。
誰も出てこない。が、少し待ってみる。すると男がゆっくり出てきた。確かに手に何か握っている。三郎の情報は確かだった。
男は音もたてずに、エレベーターを出て、まっすぐミューズのオフィスに向かう、間違いない。ヒットマンだ。敵は後ろを向いている。このまま後ろに着き、開いているミューズのドアに向かうヒットマンが鍵を開けておいたドアの向こうに入ったら階段から逃げればいい。相手は銃を持っている。
だが! と由紀子は思った。ヒットマンがエレベーターで来る。何かおかしい。普通は見止められるのを避けて、階段だろ普通は。ということはあの男はダミーで実はもう一人階段で来る。二人に挟まれたら逃げようがない。どうする? 一瞬の判断で由紀子はエレベーターの傍に行き、ボタンを押し、エレベーターを待つ。一階に戻っていたエレベーターを待つ。その間に男はミューズの中に入っていった。鍵を開けて正解だ。
由紀子はエレベーターに乗って、一階のボタンを押した。そして素早くエレベータを出た。エレベーターの扉は閉まって、ぶーんの音を立てて、エレベーターが動き出す。
そして、エレベーターが一階に着いた瞬間、一階で発砲音が響いた。
やはり敵は二人いたのだ。たかが女一人殺すのに大の男が二人、しかも拳銃を持って、襲ってくるなど普通はあり得ない。だが、由紀子はあり得ると思った。敵を倒すには二倍の兵力を用いるのは戦争の常識だ。つまりエレベーターを使えば必ず一人が襲ってくる。そう予想した、だから空のエレベーターを動かした。
発射音にミューズから男が出てきた。ドアの陰に隠れていた由紀子は男の背面に取りついた。腕を敵の首に回してスリーパーホールドを極めにかかったのだ。両手で相手の頸動脈を締め上げつつ、右膝を相手の右膝の裏にぶつける。すると男は前のめりになって、四つん這いになった。由紀子は男の両足に自らの足を絡ませて固定し、男の頸動脈を締め上げる。「ぐうう」と唸って、男の手にある拳銃から一発、バン! と音がした。しかし由紀子は力を緩めない。男の身体から力が抜けだして、腹ばいになって落ちた。その時、階段から何者かが駆け上がってくる音がした。由紀子はとっさに男から身体を離してミューズの中に入った。階段から足音がする。しまった!
紅いヘルメットを男が伸びている近くに落とした。
ヒットマンは必ずミューズの中に入ってくる。ならば! 由紀子はミューズの入り口のドアを開け放った。そして、何か獲物は無いか。あたりを見回す。ゴルフセットが目に入った。パターを取り出す。ドライバーやアイアンは長くて使い勝手が悪い。そして、由紀子はケチャップを腹にまぶしてミューズの入口近くに腹ばいになった。パターは腹の下だ。
歩く男の靴音が聞こえ、ミューズの中に入ってくる。相手が近づいてくる。由紀子は気配に耳を全身を集中させた。靴音が途絶えた瞬間、由紀子はさっと立ち上がりパターを振りかぶった。が、
「待った!」「儂や!」
三郎が立っていた。
由紀子は全身から力が抜けていくのを感じた。
「三郎かあ」
「とうはん大丈夫でっか・」
「まったく二人も来るとは聞いてない」
「二人?」と三郎が言った瞬間、
「おらああ死ねや!!」と入口で怒声が響いた。
次の瞬間、三郎が振り向いて手を大きく掲げた。
「おらああああ撃ってみいや!」
バン! と衝撃音が響いた。
次の瞬間、三郎もバン! と撃った。
ゆっくり地に伏す両者。しまった、殺し屋に銃を握らせたまま放置した私のミスだ。敵は息を吹き返した。由紀子は絶叫した。
「三郎!」
「おじょうはん、もう一人居たんですな。はよ言わんとあかん」
倒れた三郎が起き上がろうとしたが、みるみる胸から血が噴き出した。
「馬鹿! 私の盾なんて」
「へへ、こんな傷、なんともないですわ」
三郎は起き上がろうとするが、
「ゲ!」と血を吐き出し、由紀子の服を汚した。
「あちゃー、すんまへん、不細工でんなあ、ハハ」
「馬鹿! しゃべるな!」
「喋れるんまで、喋りますわ。とうはん、わし多分もう駄目ですわ。やくざならしょうがない、まあとうはんの盾なら、いうことなしや。せやけどオカンには怒られるやろな。わしも、オカンより早く逝くとは思わかったんなあ」
由紀子の目につーと一筋の涙がこぼれた。
「馬鹿! 喋るな、今救急車呼ぶさかいに、死んだら、あかん」
「それは、どうやら無理そうやなあ、堪忍」
それは帯刀三郎の最後の言葉だった。
帯刀三郎、享年三十ニ歳。
「三郎!!!!!!」
由紀子は血に塗れた三郎の身体をいつまでも抱きしめていた。
指定暴力団桜会五百名の頂点に君臨する佐倉剛三は憤怒を抑えきれずに真っ赤になっていた。
「それで、三郎をやったのは、明石組なんだな」
由紀子はただ頷くだけだった。
「私のせいだ、私が三郎を殺した」
若頭の須藤達夫が聞いた。
「これは、どういうわけですか、とうはん」
由紀子は事の顛末を話した。
「すると、とうはんは、役人やら政治家を客とする売春組織を突き止めた。それに明石組が絡んでいて、それで明石組に的かけられた。そしてヒットマンに狙われ、三郎はとうはんの盾になった、そういうことでんな」
「まあ、そう、ただ、なぜ売春組織に関わったかは、絶対言えない」
桜会は、まだ任侠色が濃い団体だ。まあ宗教団体に近いだろうが、つまり民主的な行動はとらない。飲み屋、ばくち、風俗をしのぎにしているが、これらは、一家の主人たる剛三に集約され、幹部会で支出を決定する。薬、違法売春はご法度、風俗は違法はやらないのが建前だが。まあ、何事も人間のやることだから多少の緩みはある、が桜会は小所帯ゆえに、かなり規律は守られている。特に佐倉剛三に対する忠誠心は鉄の規律だ。その剛三の娘が狙われたともなれば、おそらく全員いきりたっているだろう。
「理由もなんも問題ないですわ、とうはんの盾で三郎が殺された、これは、ことがことです。わしらは腹括らなきゃならんでしょ」
若頭補佐が殺されたのだ。それがやくざの筋だが、相手が明石組という、日本最大の暴力団となれば、簡単に喧嘩できる相手ではない。
「待って、皆冷静になって、これは私の仕事、三郎は私の身代わりなの、組は関係ないわ。それに明石組と事をかまえて、無事にすまないことは明らかでしょ」
須藤はどすのきいた声で言った。
「とうはんが殺ろされたら、わし等火の玉になって、東京に殴りこみまっせ。最後の一兵まで戦いまっせ。私ら、こっちから喧嘩は売りませんわ。けど喧嘩売られて黙っちゃ、この稼業続けられまへん。明石組一万とはいっても、今日日、日当もらって喧嘩する輩にでんな、下手うつことはできまへん」
「お父ちゃん、ほんまに、やる気」
剛三は爛爛とする眼光で幹部連中を睥睨した。
「お前らの覚悟を聞く。儂の言うことに反対のもんは遠慮はいらん、出て行ってくれ。出て行ったものを責めるもんはゆるさんぞ、分かったな」
十人の若頭補佐と若頭の須藤は、まったく動じることは無かった。
「ちょっと待って、もうしばらく待って、私に時間を頂戴。お父ちゃんが東京に出たら、もうただではすまないでしょ」
剛三は、ものすごい目で、我が子をにらみつけた
「お前も、やくざの娘だろ。やくざの意地をわからんか!」
「私は、もう誰一人として死なせたくない!」
剛三はうっと詰まった。
「お前に何か計画があるんか?」
「ある!」
嘘である。しかし由紀子がここで引いたら、本当に明石組との戦争になる。三郎の死に顔が浮かんだ。私が何とかする。
「十日頂戴」
「一週間だ」
由紀子はまなじりを決した。
「わかった。だから決して早まらないで」




