第五十五話 聖女来訪
帝国の威信にかけてなんて、よく言ったものだと自分で自嘲した。
一緒に戦った仲間が危機にあるというのに、たかだか呪い一つ解除してやることもできないで、なにが魔猟師クランだ。
妖撃の名が泣くとはこのことだ、と何もしてやれない自身の無力さに、エリオットは嘆いを覚える。
どうにか方法がないのか、こんなときにこそ、自分の身分が役立つのではないのか。帝国の帝位継承者だという、その身分が……そこまで考えて、エリオットはあることを思い出した。
「聖女だ」
「いやしかし。帝国にいる聖女様を呼び寄せるとしても時間が……」
「違う。その聖女じゃない。炎の女神リシェスの聖女が、大陸の東からやってくるという話を思い出したんだ。いまどこにいる? もうすでに近くまで来ていると最近、耳にしたばかりだぞ」
そういえば、と女性スタッフの一人がエリオットの怒りを買わないように、おそるおそる声を出す。
本日到着した来客名簿に、聖女の名が載っていました、と報告した。
「遅い! どうしてそれをはやく言わないんだ!」
「すいません!」
「落ち着いてください、エリオット。彼女はもうこのホテルの中にいるではありませんか。助けを求めましょう」
「そうしてくれ。俺にはまだやることがある」
「エリオット?」
アニスの遺体がある部屋に背を向けて、エリオットは足早にその場をあとにしようとした。
まるで、彼女が生き返った時、合わせる顔がないかのように。
その背中にどうするつもりだと、ボブが追いかけて声をかける。
エリオットの答えは明確なものだった。
「闇の炎だ。もし呪いが解けなかったらどうする?」
「聖女様に解けない呪いがあるとは思いませんが……。呪いをかけた本人を探しに行くでしょうな」
「俺は今からそれをしようとしている。止めないでくれ」
「魔法も使えない。剣にしても銃にしても相手の方が数段上。それが分かっていながらどうやって立ち向かう気ですか、エリオット」
呆れたように、ボブは肩をすくめた。
しかしそこに馬鹿にしているそぶりはなく、もっと賢くやりなさいと、祖父が孫を叱りつけているような感じにエリオットには見えた。
「ボブ。力を貸してくれ。正確には、このホテルに置いてある、攻撃魔法が備わった魔導具が欲しい」
「戦う相手は? 黒狼? それとも、炎の精霊? どちらですか?」
「どっちもだ。炎の精霊と戦う前に、まずは黒狼。そして、辺境伯の部下たちと剣を交えることになるだろうな」
「……個人的な恨みがそこに混じっている確率は?」
「半分以上だ。俺自身に対する恨みだよ」
「それなら、まずはそこから解放されなければならない。つまり、せめて辺境伯の部下には勝たなければならないということです、か」
やれやれ。手のかかる孫を持つと苦労する。
祖父のふりをするゲストアテンダントは、勝ち目のない勝負に挑もうとしているエリオットに、知恵を授けることにした。
「いいですか、エリオット。どんな巨大な敵に対しても、必ず弱点というものがあります。今回彼らの弱点は、アニス様が生き返ること。違いますか?」
「それは……。だが、彼女が生還したとしても、俺は償いを果たすことができない」
「罪を償いたいというなら、まずは償うべき相手がいないと話しならないでしょう。それにアニス様が再生される頃には、伯爵の部下たちも魔獣と精霊、双方を相手にしてかなり疲れ果てていると、ボブは思いますがね」
「悪い奴だな。相手の弱点を突くというより、それは弱った相手を倒すようで、あまり嬉しくないやり方だな」
「勝てればいいのですよ。どんな戦争も、勝利したものが正義なのです。勝てば、それまでどんなに悲惨な負け方をしてきたとしても、最後には報われるものです」
と、いうわけで。
ボブはふところから幾つかの魔石を取り出す。エリオットが最初に装備して力を使い果たしてしまった、雷帝の園が封印されていた金の腕輪に似たものも、そこにはあった。
「用意がいいな。どういうことなんだ」
「皇帝陛下はぜひ、聖なる炎を持ち帰るようにと、御所望です。そうなると渡すことができる物、使用できる武器の制限も少なくなるということでして」
ボブはエリオットの前に立つと、永年務めてきた執事が主の息子にするかのような、丁寧な手つきでそれらを彼に装着させていく。
一つ一つの魔導具の説明を受け、エリオットは最初に使用することができた魔導具とは比べ物にならないほど、価値の高いそれらに目を丸くした。
「これは紅蓮の王、これはあなたも先ほど使った雷帝の園。これは、因縁のある闇属性のスキルを利用した、隠匿者というスキルを封じた指輪です。魔石の使い方がわかりますね?」
「最初にもらったものと、同じ内容の魔法が封じられているなら」
「結構。紅蓮の王は空間を越え、どんな防御も突破して相手の魔力を焼き尽くすスキルです。過去には竜族を雷帝の園で封じ込め、紅蓮の王で魔力を削いで捕獲していました。二つで一つ。今帝国に残っている対都市殲滅戦攻守魔導兵器のなかでも、最高位に属するものですよ」
「貴重な物を投入してまで、あれを欲しいのか……父上は」
会ったこともない、ただ血が繋がっているだけの関係者。
名前と写真で見た顔だけしか知らない父親が、それほどに欲しがるとは。ふっと、失笑がこみ上げて来る。
「帝国のものは帝国に。ただそれだけですよ。与えるものは与えました、後はあなた次第」
「そうだね。後は俺次第だ」
二人の会話が終わりに向かった頃、後方に合ったエレベーターが、上の階からの客を降ろしてきた。
聖女は王族と同等の存在だ。
今二人がいる階より、さらに上に宿泊していたことになる。
チーンと音が鳴り、ゆっくりと開いた扉に向かって、その場にいたすべての人間が居住まいを正して聖女を迎えた。




