第四話 婚約破棄
あの愛の言葉はどこに行ったのか。
サフランは堂々と、そう言い切った。
いまは彼の愛なんて薄っぺらいガート紙幣よりも、さらに薄く感じる。
彼は、怖い怖いと泣き叫んでいるキャンベルの両肩を掴むと、抱きしめつつアニスに理由を語った。
「その殺気をすこしは抑えてくれないか? 彼女が何をしたと言うんだ。憎い帝国兵でもなければ、どこかの盗賊の一味でもない。彼女はれっきとした貴族の令嬢なんだぞ。君のようにずっと闘いの最中に身を置いてきた女性とは違うんだ。華奢で優しくて母性愛に富んだ、僕にふさわしい女性なんだからな」
「どの口がそんなことを言いますか」
「こんなものを僕たちに向かって投げつけてくる君に言っている」
「もうどうでもいいわ」
そこまで自分に対する愛が冷めてしまったのなら、アニスがどう争ったところで、サフランの心は二度と手に入らないだろう。
外見でなく中身でも負けたとなれば、自分がこの男性に愛されるいわれはどこにもない。
「アニス。僕は君のような女性がはっきり言って苦手なんだ。戦いの中でしか生きてこなかった君は、平和な王都の生活になじめるとも思えない。はっきり言って蛮族の姫のような格好をしているじゃないか。社交界で君を見た連中がどんな噂をしていると思う? 王太子殿下が妻に迎える女性は、オークのように野蛮な女らしい。そんな噂まで、僕の耳には入ってきているんだ。僕はちゃんと上流階級にふさわしい装いと生き方のできるような、そんな女性を妻に迎えたいと思っている」
自分の判断に一切の迷いがなく、そうすることが恥ですらないと、サフランは口にする。
愛情の消え失せた言葉の攻撃を受け、アニスは肩を落として深くため息をついた。
サフランとの婚約は、三年前に決まった。
まだ彼がただの殿下で、アニスが辺境伯領にいたころのことだ。
アニスは父親が国王陛下から託された辺境の地を守るため、自分も武器を手にして戦いに参加していた。
当時、アニスが任されていた砦は、国境地帯をおなじくする帝国軍の二千の軍勢によって取り囲まれ、いつ陥落してもおかしくない状況だった。
サフランとの婚約が決まったことにより、王族に連なる者となったアニスを助けるために、国王は一万の兵力を投じて、砦を敵の手から奪還した。
元々、百名ほどしか配備されていなかった砦では、アニス以下、十数名が生き延びただけだ。
他は全部、死んだ。
アニスは間接的にとはいえ、自分と部下の命を救ってくれた王家に恩がある。
当時、十六歳。
今では二十歳をむかえた彼女は、世間でいうところの行き遅れだ。
この王国では男子は十六歳で成人となる。
サフランはようやく成人に達しようとしていて、あと半年もすれば正式な結婚式を挙げる予定だった。




