第六十四話 不法侵入者
アニスをリビングルームから離れた寝室へと運んだエリオットは、上衣だけを脱がせてベッドに彼女を横たえる。
彼女の体液でぐちゃぐちゃになってしまった自分のシャツをどうにかしないとな、とぼやいていると、室内に誰かが侵入してきた。
侵入してきた、というのは玄関から彼らが入ってきたわけではなく、リビングルームに誰かが不法侵入してきたから。多分、ホテルの結界をうまくかいくぐって転送魔法で侵入してきた彼らは、足元に転がっていた酒瓶に気付かなかったのだろう。
複数人いることは明らかで、そのうちの一人が、間抜けにも酒瓶に足を取られて、その場にすっ転んでしまったのだった。
ゴツン、という鈍い音が、ベッドルームまで響いてくる。
それをエリオットは耳にして、誰かが侵入してきたのだと悟ったのだった。
「んだあ、これ。酒……? 一体誰だよ」
「おかしいわね。昨日の夜にきたときは、こんなものなかったわよ。まるで誰かが酒盛りして、そのままベッドルームに行ったみたいな感じね」
不法侵入者は話からすると昨夜もこの部屋に入ってきたらしい。
つまり彼らは、アニスの借りているロイヤルスイートの間取りを知っていることになる。
「おいおい、どういうことだ」
エリオットは小さくそう呟くと、ベッドルームと引き戸一枚でつながっているドレスルームを開けた。
アニスを左肩に担ぎ揚げると、彼女の上衣以外、ベッドルームに残していないことを確認して、ドレスルームへと移動する。
引き戸を閉じると、部屋の片隅にある、従業員だけが手にすることのできる扉へと移動した。
このホテルの間取りは勿論のこと、どんな部屋でも行き来できる従業員用の鍵をエリオットは持っている。それを使って、表からは見ることのできない、従業員用の通路へと退避する。
しかし、そこからボブのいるゲストアテンダントの執務室へと移動するには本来の廊下に戻らなければならず、もしその途中で彼らに見つかってしまったら、魔法も使えず片手がアニスで塞がっているエリオットには不利だった。
「まいったな……。ここに置いておくわけにもいかないし」
従業員通路を行くか、それとも下の階へと続く階段を降りるか。
迷っていると、背中を優しく撫でられた。
「アニス。いつから気が付いていた」
「今起きたとこ。これどういう状況? お腹が圧迫されて苦しんだけど、ここで吐いてもいい?」
「いやここはまずいよ。君が寝たから、ベッドルームに移したんだ。そしたら、よく知らない連中が、部屋の中に……多分、転送魔法か何かを使ったんだろう。侵入してきた。俺は従業員用の通路を行き来できるから、ドレスルームからここに避難してきたんだ」
「そんなことになってたんだ。面白いわね、ねえ、このまま運んでくれない?」
「どこに行くんだよ?」
「部屋に戻るのよ。あなたも私のことを狙って部屋に先に侵入してきた。そして私を、先に気絶させた。そう言ってドレスルームから出て行けばいいじゃない。刺客がバッティングしたからといって、戦争になるわけじゃないでしょ?」
「どうかな? お互いに利益を優先すると思うけど」
「私を殺したとしても、必要なのは私自身じゃないでしょ? ホテルから持ち出せないじゃない。せいぜい、指一本切り取って持っていくっていうのがいいところよ。だから大丈夫。私もあなたを守るから」
「……」
背中の上でもじもじと動かれると、それまで意識することのなかった細やかなつぼみが、エリオットの肌に触れて柔らかさを伝えてくる。
そのことに気付いてしまった自分に気恥ずかしさを覚えながら、エリオットは半ば促されるようにして、その体勢のままアニスを背負って部屋に戻ったのだった。
ドレスルームに繋がる従業員用の扉を開けそこをくぐって部屋の様子を観察する。
相手はまだベットルームを物色しているらしく、エリオットはアニスを抱えたまま、二つの部屋を仕切る引き戸を乱暴に蹴り上げた。
それなりに脚力が必要だったが、引き戸はあっけなく外れ、向こう側に吹っ飛んでいく。
ベッドの手前側にいた真紅の髪をした女がその一撃を後頭部に受け、「ふぎゃっ!」とまるで猫のように悲鳴を上げたままベッドに突っ伏した。
「エルテューレ!」
「動くな! ……おまえら、辺境伯様の部下の……?」
「貴様! アニス様の仲間の魔猟師!」
侵入者たちは、魔獣と炎の巨人の戦いから命からがら逃げ延びたはずの、オネゲルとエルテューレだった。
エルテューレはいま扉の一撃にやられて失神したらしい。きゅうっ、と変な声を上げて伏したまま起き上がろうとしない。
「そうだよ。おまえら、ここで何をしている?」
「魔猟師! よくもエルテューレを……あ、おまえ! 死体を盗み出そうとするとは、なんてやつだ!」
「死体? ああ、そうだ。死体だ」
間抜けな返事だった。アニスが背中から見えないように、指先で腹を小突いてくる。
侵入者たちはアニスが死んだことを知っていたのだ。そのことに思い至るまでに少し時間がかかってしまった。
「その死体、こちらに引き渡してもらおうか。手土産に持ち帰らないと、立場がないんでな」
「どういう意味だ? この死体は――」
「もういいわ!」
エリオットがセリフを言い終わる前に、アリスが背中からぱっと跳ね起きた。
そのまま、オネゲルに向かい、どこから持ってきたのか、数発の魔弾を発射する。
オネゲルに撃ちだされたのは、ドレスルームにかかっていた木製のがっしりとしたハンガーたちだった。
凄まじい速度で回転するそれらは、大男の腹部や股間、顔面などに正確に被弾して、思わず声にならない悲鳴を辺りに響かせる。
オネゲルの発した悲鳴があまりにも大音量なので、エリオットは思わず両手で耳をかばったほどだった。
アニスはすとんっと床上に着地すると、こいつら誰かしら? なんて言いながら、シーツを引き裂いてロープのようにすると、オネゲルとアルテューレの四肢を縛り上げてしまう。
その手際の良さに、エリオとは思わず感心したほどだ。
酒瓶が転がるリビングルームに、緊縛された男女二人が加わり、アニスは二日酔いのせいで頭が痛い、吐きそう、と叫んでトイレに駆け込んでいった。
「恥も外聞もない……。色気なんてどこにもないじゃないか、大人の女性なのに」
おえええっと吐く音がして、それから水が流れる音が続いて聴こえてくる。
そのままドレスルームに移動したアニスは、数分後、それまでとは見違えた格好で出て来たものだから、エリオットはその変わり身の早さに目を疑った。




