第五十四話 魂の刻限
白い銀光があまりにも眩しくて、エリオットは思わず目を瞑った。
まぶたを通してもまだ、瞳の奥に侵入してくるかのように、光は世界を満たしていく。
我慢すること数秒間。
ようやくまぶたの裏に暗闇が戻ってきた時、エリオットはそれまでいた場所とは違う、新しい空気を感じ取っていた。
自分がいつも過ごしているホテルギャザリッグに戻ってきたのだと、彼の勘が告げる。
ゆっくりとまぶたを開けてから、瞬きをするとそこにはゲストアテンダントのボブと、ホテルのスタッフたちが待っていた。
「彼女のことを頼む」
「なんとかやってみます」
両手で抱き上げていたアニスの体を、移動用のベッドの上にそっと横たえる。
先ほどよりもより冷たくなった彼女の体が腕の中からいなくなると、抱えていた時の重みがまだ腕の中に残っている。
エリオットは頭を軽く振って、降りかかってくる後悔の念を横にのけた。
彼とアニスが転送されたのはホテルギャザリックの最上階にも近い、ロイヤルスイートルームなどがある階の一角で、そこには宿泊客が体調に異常をきたしたときなどに治療を施すための、医務室が完備されている。
ボブの転送技術は完璧で、アニスはあっという間に医務室のベッドに寝かされていた。
死んでいるとはいえ彼女は女性だ。
これから神聖魔法などを使い、肉体を再生するためには、服を脱がせたする必要がある。
男性のエリオットやボブがそこに立ち会うことを、医師は許さなかった。
「二人は外でお待ちを」
「待ってくれ。何とかして彼女を蘇らせて欲しい。先生、どうなんだできるのか?」
「今から診察しなければ何とも言えません。神聖魔法は早々簡単に使えるものでもないのです。落ち着いて待っていてください」
「……」
「向こうの部屋で待つことにしましょう、エリオット」
呼び名に殿下を付けることなく、ボブは祖父としてエリオットを孫のように扱い、待合室へと引き出した。
本来ならば任務の失敗を責められるべきなのに。
なぜ彼がこんなに優しくしてくれるのか、エリオットには理解できないでいた。
自分のことよりもアニスを助けたい。そう告げると、ボブは大丈夫ですよきっと、と優しく頷いて見せた。
「俺のせいだ。俺のせいで彼女をこんなことに巻き込んでしまった」
「計画を立てたのは私です。あなたを起用すると決めたのも私。全ての責任は、このボブにあります。アニス様を巻き込んでしまったこともそう。何より悔やんでいても、物事は前に進みません」
「俺はお前の心の強さが心底、羨ましい」
「慣れですよ、慣れ。このホテルで働いていれば、いやでもこういったことに触れていかなければならないのでね」
僕はそばに控えていた自分の部下に何か飲むものを用意するようにと命じる。
熱いコーヒーが、二つ。
カップに注がれて、運ばれてくるとエリオットはそれを飲みながら、医務室から目を離せないでいた。
彼女は助かるのだろうか。ただそれだけが、彼の心の中に不安となって渦巻いていた。
やがて扉が開き、先ほどの医師がアニスの肉体から出た血にまみれた上着を脱ぎ棄てて、エリオットたちの方に報告する。
結果は良いものではなかった。
「……呪いがかかっています」
「どういうことだ!」
「彼女の心臓が綺麗になくなっている……何かの攻撃魔法で打ち抜かれたのでしょうね」
「黒狼だ。闇属性の黒い炎を使う、あの獣人の魔獣に倒れたんだ」
そう告げると、医師はやはり、と言葉を重くした。
黒い炎に巻き込まれると、魂は浄化されず、永遠に闇を彷徨う呪いにかかると、世間では言われている。
医師はそのことを引き合いに出しつつ、魔導医学の観点から正確に事実を告げた。
闇の炎に焼かれた肉体を再生することは、このホテルにいるどんな魔法使いの腕を持ってしても、不可能だと。
「神聖魔法なら、どんな呪いも解除できるんじゃないのか!」
「いいえ。撃たれた本人が光属性ならまだ良かった。彼女は闇の属性です。同じ属性の、より高レベルの魔法に焼かれてしまっては、回復することもままならないでしょう」
「そんな……どうしても。ダメなのか? どんな方法を使ってもダメなのか?」
医師は少しだけ沈黙し、重苦しく項垂れる。
方法がないわけではない。ただ、それをできる人材がここにはいないだけだ。
「闇の炎に行かれたならば、その呪いを解くことができるのは、聖なる炎だけでしょうな。もしくは、炎の神の力を借りることができる存在」
「……聖女か、勇者か。それとも?」
「炎の神の能力を借りることができる治療師は、このホテルにもいるのです。ですが、それは聖なる炎とはいえない。大神官様や教皇様ならば、あるいは」
「帝国に戻らなければ、そんな逸材はいないことぐらいわかってるだろ!」
ままならない現実に、つい言葉が荒くなってしまう。拳で壁を殴りつけると、医師が驚いたように跳ねた。
ボブが沈痛な顔をして、孫の非礼を詫びる。
「どうにかならないのか! 今この場で彼女を救わなければ、魂は死神にさらわれてしまうんだぞ!」
生命が死ぬことには二段階の意味がある。
一つは肉体の死。もう一つは精神としての死だ。
肉体が滅んだ後、精神は魂となり、世界のどこかにいると言う死神がそれを迎えにくるとされている。
実際に死神にあった者はいないから定かではないが、魂が肉体から離れるまでに長くて半日。短くて数時間で、それは新しい世界に旅立つとされている。
帝国にいるさまざまな神々の聖女たちや大神官、その他のハイクラスの存在がいる場所まで、転移魔法をどれだけ行使しても、半日はざらにかかる距離だ。
どんなに怒鳴っても怒り散らしても、現実は姿を変えようとはしなかった。




