3 夕日
橋を渡り、繁華街を抜け、少し入れば、最終日の盛り上がりであろうと祭りの喧騒は薄れる。年に数回行われる祭りでも、今回の成人祭でもそれは変わらない。
サーロスはこの時間が好きだった。遠くで聞こえる、人々の楽しげな声。どこからか香る食欲を誘う匂い。恋人たちの小さな笑い声。
そして――この時だけは、自由にギターを弾ける。サーロスは足を速めた。
今日、最期にセレーネ姫の御言葉を賜り、祭りは終了する。
姫の声を聴かなくていいのかとフィロに聞かれたが、サーロスはどうも参加する気にならなかった。あのまま彼女の声を聴いてしまえば、二度と彼女は自分の心から出て行ってくれないと、そう思ったのだ。
海沿いを歩いていくと、大きな半球型の岩が見えてくる。重たい岩の板をずらすと、小さな暗闇が広がる。戸の近くに掛けられたろうそくに火をともすと、暗闇は彼の隠れ家へと姿を変えた。
木製の簡易的な椅子、幼いころから愛用のクッション、岩でできた机の上には、様々なお菓子とフルーツ。そして、祀られるように中央に飾られているのが、彼のギターである。ボディが、ろうそくの明かりに照らされてオレンジ色に輝いている。
サーロスはクッションをとの入り口に置き、ギターを担いでそこに腰かけた。
目の前には、暮れなずんだ夕日に照らされて、痛いほど煌めく海が広がっている。
サーロスは、ギターを弾き始めた。軽やかで優しい音が響く。
この時間が永遠に続けばいいと彼は思った。
こんな風に海を眺めながらギターを弾けるのは、祭りの時くらいだ。いつもは、戸を閉めて小さな音で弾いている。
奏でられた音が朱色に輝く海に吸い込まれていくようだ。彼はいつの間にか音楽を紡いでいた。彼が知っている、たった二つのうちの一つだ。
「音は響き、海を渡り、君のため歌うよ、ノビア……」
彼が十年前に聞いた歌。ノビア、その言葉の意味すら知らない。しかし、歌詞もコードも、一つも忘れず覚えていた。
日が、水平線に飲み込まれていく。段々と濃紺に染まり行く空を、月明りが彩っていく。
祭りの終わりが近づいていることをサーロスは肌で感じた。
「テ、アマレ、ポル、シエンプ。ノビア――」
日が落ちた。
もう、ギターを仕舞わなければならない。そんなことはわかっているのに、サーロスは名残惜しさからか、動けずにいた。
ドカン、と大きな音がした。見ると、花火が打ち上げられたようだ。祭りもいよいよ、終わりということである。
サーロスがいよいよギターを片付けようとしたとき、城の方から足音が聞こえた。走っているようだ。
(まずい、バレた。)
サーロスは慌ててギターを元の位置に戻し、戸を閉めようとする。
「助けてください!!!」
あと少しで戸が閉まるというところで、サーロスは手を止めた。
少し開いた戸の隙間から、その声の主の様子がうかがえた。女だった。白いワンピースに身を包んでいる。上等な素材のようだが、裸足だ。
ただことではないらしい、そう判断したサーロスは、戸を開けた。最早、囮の可能性なんて考えていなかった。
扉を開いた彼は思わず目を見開いた。
女はボロボロで、髪型もぐちゃぐちゃで、泣き腫らしている。しかし、その姿をサーロスは間違いなく見たことがあったのだ。
「セレーネ姫……?」
セレーネは転がり込むように中に入ると、枝のように細い腕で必死に戸を閉めようとした。無駄である。戸を必死にひっかいているようにしか見えない。見るに堪えないその様子に、サーロスはなりふり構わず手を貸した。
戸が完全に閉められると、セレーネはへたり込んでしまった。
生気が感じられないその瞳は、虚空を見つめている。サーロスはしばらくかける言葉を探していたが、彼女はすぐに眠ってしまった。