第五十話 王の剣、再び
白い炎は魔弾を発射した時に出てしまう、放射炎だ。
そのことを冷静に分析する自分。
数メートル先で、仲間の突如として行われた裏切りにより、打たれたもう一人の仲間。自分の雇い主にして、これから先の援助をしてくれるパトロン。
いや、そんなことよりも、年上の異性として。
その才知と人格と魅力に心惹かれない瞬間はなかったこの短い期間の記憶が、記憶の奔流となって頭の中を一気にどっと端から端まで押し寄せる。
魔石の仲介を通じて祖父に紹介された時、まるで気乗りしないような視線と態度を見せた彼女。
魔猟師になることで、魔石彫金師としてのキャリアをスタートさせたいと懇願したら、あっさりと承諾してくれた彼女。
まるで実績のない自分のような年下の男のパトロンとなり、雇い主となってこれからの未来に期待してくれた彼女。
リンシャウッドの不正に気づき、その大食いらいに呆れながらも仲間として迎え入れ、そして――こんなただの平民に期待をかけてくれた彼女。
外見に似合わず気性が激しいくせに物忘れも激しく、それでいて似た者同士なリンシャウッドと喧嘩ばかり。そんな世間の人々が知らない一面を、隠すことなく見せてくれた元王太子妃、アニス。
自分のことを認めてくれる彼女のためならば、たとえ巨人の炎に焼かれたとしても、その命を捧げて必ず守ると心に誓った。それなのに――!
「アニス! アニス様……リンシャウッド、どうして!」
今のエリオットの心には仲間の裏切りに対する激しい怒りと、どんなものと引き換えにしても必ず守ると誓った相手を守れなかった、不甲斐ない自分を許せない怒りが、激しくせめぎあいぶつかりあって、冷静さを失わせようとしていた。
「別にどうしてってことはないわ。あなたを利用したことは謝るけど」
「利用したって認めるんだな?」
「そうね。それが私たちの任務だったから」
激しい激情が、エリオットの腰から剣を引き抜かせた。
アニスの元へ駆け寄り、彼女を抱き起してから、もう誰にもこれ以上傷つけさせまいと、リンシャウッドとその後ろに丘の上から斜面を駆け下りてきた、剣の切っ先を向ける。
勝てるだろうか?
アニスが万全の体調なら、それも可能かもしれない。
だが、エリオットにはアニスやリンシャウッドのような、優れた魔法の才能は全くない。
その代わりとして用意してきた、いろいろな魔導具は、もうそこをついていた。
「……裏切り者め。どうしてそんなこと、そんな平気そうな顔してよくも言ったもんだ……」
「今更ポーション流しても無駄だと思うよ。だって、心臓を撃ち抜いたから」
「くっ……」
アニスを抱き起こした時、そんなことはわかっていた。
回復ポーションの最後の一つを収めた魔石を、アニスの心臓の上で使用する。
紫色のポーションの液体は、傷口で一瞬だけ煌めくも、その場所から溢れる大量の出血を止めるまでには至らなかった。
エリオットは上着を脱ぎ、止血をする意味で傷口にそれを当てて、「ああ……」と失意の念を漏らす。
アニスの左胸には、この青白い闇の世界で、向こう側が見えるような、大きな穴が空いていた。
助からない。助かるはずがない状況で、どうしてまだ彼女のことを求めてしまうのか。
「アニス! アニス! まだだ、まだ間に合う! 聖女様の神聖魔法があれば……」
「その聖女は本当に力を貸してくれるのかな?」
仲間たちと合流したリンシャウッドは、冷静な疑問を投げかけるように、そう言った。
他の二人はそれぞれ、腰の剣を抜き、槍を構え、その穂先を炎の巨人に向けている。
どういうことだ、と叫び返しそうになり、エリオットは彼らの視線が、リンシャウッドの銃口が、もはやこちらに向けられていないことを知った。
ひとりの裏切り者と、その仲間たちは、いまは炎の巨人へと、標的を移したのだ。
クランを組み、ここまでやってきて、アニスを殺しておいてなお……どうして、そちらに敵意を向けるのか。エリオットにはもはや何もかもが理解できない状況だった。
聖女が力を貸してくれるかどうか。
それ以前に、遺体をそこまでどうやって移動するか、安置する方法は? などと考えてしまう。
神殿は王都にあり、ここからそう遠くない。転移魔法が利用できれば、即座に移動できるだろう。
いや、それよりも魔猟師協会のテントに戻る方が最善では?
あそこにならば、神聖魔法が使える魔法使いが一人や二人、待機していてもおかしくない。
そう考えたらエリオットは、まだ血の滴るアニスの全身を持ち上げると、最後のポーションを……。
一番最後に、命の危険にさらされた時に使おうと思って秘めていたそれを、自分のために利用した。
魔石を口元へと運び、高位回復魔法のかかったそれを、自身の肉体へと作用させる。
「アニス、ごめん。かならず、あなたを取り戻して見せます」
ありとあらゆる痛みが、ありとあらゆる苦悩が、ありとあらゆる絶望が、一瞬にして希望へと心の中で変換される。
まるで麻薬だ。一番ダメだったものが、一番良かったものに変換され、そのまま維持されるのだから。
この快楽を知ってしまったがために、冒険に出向き、傷を負い、獲物を倒して、ポーションを飲んで快楽を得る者も少なくない。
所属していた騎士団では、よほどの怪我でない限り、回復魔法を利用はするも瞬間的に、爆発的に回復力を高める高位ポーションを利用することには、制限を強いていた。
「はあっ! なんだ、これ……」
それまで疎遠になっていた命というものが、いきなり強力な力によって、無理やり自分の全身を心を蹂躙していき、そして生きるのだ、ということを無理強いさせて消えていく。
これは、神の御業というよりも、魔の行う邪悪な行為のようにも感じ取れた。
そして彼女は、その邪悪な行為の恩恵すらも得ることができず、魂が肉体から去ろうとしている。
「あーあ。慣れない素人が、いきなりそういう高位回復魔法に似た薬を使うと、後から反動が激しいから、中止したほうがいいですよ。いきなり虚無感に襲われたり、虚脱感に襲われて全身から力が抜け落ちる事も少なくないですからねー。アニスを背負ってテントまでたどり着けるかどうか」
面白そうに、なぜか楽しそうに、リンシャウッドが後に居るエリオットに向けて、声を放つ。
彼女の視線は、エリオットの方に向いていなかったが、その優れた聴力や嗅覚で、黒狼は少年の一挙手一投足を把握しているようだった。




