第五十二話 聖女の遺産
しかし、帝国や神殿は密やかに魔石の行方をさがしていた。
ようやく見つけたとき、封じられていた聖なる炎は解放され、ローズ・ローズを王都郊外の森林地帯に封じ込める役割を負っていた。
魔石を持ち出したのが聖女だったことは帝国に少なからず、衝撃をもたらした。
当時、聖女と帝国の仲は最悪で、国の宝物だった魔石を持ち出したのは、彼女なりの嫌がらせだったに違いない。
封印していた聖なる力は解放され、それを制御するための魔石もどこかに行ってしまい、聖女は大陸の反対側に逃げてしまって、四百年の月日が流れていた。
「ようやく魔石が見つかったと思ったら、これだ。俺の苦労も水の泡だよ、ボブ!」
(魔石は取り戻せばよろしいだけです。炎の精霊も封じればいいだけのこと。まだまだ諦めてはなりません)
「そのために用意した、雷帝の園も使ってしまったと言ってもまだ、そんなことを言えるのか、おまえ」
(ああ……それは問題ですな)
エリオットはオレンジ色に揺らめく東の方角を見上げた。
あちらではリンシャウッドたちが、炎の巨人と一戦を交えている。
轟轟と黒い炎が夜空を焼き、巨人の片腕がそれに呑み込まれて、掻き消えたかと思うと再生するのが見えた。
一進一退を繰り返しながら巨人は、リンシャウッドたちの善戦もむなしく、ローズ・ローズの本体が眠る丘の上に歩を進めているのだろう。
「俺の後ろでローズ・ローズの本体に近づけまいと、炎の巨人たちと戦っている連中は一体何者だ? あの魔石の中に、聖なる炎の精霊の本体があるのだとしたら、どうしてさっさとそれを解放しない?」
(解放しただけでは支配下に置けないからでしょう。どれほど偉大なる炎の精霊使いであっても、聖女の召喚した精霊まで操ることは、困難かと)
「とんでもないことになったな……。四世紀前に帝国を旅立った聖女の遺した遺産が、こんな場所で帝国に戻るどころか、俺たちに牙をむいている」
アニスの父親、辺境伯はあの巨大な魔石の正体を知って、王国のなかでも治外法権が適用される、ホテル・ギャザリックに宿泊する娘の元に、あれを送り込んだのだ。
偶然にもアニスから魔石のことを聞かされたボブは、慌てて計画を練った。
魔石を取り戻し、聖なる炎の精霊すらも取り戻すための計画だ。
幼いころから王国の騎士団に潜入させて王国貴族の間に人脈を作らせていたエリオットが、それには適任だった。
彼は騎士団見習いを経て、今度は富裕層にネットワークを作るための任務として、ホテルの魔石彫金技師の店に弟子入りして間もなかったからだ。
年齢もまだ十六歳と若く、自分の孫として紹介することで、ゆくゆくはパトロンになって欲しいとアニスに頼めば、気の良い彼女は断らないだろう。
そう思って二人を近づけたら、思惑通りにことは運んでいった。
後は魔猟師になり、ローズ・ローズを封じるという名目で、エリオットに持たせた雷帝の園のなかに炎の精霊を封じることができれば、魔石ごと帝国に送還するだけだったのだ。
「まさか父親が部下を使って娘を殺させる、なんて予想していなかった」
(新国王の思惑があったのかもしれません。いずれにせよ、辺境伯殿はこちらの計画に気づいていたのでしょう)
世間にはアニスの魔弾によってローズ・ローズが撃破され、炎の精霊は役目をはたして、去って行った。
そんな筋書きにする予定だったし、ローズ・ローズ自体のレベルもそこまで高くないものだった。
魔猟師協会のみならず、冒険者たちが総出でかかったなら、どうにかなる案件だったのだ。
しかし……リンシャウッドという厄介者が増え、魔石はホテルから盗まれ、更に伯爵の部下の手によってアニスまで殺されてしまった。
「計画は失敗だ。すまない、ボブ……皇帝陛下のお怒りは俺が受ける」
(まだ終わっておりません。まずはアニス様の再生、ですな。エリオット様?)
「ああ、そうしてくれ。ホテルギャザリックの総力を挙げて、帝国の威信にかけて、蘇らせてくれ」
(手配をしましょう)
「済まない。俺のせいだ」
盛大なため息が漏れてしまう。
伯爵が娘を殺してまで守る家の名誉とは何だろうか? エリオットは、ふとそんなことを考えてた。




