闘技場
その闘いの空間は熱気に満ちていた。それは闘いの、いや、もう喧嘩の熱気だ。
「ぶっ殺せ」「潰しちまえ」等々、通常の歓声よりもやや過激な言葉が飛び交う。黄色い声で「死ね!」も聞こえた。沸騰した空気が白い煙のように吐き出された場だ。東京ドームか、それよりも狭い後楽園ホールでも、こういう声は場に吸収されて、あまり聞こえないものだが、わずか数百人というホールでは、かなり鮮明に怒声や叫喚が聞こえる。すると場と競技の過激さが相乗効果でますます過激なものになり、場外乱闘が行われるわけであるが、これをうまくコントロールしてお金儲けをしていたのが昭和のプロレスである。
「プロレスモデル(力道山と言う稀代の策士によってつくられ、その早すぎる死によって彼は神となり、プロレス場は教会となった)はかなり崩れたが、大衆の一般的な熱狂癖を解消する新しい祭りは今のところ出現はしていない。ただ昭和と決定的に異なる、というのは昭和はテレビを生んだ、そしてプロレスは、テレビという、新しいメディアを得て広がった。そしてテレビ文化の衰退と同時にプロレスも主役の座を追われた。何の主役か、それは大衆の祭りである。そして今、新しいメディアはどんな祝祭を見せてくれるだろうか。ちなみに新メディアとはインターネットである」
この週刊誌の記事は青柳龍博の友人の椎名一之の書いた記事である。
そして、周りを見ると。
「ぶっ殺せえ!!」
「やろう殺すぞ」
「おおお、やってみいや」
「おららあああああ上等だ」
「お前ら、おれを知ってるか!!」
「この野郎!外出ろや!」
等々、まさに野獣の怒号。数百ある席に座るものは無く、飛んでいるものも見える。
龍博がいるのは湾岸エリアに、東京オリンピックに向けて、何とムダ金数百億をかけて、新設される有明アリーナのごく近くのかなり小規模な体育施設であるが、まあこじんまりとしてはいるが、小さいゆえに、人の顔がまじかに見えて、金髪リーゼント、特攻服の背には夜露死苦の金文字というような人たちが充満していて、白い四本ロープと白マットのリングを囲んでいる。一般人は、あまり近づきたくない空間ではある。
リング上は金と銀の髪の毛の若者二人が相対している。いわゆるMMAとか総合格闘技とか言われる試合である。多分金的とかみつき、目つぶしは反則、そしてオープンフィンガーグローブなるものをはめて、殴り合い、組合い、レフリーが勝負あったというまで闘う(たいていは一ラウンド三分だが、ここでは一分という超短期決戦である)
あの薄いグローブでは痛いだろうなと思う。ただ、ここでの試合は昔テレビで見た(最近は、あまり放送されない)総合格闘技の試合と比べると、はるかに喧嘩に近い。ここで見るファイターの体重は常人である。ボクサーよりもパンチが無茶苦茶だし、キックも、タックルも多分バランスを欠いていると思う。だが、熱量というか気迫が、まあ凄まじい。これはこれで面白い。喧嘩は江戸の花という言葉があるが、ここには人間の野生がある、と思う。そうやって、見ていると、とんでもない試合を目にした。
それは例によって。歯をむき出して、にらみ合うこてこての野獣。カーンとなって飛び出した二人が、リングの真ん中で交差した瞬間、若干速く飛び込んだ方が、次の瞬間カウンターパンチをくらい、大の字でダウンしたのだ。これは格闘技でめったに見ることはできない。いきなり相手の打撃の射程内に入る勇気のあるファイターはいない。これはいちかばちかである。射程内に入ったファイターは必ずくる打撃をかわせばいい。そして、カウンターに合わせるカウンターを放てばいい、必ず相手を倒せる、と言う計算かどうかは分からないが、恐ろしい勇気である。だが、結果は大の字で倒れて、ノックアウトである
そして、双方の選手のセコンドがいっせいにリングに乱入し、そして観客席からも、いかついお兄さんたちが乱入して、いやはや無茶苦茶である。いわゆるプロレスの計算された場外乱闘などとは、まったく異なるカオスである。その時、龍博は昔、故郷で見た火祭りを思い出した。巨大な柱に周りから縦横無尽に放り込まれる焚火で巨大な火柱が出現する。火柱は炎を噴き上げて、火球を四方八方にまき散らす。酔っ払ったお兄さん(おじさんも)が興奮して、火柱に飛び込もうとして止められる。そういう風景があちこちに見える。まさにカオスである。人間の原初的な荒ぶる魂がぶつかる。そういう風景が、今目の前に出現している。
「ハハハ、無茶苦茶だな」
振り返ると椎名一之が立っていた。
「やあ」と龍博が手を挙げる。
「悪いな、妙なところに呼び出して」と一之がにやにやする。
「いや、面白いよ、なんというか、ぞくぞくするな」
「やっぱりね、お前は、あのリングに上がる人間と同じ人種だよ、だから共鳴するんだ」
「俺は、あんまり人は殴らないぞ」
一之は首を横に振った。
「俺は、やくざに捕まった時に、助けてくれた時のお前の顔を忘れられないよ」
「俺の顔?」
「ああ、言葉は普通だったが、もう鬼の形相だったぜ、そして本物のやくざがビビっていた」
「はは、大げさだな、お前を助けるために緊張していただけだ」
「本人は自覚なしか、明石組と村岡組の抗争を事実上終わらせた伝説の雀士、新宿の龍、お前はあのリングにいるやつらと同じだ、どんなに隠しても、獣の心は隠せない」
もじゃもじゃ頭を掻きながら龍博が言った。
「なるほど、それでここへ呼んだわけだ。まあ面白いな、ここにはまだコントロールされていないカオスがあるが、ようするにここには未来がまったくない、あるのはリアルな暴力だ。だから、あんな無茶苦茶な試合が成立する」
一之が笑って返す。
「ハハ、二秒ノックアウトか」
龍博がうなずいた。
「ああ、いわゆる格闘技にはありえない。スポーツ、武道にはありえない、また興行的にもありえない」
一之が聞く。
「じゃ何だ?」
腕を組んで、中央マットに群がる人間たちを見る龍博。
「祭りに見える。人間は時に日常を壊す祭りが必要だ」
ハハと笑う一之。
「なるほど、祭りか、だが祭りなら神様が必要だろ。この祭りの神は何だ」
「難しいな。直観的に言うと、現代は神を捨てた、正確に言うと一神教だがな、とすればニーチェ的に言うと一神教を捨てた人間の原始的な力、つまりバッカスの熱狂がよみがえる」
「なるほど酔っぱらいの神か」
「ああ、正気で、あれはできないだろ」と龍博がマットを指さす。
「まったくだ」
龍博が改めて言った。
「お前、俺をこんなとこに呼んだのは、これを見せたかったのか」
一之がうなずいた
「ああ、お前がこれを、どう見るか、野獣同士で興味あったからな」
「おまえなあ。それで俺の頼んだことは、どうなんだ?」
「ああ、B氏か、あそこにいるぜ」
一之が指した方向に、男が二人立っていた。
「どっちだ?」
「あの眼鏡をかけている方」
「なるほど、女好きで、喧嘩好きか。ハハ野獣だな」
「だが、隣の男はやばいな」と一之はオールバックの髪で、多分アルマーニらしき紅の高級スーツを着た多分四十代の男を見ながら言った。
すると、龍博は聞いた。
「誰だ?」
即座に答える一之。
「明石組系道京会の若頭、谷田文平」
「やくざか」
「ああ、マジだ」
やくざもんがB氏と関わっているのか。こういう格闘技イベントは嘘か本当かはわからないが、よくやくざか最近では半ぐれが関わっていると言われるが、B氏にとって、この会場にいるのは本業がらみ、つまりTVがらみか、プライベートか、どちらだろう。まあどちらにしてもやくざがらみであればろくでもない話だ。
「あいつらの共通項は何だ?」と龍博が聞くと、
「多分芸能界の何か」と一之が答えた。
「何かとは?」
「薬、ばくち、売春」
ハハ犯罪のデパートだな。
「それと、あいつらの中で、よく聞くのが歌舞伎町シネコンTX前、だ」
「歌舞伎町、新宿か?」
「ああ」と一之は頷いた。




