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由紀子

 六本木・狸穴坂下の『惡の華』は空いていた。まあ平日ではあるし、ここは隠れ家的な店でもあるから、かなり遅くならないと人は集まらない。

 藍色の海のイメージのカウンターの隅に白石由紀子と白瀬三郎は座っていた。

「電話で聞いたことなんかわかった」

「道京会の若頭がらみでっか」

 由紀子は龍博と隼人が得た情報を聞いていた。すなわち、明石組とB氏、そして歌舞伎町TX前、未成年売春。こいつの最後のワードがやばい、というか思いっきり重大なスキャンダルだ、もし、すべてが繋がると、とんでもない犯罪だろう。客が、多分かなり上客で大金が動くともなれば、露見したら、大スキャンダルだ。これは由紀子の手に余る、ということで専門家―白瀬三郎の出番というわけだ。


「簡単に言って、明石組系道京会は未成年売春に関わっている? それとB氏は関係ある? ない?」

「まだ、確証はありまへん、だが可能性はあります。けど、とうはん、これはですな、わしらもいい加減、底の世界ですが、これはもう一段底ですな」

「明石組、B氏どっちが一段底なの」

「どちらもですが、しかし」

「しかし?」

「外道でんな」

 由紀子は笑った。やくざ自体が外道なのに、その上をいく外道を何と言うのだろう。地球外未確認物体―UFOか。


「とうはん、こいつは多分警察が関与してまっせ」

 由紀子は驚いた。

「本当?」

「ことの性質が、未成年売春となれば、客の社会的地位はふっとびます。だから、かなり組織的になります。そうせんと、足が付きます。極秘のシステムですな、だが、こいつは諸刃の剣です。それだけの組織だと、必ず所轄のベテランの現場刑事に嗅ぎ付けられる。その時の対処のために多分警視庁のお偉いさんを飼っておく、そういうことですな。現場の優秀な刑事は、だいたい出世しても警部でしょう。キャリア警察官からしたら吹けば飛ぶようなもんですわ」


 何か絶望的な話だが、これもまた絶望的なことに、これに似た話は堅気の世界にもあるのだから嫌になる。

「その話分かるわね、業界最大手広告会社D社は、その手の話を政界の全方位に行っている」

「そうでんな、D社はやくざの上前はねますからね」

 由紀子は苦笑するしかない。上司を投げ飛ばしても、状況を変えられずはずがない、が、人間には我慢ができないこともあるのだ

「そういえば、とうはんが上役投げ飛ばしたわけ、聞いたことがなかったですな」


 由紀子はシェリーを一口飲むと口を開いた。

「正確には、投げただけじゃないわよ。裸締めで落としたんだから」

「ブー」三郎が酒を少し吐いた。

「何よ、不細工やわ」

「すんまへん、しかし、とうはん締め落としたなんて、聞いてまへんで」

「言ってないし、男も女にそこまでされたら、さすがに隠すでしょ」

「ああ、そうでんな、で、何があったんです?」

「私が可愛がっていた後輩がいてね、この娘、めっちゃ可愛くて、頭がいいし、結構苦労人だったのよ」

「へー」

「母子家庭なんだけど、頑張って国立大学、奨学金とバイトで出て、D社にガチで入ってきた」

「ガチですか?」

「D社はねその年の新入社員は半分がコネ、これは政治家、大手の社長、えらい役人のコネで、半分がガチの実力入社」

「へー」

「だから、半分はぼんくらで半分は優秀、だとしたらどっちに仕事させる?」

「それは、優秀な方でんな」

「そう! だからD社は新入社員からがんがん鍛える」

「うわーそれ極道ですわ」

「そうよD社は極道もどき、で、がんがん新人でも追い込む、終電帰りなんてざらよ。でもD社に入ってくる子は、それくらい百も承知だし、基本優秀だから耐えられる・でも仮に由美子としておくけど、由美子の上司が最悪だった。セクハラ、パワハラ、モラハラ、徹底的に自己中、例えるなら元大阪府知事でテレビで偉そうにコメントしている奴がいるけど、あいつにそっくり」

「いやあ、あいつはきついわ」

「由美子は、徹底的に苛められた。朝は早朝から、お茶出しコピー取りから、三年生くらいから任されるはずの仕事をがんがん渡して、夜は接待役に連れまわして、そこから、また会社に戻るというようなことをさせていた。そんなことを一年間ずっと」

「あちゃー、そいつは非道ですな、今日日やくざも、そんなこと、ようやらんわ」

「そして…由美子は飛んだ」


 三郎は黙って、煙草を取り出して、火を点けた、バーテンが「お客さん煙草は」と言ったが、やくざのひとにらみで黙らせた。

「とうはん、今日日、素人の方がえぐいですな」

「初めは骨を折ってやろうかと思ったけど、お父ちゃんに迷惑かけるからやめた」

「堅気の世界も、なんもかも黒いわ、つまり、これは儂が思うにですな、もう堅気もやくざも無いですわ。昔だったらやくざにしかなれん奴がやくざになった。でも今はやくざの上を行く輩が街にでていますな」

「半グレ?」

 三郎は苦笑した。

「まあ、儂らが言うのもなんですが、あいつらやくざもんが今はあんまり無茶できんようになったから、平気で無茶やりよる。警察も、法的に街のちんぴらと同じ対処をしなくてはならないし、もうやりたい放題ですわ。やくざがリンチを受けるってのありますわ、まあここまでやると儂らも黙ってまへんけど、警察は捕まって損をするのは儂ら、ほんまにやってられへんわ。とうはんの話も実働部隊は半グレですわ。やくざのいかつい男が女の子に近寄っても「ウザイ、じじい近寄るな!」ですわ。

「アハハハ、そうだね」

「笑いごとじゃおまへん」


 由紀子は、まじめな顔に戻って聞いた。

「実働部隊は、やっぱり歌舞伎町の半グレ?」

「まあ、多分Z会っていうのが歌舞伎町を根城にして、のさばっていますわ。そいつの後ろにいるのが明石組、というわけですわ」

「やっぱり明石組か」

「問題は半グレと明石組をつなげたのは誰か?」

「B氏ということ」

「分かりまへん。これは儂の想像ですが、B氏は何らかの組織のピースに過ぎないと思うんです」

「なぜ?」

「B氏は正真正銘の堅気ですわ、それが何で明石組に? というのが謎なんですわ」

「B氏と半グレの関係は?」

「そりゃ簡単でした」

「何?」

「Z会の幹部の一人がB氏と同じ大学の同級生、何たらって言うイベントクラブで一緒だった」

「は!」これは笑うしかない。


 大学が大衆化して久しい。イベント主催のサークルなどは、もはや大学生をブランド化した商業利益集団(資本主義という)と化しているのではないか。確かに東大、慶応、上智、立教大学などはブランド価値がありそうではある。何故に早稲田が入らないかというと見解の違いである。とにかく、大学のエンターテイメント化であることは間違いない。まあ多分大学は団塊の世代が入学したころから大衆化した。それが大学紛争(この紛争の中心軍団が団塊の世代の人々である)という劇薬を飲んで古き良き大学は解体した。東大は学問をするところではない。司法試験、公務員試験、教員試験受験の予備校である。由紀子は学生運動が盛んな頃にあふれていたビラというものを大学図書館で見たが、そこには謎の言葉が並んでいた。彼らがどう言おうと、伝わらない言葉は言葉ではない。大人にとって若者の発する言葉は理解できない、理解されたいとも若者は思わない。それは多分、全共闘もオウム真理教もぴえんも同じだ。由紀子の知るやくざの若者も自分らにしか分からない言語を、組に入った当初は粋がって吐いてはいるが、いつしか周りに合わせてやくざになってゆく。


「三郎」

「何でっか」

「これは本当なんだけど、やばいと思ったら逃げてね」

 三郎はぐっと喉をならしたが、今度は吐かなかった。

「とうはん、もちろんでんがな、命あってのものだねですわ」

「なら、いい」

 帰るという由紀子に、

「とうはん、わしの車で帰ってください」

「あんたは」

「わしは六本木で、もうちょっと飲むさかいに車つこうてください。梶原一太っていうもんが送ります」


 由紀子が『惡の華』を出ると、一分後に黒いベンツがゆっくり近づき、由紀子の傍で止まった。

 そして黒服の、銀色に髪を染めたシュッっとした若者が降りてきた。

「お嬢さん、私、梶原一太と言います。自宅までお送りしますので、車に乗ってください」

 ふうん、今のやくざはこんなんか、ホストみたい、と思ったが由紀子はホストクラブに行ったことがない。なので、まあ今時はこんなもんか。由紀子は後部座席に乗った。

 車はゆっくり狸穴坂を上っていた。

「ねえ、梶原、一太って呼んでいい」

「もちろんです、お嬢さん」

 ふーん

「一太、あなた関西人じゃないわね」

「はい、自分は東京です」

「あなた、ちょっとやくざに見えないわね」

「よく言われます」

「私はやくざの娘だから、しょうがないけど、なんでまたやくざに、あ、よけいな詮索ね」


 ミラー越しにふっと笑って、一太が言った。

「お嬢さんが親を選べないように、自分も親を選べない。親父が競馬、競輪、パチンコをやめられなかった、あれは病気です。そして母親は風俗嬢、そりゃ見事に家には居られなかったです。中学は出たけれど、まあ最低の高校入学です。そこで覚えたのが喧嘩です。私は喧嘩の才能があったようです、が、そんなもんは本物のやくざやプロ格闘家には勝てない。だから、猛烈に株とかFXを勉強したんです」

「じゃ、それをいかした職業に就けばいいんじゃない」


 一太はまた笑った。

「都内屈指の不良校卒業で、就ける会社なんて、皆ブラックです。なら本物のやくざになって、というわけです」

「あなた何歳?」

「二十五歳です」

「あなたが、どうしようと自由だけど、ほんとにFⅩやれるんなら、どこか紹介してもいいわよ」

 一太は、え! と少し驚いたようだ。

「あ、ありがとうございます。ですが白瀬の兄貴には義理がありますから」

「あなた、やくざはね義理でやってけるほど甘くは無いわよ、そんなのあたりまえなの。考えなさい、あなたには考える力があれば、分かるはず」

「はい……、でもお嬢さん、私になんで優しいんですか。はじめてお会いしたのに」

「そうね…兄貴に似ているからかな」

「お兄さん」

「そう流れ弾に当たって死んだ兄貴に」

「……」

「まあ、考えときなさいよ」

 一太は頷いた。

「はい」

 車は狸穴坂を上り切り、六本木通りを夜空に鮮やかなシルエットを見せる東京タワーに向かって走り始めた。


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