第六十一話 魔獣対炎の巨人
時間は少しだけさかのぼる。
エリオットがアニスの遺骸を抱いて、戦線を離脱したのを確認したリンシャウッドとその他は、さてこれからどうしたものかと、それぞれの武器を構えて、炎の巨人と対峙していた。
「伯爵様からおまえと組むように言われているが、俺たちはおまえのことはあまりよく知らない。何ができるんだ? 黒い狼」
「私だってあなたのことよく知らないし、槍使いのおじさん。それに、真紅の女剣士。名前教えてくれたっていいんじゃない?」
「俺はオネゲル。あっちのはアルテューレだ。フランメル辺境伯様の親衛隊をしている。いや、していたというべきか」
「親衛隊? その割には、アニスは知らなかったみたいだけど?」
リンシャウッドはなにかもやもやとしたものを感じていた。
アニスは実家のことをそれほど詳しくないままに、生きて来た? それはおかしくない、と思ってしまったからだ。
「親衛隊といっても、裏もあれば表もある。俺たちは敵地に潜入して相手を撹乱し、味方を勝利に導くような情報を持って帰る。そんな存在だ」
「……ああ、そう。つまりスパイってこと? 主君の娘が目の前で殺されたっていうのに、随分と冷静なんだ。変な感じ……」
光の当たる世界で生きていない者たち。
それは闇属性として世間から忌み嫌われてきたリンシャウッドの生きる世界でもある。
でも、自分の意思でそのさらに深みにはまっていく者たちとは、生き方が違う。信念も、理想も、所属するコミュニティだって、あまりにもかけ離れている。
「辺境伯様がそういった命令を下していた。だから、それに従うしかないだろう?」
「何も変なことじゃないわ。家のために利用されて殺される。どこにでもある話。どんな貴族だっていつかは行ってる話よ」
オネゲルとアルテューレはさも当然、というかのように頷いて見せた。
そこには、主君の決めたことに対して、一点の曇りもなく支持するという意思が見え隠れしていた。
怖い。思わずそう感じた。
彼らにとって、辺境伯の命じることは絶対なのだ。死ねと言われれば喜んで死ぬのだろう。それを狂気という。
「おまえも依頼を受けたから殺した、そうだろう?」
「……そうね。何でもないわ。この話は忘れて。それでこれからどうする?」
「ホテルから魔石を強奪するのちょっとばかし時間がかかった。だが、そのおかげであいつをここまで呼び出すことに成功したよ」
オネゲルは腰のポシェットのようなものを、ぽんぽんと叩いて見せた。
多分その中は空間魔法による、収納スペースになっているのだろう。
「そうか……。あいつがここに向かってきたのは、あなたたちのせいだったんだ」
「魔石にはあいつの本体が眠っているからな。いわばあの炎の巨人は、肉体と魂を分割され、魂は魔石のなかに。肉体は、魔獣を封じる結界のために使われた。そんなもんだろ」
「炎の巨人の前進を阻むものは、魂を取り戻そうとする、彼の邪魔をすることになる。そういうこと」
リンシャウッドの疑問に、オネゲルとアルテューレが答えた。
つまり彼らのいるところに、炎の巨人は否応なく導かれてしまい、その歩いたあとには焦土と化した土地が残る。
「その魔石に彼の肉体を封印するなら、もっと他の場所でやっても良かったはず」
「魔力がいるんだよ。俺たちじゃそれほどたくさんの魔力を持っていないんでな。だが、ここには」
と、オネゲルは言い、チラリと丘の上に視線をやった。
そこには四百年生きた魔獣の本体と、魔石が存在する。あれを使うつもりなのか、とリンシャウッドは納得する。
「なるほどね。明日の朝まで、契約は続いているから、手伝いはしてあげる」
「別に……。獣人の手助けなど必要だと思っていない」
「そうね。私達だけでも十分だわ。姫様の命を奪った獣人なんか、生かしておきたくない気分だもの」
「獣人差別はどこも変わりせんねー。それよりも、いいんですか?」
あれ、とリンシャウッドの持つ魔獣が丘の上に向けられる。
二人がそちらを向くと同時に、どしんっ。どしんっ。ぐるああああっ、という咆哮が青白い夜闇を切り開くように轟いた。
「嘘っ! 魔獣は根ざしているはずじゃ!」
「おい、どういうことだ? 移動するなんて聞いてないぞ!」
「これまで封じ込められていた結界の中で、分身が根っこの届く範囲で、地上の上を歩き回っていたんだから、それは本体だって動くに決まってる。第一、命の危機だし」
「どうすんだよあれ!」
オネゲルが悲壮な声を上げた。
ローズ・ローズの本体は、全長十メートルはあろうかという巨体を、地面から持ち上げて、根っこを足代わりに立ち上がったのだ。
その様は、まさしく歩く木人。目と鼻と口がないだけで、本体の下腹あたりには、エメラルド色に輝く巨大な魔石が抱かれていた。
しゅごおおおっ、と巨木の魔獣が吠えると、ふおおおおっんっと、炎の巨人が応じる。
それはさも、ライオンと虎が互いを威嚇しながら、飛びかかって相手を一撃で仕留めるための、必殺の瞬間を狙っているようにも見えた。
「早く逃げないと、こっちまで巻き添えくらいますよ!」
「どうしろってんだよこんなの!」
「だから逃げるのよ早く!」
こういう時、男の判断は遅い。命に関する判断はすべて女性の方が早いのだ。
女二人に命令されて、黒髪の槍使いは情けない悲鳴を上げながら、その場にポシェットを放り出して逃げ出してしまう。自分がそれを持っている限り、炎の巨人が追いかけてくることは間違いなかったからだ。




