由紀子の仕事
六本木の「悪の華」に由紀子は独りカクテルを飲んでいる。カクテルの名は「詩人の一滴」。詩人とはボードレールか、ポーかランボーか。
「お待たせ」と肩の後ろから声がかかった。
「ああ、凜、ごめんね突然で」
高藤凛が笑って、おもいっきり短いスカートに、長い足を見せつけていた。
(凜は露出癖がある)などとは口にせず、由紀子は、
「まあ、座ったら」と言った。
「あんた、いい場所知ってるね、道玄坂の由来知ってる?」と凛が聞いた。
「知らない。何?」
「盗賊の名前って言う説がある」
「へー」
凜はカクテル「詩人の一滴」を頼んだ。
「凜は詩人は誰だと思う?」
「宮沢賢治」
なるほどね、凜は、そういう人間か。
凜は続けた。
「宮澤賢治は生涯童貞だったって知っている?」
「へーそうなんだ」
「いいよね、そういうの」という凜を大変変わった人だと由紀子は思った。が、口にはせず、他のことを話した。
「あのさ、ロリコン、明石組、格闘技イベントで思いつく奴、D社にいる?」
凜はしばらく考えて言った。
「……ロリコンならごまんといるけど、明石組、格闘技関係だとFかな」
「げ! あいつ今何してるの?」
「クリエイト部次長」
「ふーん、偉くなったもんだ」
「あいつパワハラを明石系でうやむやにしてもらっている」
「どんな方法で?」
「つまりパワハラ被害者を暴力のプロで黙らせている。まあお金はいくらか用意して」
「ふん屑ね」
「屑よ」
由紀子はまじまじ凜を見返して言った。
「あんた、何で、そんなこと知っているの?」
凜はすまして答えた。
「今のボスが人事畑で、私にブラックリストを作らせて、秘かに探らせたことがある」
「ふーん」
「ロリコンまあ多いこと、あきれたわ」
えっと由紀子は思った。
「そうなの?」
「うん」
「あと、やくざね」
「それは何となく分かるわ、特に営業のやつら、完全にやくざじゃん」
「アハハ、言えるわ、それ」
なるほどFか容貌を思い出してみる。確か、わざとか自然か完全に入道頭の眼鏡付きだった。由紀子はそう思い出して凜に言った。
「ねえ、独り言うわよ」
「えっ」
「だから独り言、Fの部屋ってどこだっけ」
「へえー」と一言言った。
そして「詩人の一滴」を飲み干して、立ち上がった。
「それじゃ、頑張ってね」と言い残すと、颯爽と短いスカートを翻し去った。
由紀子は凜から受け取ったタンブラーの表面に描かれたD社本社屋11F第四号の文字を見た。
「サンキュー」と由紀子はつぶやいた。
今は丑三つ、午前二時、三人の人影が都会のジャングルを疾走していた、念のため、これはキャッツアイではない、何故なら彼らの服装はばらばらだからだ。一人は確かに、ブラックのスパッツに、黒のTシャツとそれっぽいが、一人が白のパーカー、ジーパンでもう一人がこてこてのブラックスーツは、まあ良いとしても、真っ赤な赤ネクタイを締めている。これは、都会を疾走するキャッツアイでは断じてない。だいたい走るより、車使った方がいいのでは、という話である。ともかく、
三人はとある都内でも有数の大きなビルの前に居た。
「裏に回るわよ」と由紀子は他の二人に言った。幸雄と帯刀三郎である。この組み合わせは絶対、情報泥棒に用心棒しかない。そしてこの高層ビルはD社である。
三人はビルの裏手に回り、地下一階に続く表階段を下りた。
「ここが、地下のボイラー室の扉」
「ほな、やりまっせ」と三郎が持ってきた鞄の中から、妙な形の金属を出した。それをボイラー室の表ドアノブの鍵穴に突っ込んで、なにやらこちょこちょ動かし始めた。
「由紀子さんのボディガードって泥棒なの?」と幸雄。
「こら、誰が泥棒じゃ」と三郎。
「お兄さんが」
「こら、ワシはやくざじゃ、何ぬかしとんねん」
「泥棒は趣味なの?」
「アホ! 特技じゃ」
幸雄は案外漫才の才能あるのかも、と由紀子は思った。
その時カチッと乾いた音がした。すると三郎がにやり、
「空いたで」
扉を開けると、真っ暗な空間が広がっていた。ぷーんと異臭もする。由紀子がペンライトを点けた。機械のパイプが設置されたコンクリートの床を三人は歩いてゆく。三分ほどで暗闇に一つの扉が見えてきた。
「三郎、そのネクタイ、普通に変えて」
「え、この赤、気に入ってるんですけど」
「だめ」
三郎はしぶしぶ緑に変えた。
「僕は」と幸雄が聞く、
「あんたはいい」
由紀子は担いだリュックの中から、緑のレディースパンツとジャケットを出した。これはつまり防犯カメラ用だ。
こうして三人は非常灯の灯る地下一階の廊下に出た。
「うわ! すごい長い廊下」と幸雄が中小企業のCEOらしい声を上げた。
「しっ、誰が居るか分からないから、黙って」
「とうはん、こんな時間でも働いてはる人居るんでっか?」
「Dは二十四時間体制」
「やくざはようできまへんな」
「僕もやだね」
防犯カメラはこの機械室だらけの地階には無かった。すばやく階段をあがり一階のフロアーに出る扉まで三人はあがった。
「一階の廊下に出るわよ、真ん中ぐらいに階段がある。そこまでカメラに気をつけて。カメラを見ちゃだめよ。そこから十一階まで歩いて行く」
「ひえー歩いて十一階なんて」
悲鳴を上げる幸雄に由紀子が一喝する。
「文句言わない、行くよ!」
かくて、深夜に、姐さんが子分と、お供を引き連れて廊下を素早く歩き、階段口扉に着いた姿を誰かが見たら「あんたたち何やってんの?」と言われるだろう。なので誰とも会わないように、そっと扉を開き階段口に立ち、そっと階段を上がり始める、が、階段はとても暗いので、ライトを点けたいところだが、やはり誰かの咎めだてがあるかもしれないので、三人は暗闇の中をそっと歩くのであった。ゆえに時間がかかる。
ビルを階段で十一階まで上がると言うのは、なかなかあることではない、なぜなら相当に疲れるからだ。マラソン選手なら平気だろうが、美酒、美食にまみれた現代人には相当な苦行であろう。とくに幸雄には。
最後には手を引っ張って、やっと十一階までたどり着いたとき、幸雄はぐったりを通り越して、死にそうな顔をしていた。だが、仕事はここからなのである。
そっと、扉を開いて覗くと、十一階のフロアーは非常灯以外光は無かった。
「三郎、四号室の鍵開けて」
「はいな」
こいつ本当に鍵開け趣味みたいだな、時々、今みたいなことを一人でやっているんじゃないかと由紀子は推理した。
鍵は簡単に開いた。D社のセキュリティ甘いなと由紀子は思った。
中に入ると、正面の窓の前に黒の椅子と机、手前には応接セットといかにも企業のえらいやつの部屋である。
「あんた出番だよ」
由紀子は椅子にぐったり眠りそうな、いや眠っている幸雄を叩き起こした。そして耳を引っ張って、その部屋の主F氏の机に座らせた。
「早く、パソコン調べて」
「はいはい、ああああ」とあくびする幸雄の後頭部を手のひらとバチン!
「早くする」
「はあい」と幸雄はノートパソコンを開け、スイッチオン。
「由紀子さん、この会社にいたときのIDとパスワード教えて」
「何でよ」
「あのねえD退職するたびに破棄してたら、数が増えるだけとても面倒でしょ、だから新入社員の誰かに振り分ける。パスワードは案外本人が覚えやすいワードを使う。みんな個人のパソコンはがちがちにガードするけど会社のは甘い。本当はやばいのにね」
「なるほど」
「なので、それを突き止めればパソコンにログイン、案外大企業のセクリュティなんてこんなもん」
「でも、それじゃFのデータには辿り着けないじゃない」
「でもクラウドには侵入できる。そこからFのデータを探る」
まあ、この辺は任しておこう。
にしても、こんな上に来ちゃって、Fのセクハラ野郎、絶対いっかいは投げるか、絞め落としとけばよかった。
「ふうん、とうはんは、こういう会社に勤めてはったんですな」
三郎が部屋を見回しながら言った。
「まあ、ここは、ある程度偉い人の部屋。私は主任だったから、大部屋よ」
「すると社長室は」
「ここの三倍はあるわよ」
「ほう、それは入ってみたいですな」
「今日はダメ、やるなら、あんた一人でやって」
すると、幸雄が叫んだ
「ビンゴ! はい、いっちょう終わり、由紀子さんデーター盗んだよ」
「しっ! 声が大きい、それに盗んだんじゃない、借りてゆくのよ」
「はいはい」
こうしてキャッツアイもどきはD社から颯爽と姿を消した。




