追跡
新宿風林会館、1967年に建てられた、押しも押されぬ歌舞伎町のランドマーク、夜ともなると、キンキラキンのネオンサインがまぶしい、風俗の殿堂である。その風鈴会館に、ゴージャスというキャバクラがあった。風林にゴージャスとは、悪趣味も極まっている。そのゴージャスにまったく似合わない、その男、青柳龍博の一応両隣に美女が侍っている。
「ネエ、おにさん、のみなよ」と左側がのたまわった。あきらかに日本語もどきである。多分日本人ではなかろう。
「おにさん、しめいいいか」
これは自分を指名しろという意味であろう。本指名という制度を知らないから、へらへらと龍博は笑うしかない。ただ、笑う一方、右奥の客から視線は外さない。誰か、もちろんB氏である。
にしても腹が立つ、入れ替わりがあるが常時三、四人の女性がくっついている。くそ腹が立つ。などど、見ていると何やら、グラスをピラミッド状に置き始めた。何が始まるのか。
するとシャンパンの栓がポン! と景気よく抜かれたと同時にグラスの一番高いところから流し始めた。なるほど、これがシャンパンタワーか初めて見た。こんなあほらしいことする奴初めて見た。奴とはB氏である。これは誰が飲むわけでもない。ただ流すだけである。そして周りでは女性の嬌声が湧く、ただそれだけである。
「あれってさ、いくらくらい」
「んー四十万よ」
! 阿保くさ、こんな酒の無駄をあえてするB氏は、たぶん、とても見栄っ張りなのだろう。それとも、これくらいは、キャバクラ通いには必須条件なのだろうか、いずれにしても、国家公務員には基本的に無理である(例外もある)今は夜十時、まだ一時間くらい、龍博が入って経っている。実はクラブゴージャスにB氏が入ったことは幸雄から連絡が来たのだ。ESP会議でB氏を、重点的に夜に尾行することを決めた。だいたいのB氏の動向を調査して、彼の退勤時間に合わせ、幸雄が待機する。そのまま家に帰れば、その日は終わり。もしどこか夜の街に入れば、店に入るだろうから、そこは龍博が入る、店を出たら、美里のジャガーに美里と隼人が乗っていて、B氏が歩きなら隼人が尾行。二件目に入ったなら隼人が入って見張る。一件目を出てタクシーに乗ったりすれば、ジャガーが尾ける。三件目以降は由紀子が担当。方法は由紀子の方で考える。なるべくESP以外の人間を使わないのが本来であろうが、五人だけでは、やはり少ない。あえて由紀子の方法は由紀子にまかせることとした。そして一週間経った金曜の夜だった。
その晩B氏は独りではなかった。仕立てのいいグレーのスーツを着た、かなり体重の多そうな髪の薄いーようするに中年の金持ちのおっさんと二人連れであった。場所はゴージャス。この一週間、昨日は西口のバー、その前は六本木と、まあB氏というおっさん、かなりの酒好き、女好きというのは分かった。
そして、「シャンパンタワー入ります」の掛け声でグラスが、みるみる高く積みあがってゆく。そしてなんとまあ、それは人の背丈を超えたぐらいになった
「あれ、いくら?」と女の子に聞くと、
「んーひゃくまん」とのたまわった。まったく庶民にはまったく理解不能の現実である。人間はどこまでも愚か者になる動物らしい。
すると、ここで、もう一人の人物―若者であるが、登場した。濃紺のズボンでホワイトシャツの赤ネクタイの細身のシュッとした若者である。
若者が禿親父になにか耳打ちすると、親父はにんまりとした。これは明らかにスケベの顔である。するとB氏が、手を挙げて、シュッとしたお兄さんを呼び、耳打ちした。するとシュッとしたお兄さんと禿親父は階段を上り、二階のVIProomに入っていった。すると中年のスタッフがトレイに水を乗せて入った。
それから、ちょっと時間が過ぎていった。やがて、B氏は立ち上がった。が、禿親父は帰ってこない。奇妙な話である。とりあえず、B氏は美女たちがお見送りをするなかゴージャスを出た。禿親父は帰ってこない。あの部屋何かあるな。一応隼人にB氏が出たことを連絡すると、龍博はさてどうするかとVIProomのドアを眺めた。なんか変だな。
「あのVIProomでは何をするの?」
この龍博の質問に、美女はケタケタ笑って言った。
「オニサン、ソレハヒミツヨ スケベ」
なるほど、イカガワシイ場所ではあろう。そして三十分、待っていたが禿の紳士は現れなかった。龍博はなんとなく釈然としなかった。
そして、また一週間が経った。もはや夏真っ盛り、歌舞伎町のネオンサインの光が、太陽光のようにぎらつく熱帯夜、まったくB氏は疲れを知らぬかのように飲み歩いていた。絶対年取ってから後悔するであろう、B氏は、多分食道、心臓、肝臓、血液、いたるところに、この不摂生のつけがまわるはずである。
ただ、B氏は多分、ゴージャスの特定のキャバ嬢目当てに来ているんだろうなと龍博は思っていた。当然、B氏を付け回す龍博も結果論的にあししげく通う客というわけになり、それなりのお金を払っていることになる。ただ龍博は、これは仕方のないことになるのだが、ESPの女性陣及び男性陣―つまり全員から、きれいな女の子侍らせて、酒を飲むなんて良い身分とは思われているだろうと思う。これははなはだ遺憾である。予算は確かに宮内庁から来ているので、確かに公金でキャバクラに行く財務官僚と週刊展望に書かれたら、まず懲戒解雇であろう。なので、龍博は女の子に若手経営者とうそを言っていたのである。
そして、ある夜、眼鏡親父とB氏はやってきた。お、ふたりできたのは、あの禿親父以来だな。
眼鏡親父は見ていると、あまりこういうところに慣れていない気がした。女の子がしきりに話しかけても、一言二言、放したきり、酒もあまり進まないようす。
「オニサン、ドウシタノ、ノミナヨ」と言ってくれたのはメリーちゃん、国籍はべトナム。そういえば最近は外国人でベトナムの人の割合が多いとは聞いていた。あの悪名高き技能実習生制度にもベトナム人が多いそうである。メリーちゃん(本名ではない)は日本で、マッサージの資格をとって日本で働きたいそうである。まあそうなればお金は必要だわな。自分は公務員であるが、警察でも入管でもない、したがってトガメダテしない。だいたいそのへんの法律はまったく知らない。
「ああ、そうだな、じゃシャンパン入れてよ」と龍博は言ってしまった。
「ホント!」
しまった。まあ宮内庁持ちだからいいか。一応十万のシャンパンである。これは高いのか安いのか分からない。だが五十万もするものがある。だから安いのであろう。
そして眼鏡の親父の席はお通夜であった。こちらは、龍博が芸能界のウンチクを語っていたから(由紀子の受け売りである)大変盛り上がっていた。特に注目はなんといっても不倫ネタであった。あることないこと喋ったから「ウソー」「ホントカ」などと美女が嬌声をあげるから、大変にぎやかである。
眼鏡親父の席は冷たい雨が降っているように静かだったが、しばらくしてシュッとした灰色のスーツに緑髪の若者が近づいて行った。そして眼鏡親父に耳打ちすると、眼鏡親父はにんまりとした。おや、禿親父と同じだな。そして眼鏡親父は、階段を上り、VIProomに消えて行った。全く同じである。トレイに水を乗せた黒服がVIProomに入っていった。
龍博は何となくひっかかりがあった、まったく同じ状況で、同じ光景である。いったいこれにどんな意味があるのか。
そこから三十分、眼鏡親父は出てこなかった。まったく同じだ。いったい彼はどこへ行ったのか、人間が透明人間でないかぎり、眼鏡親父は、現時点でVIProomにいるはずだが、もしいないとすれば、どうやって出た?
まずは順番に考える。シュッとした若者が来た。眼鏡親父がVIProomに入った。黒服が入った。ん! あの黒服はどこに行った。キャバクラは嬢と黒服が入り乱れる空間だ。そうか! 龍博は携帯を取る。すぐに隼人が出た。龍博は聞いた。「黒服の男が出てこなかったか」
隼人は答えた。
「ああ、さっき黒い服の男が出たぞ」
「追え、そいつがターゲットだ」
「何!」
「いいから、早くしろ!」
隼人は瞬時に判断した。
「分かった」
隼人はやっぱり使える。
VIProomには今、トレイに水を乗せて運んだ黒服が眼鏡をかけて居るはずだ。眼鏡親父は眼鏡を取り黒服を纏って、外へ出た。つまり入れ替わりだ。座席の離れた人間の特徴を覚えるのは難しい、だから禿とか眼鏡とか特徴的な格好をすれば、それが印象的になる。だからそれを入れ替えればいい。そしてキャバ嬢と黒服はいわば風景に溶け込んでいる。また手の込んだことをやっている以上、電話やネットではすまない話、すなわち違法だ。
龍博が店を出ると、深紅のジャガーが近づいてきた。龍博が助手席に乗ると、美里が携帯を隼人に繋いだまま、実況中継が流れている。
「黒服は、区役所通りをまっすぐ、職安通りに進んでいる」
「バッテイングセンターを過ぎた」
「鬼王神社の裏に入った」
「おい、ラブホに一人で入ったぞ」
えっ一人。
「しばらくして女の子が来るのよ、デリヘル形式ね」と美里。
「風営法改正で、店舗型風俗店の開業が無茶苦茶むずかしくなった。規制強化なんでしょうけど、そのおかげで無店舗型が増えた。店舗型なら、客の様子が把握できる。でも無店舗型が増えた結果、女の子がまったくの情報なしで、一人ホテルに向かう。この怖さが分かる、男の人だって、見知らぬ人に会うには警戒するでしょ。女の子たちの恐怖がどれだけのもんか、そんなこと政治家たちはどうでもいいんでしょうね、今、例の男がターゲットなら、未成年が来ることになる。もう怒りを通り越して虚しくなるわね」
龍博は何も言えなくなった。まったく美里の言うとおりである。男のはしくれとしては、恥じ入るばかりである。すると、
「ここね」と美里がつぶやいた
ジャガーの傍らに、ラブホ「エンジェル」が建っていた。
「ハ、エンジェルとはね、完全にロリコンね」
ジャガーに気づいた隼人が手をあげ、来るなと指図した。確かにここは警察の方が良いだろう。
待つこと十分、一人の女性、いや女の子がピンクのリュック、紅いスカートに白のブラウスを着て、隼人の方、つまりエンジェルに向かってきた。
「おい、あれは、どう見ても未成年だろ」と龍博が言うと、美里が頷いた。
「そうね、化粧しているけど、どう見ても十五.六歳ね」
隼人がエンジェルに入ろうとする女の子に近づき、警察手帳を見せた。固まる女の子。
「さすが、桜の代紋ね」
「あいつ捜査権は無いながな」
「そんなこと言っている場合じゃないでしょ」
隼人が女の子と一緒にジャガーに近づいてきた。女の子は深紅のジャガーに目を丸くしている。
隼人が、
「この人たちは警察じゃない、女は弁護士、男は職業不詳だ」と言うと、
「はい…」と女の子は頷いた。
こいつ、職業不詳とはなんだ、俺は立派な国家公務員だぞ、と不満な龍博。
「ねえ、ちょっと女の子と二人にして」と美里。
なるほど、むさい男が根掘り歯掘り聞くのは得策ではないな。
要は例の親父と、女の子の接点があるかないかだ。それを聞きだすのは、やはり同性の美里が適任だろう。にしても、もしあの親父が、この少女を待っているのなら反吐が出る。
龍博はジャガーを降りて、代わりに少女が助手席に乗った。
美里は少女と話し、何かを受け取った。
「これ、龍博さんがターゲットと言った男?」とジャガーから降りた美里が写真を示した。なるほど、写真で客を確認するのか、その写真は、まさにキャバクラに居た男だった。これで証拠は握った。さて次は少女を帰らせるのだが、少女が車から降りて、
「ほっておいて、私はお金がいるの。写真返して」
隼人はぼりぼり頭を掻いた。
「でもね、警察官としては未成年の君を保護しなきゃならないんだ」
「お金って、何で必要なんだ?」と龍博。
「……ホスト」とボソッと少女。
「え?」は男二人。
「つまり、彼女は、ホストクラブの彼氏に、一番になってもらうためにお金が必要ってわけ」と美里が解説する。
隼人は絶句した。龍博は思わず聞いた。
「君は幾つかな?」
「十六」
龍博は目が点になった。
「十六でホストって、君酒飲めないだろ」
「ソフトドリンク」
つまり十六の小娘から金をむしり取っているホストがいるってことだ。いっったい日本、これから大丈夫か?
「まあ、警察としては、客にこの子を渡すわけにはいかない、が、さてどうするかだ」
この子が客のところに行かなければ客はクレームを組織? に問いただすだろう。するとこの子が組織から何らかの制裁があるリスクがある。かと言って客のもとにも行かすわけにもいかない、さてどうするか。
十分後、隼人は外で少女と立つ、龍博と美里はジャガーの中に。
少女はスマホを操作している。
筋はこうだ。
すなわち少女が客に電話する。エンジェルの何号室か分かっているから、客に「警察の人に声をかけられた、どうすればいいか?」と連絡する。すると十中八九、客は「来なくていいから、君も私のことは話すな」というに決まっている。すると「うん分かった、すぐに帰るから」と返事する。まあ使うものは親でも警察でも使うということだ。
美里は男の写真をスマホで撮っている。こいつは切り札だ。そして龍博は、
「こいつの身元は簡単には分からないだろうが、仲買がBであることは間違いない。
「なるほどね。じゃ、私のつてで探偵を使って調べましょ」
さすが弁護士だ、探偵なら警察を通さなくていい。
コンコンと隼人が車窓を叩く。
窓が下がると、
「女の子を適当なところまで送っていく」
「おい、警察じゃないだろうな」と隼人が言うと、
「まだ、彼女は道を歩いていただけだ、警察に連れて行く権限は無い」と隼人は答えた。
車の中から龍博は区役所どおりに向かう二人の背を見ながら言った。
「なんで、あの子たちが歌舞伎町に来るのかね、こんな物騒なところ」
「私も家出したことあるよ」と美里がぼそりと呟くように言った。
「え、そうなのか」
「ええ、十六の頃、なーんか何もかも嫌になって、一週間友達の家とか公園で寝ていた。まあ物騒だわね。でもね案外東京って安全なのよ、そこら辺中に防犯カメラとかあるし、交番はあるし、ネットカフェもあるしね。住所不定者にとっては案外東京は居心地がいいのよ」
「そういうもんか」
「あんたは、どうなのよ、新宿の龍なんて、格好良いじゃない。若いころどうだったのよ」
龍博はぼりぼり頭を掻いた。
「俺は授業料と生活費を稼ぐために麻雀をやっただけだ」
「あのね、普通は、そんな発想しないわよ、授業料免除制度とか奨学金とか考える。麻雀で稼ぐなんて、どんだけアウトローなのよ、それで財務省って何?」
「それは俺も反省している。まあ棺桶に足突っ込んだからな」
「やくざとの勝負?」
「知っているのか」
「弁護士舐めないで、岡石戦争を事実上終わらせた男ね、まあそれだけ聞いたら格好良いんだけどねえ」
「まあ、若かったな俺も」
「つまりそういうこと、あの女の子もね」
「まあ、そうか」
名も知らない少女に幸あらんことを祈るばかりか。




