第四十九話 さよならの瞬間
リンシャウッドの魔銃が撃ち出した一撃は、綺麗に狙った丘のふもとへと着弾した。
アニスは足元に微かに開いた結界の隙間から、鷹の眼スキルでそれを確認する。
「届いた!」
「やりましたね! あとはタイマーが」
そう、あとはタイマーがゼロになり、召喚魔法が発動するだけなのだ。
25、24、23、22、21……とみんなの頭の中で、心の中で秒読みが始まっていく。
結界はパリンどころか、ぎしぎし、ぎり、ガリ……ゴガっ、なんて随分重たい破裂音までさせていて、中にいる三人は中心にいるエリオットの元に集まっていた。
緊張して肩を竦め二人はそれぞれ、エリオットの左右の腕にぎゅっとしがみつく。
そうしたら、リンシャウッドの太い尾がアニスの居場所までやってきたものだから、思わず口論が勃発した。
「ちょっと、こんなときくらいその大きな尾を丸めなさいよ!」
「はあ? 何言ってるんですか、黒狼にとってこれは命よりも大事なんですから!」
「ならそれ焼いてやるからこっちに寄越しなさいよ!」
「ふざけんっな。それこそ戦争ですよ!」
やってあげるわよ! と身を起こしそうになったところで、上から「いい加減にしろ!」と鋭い雄々しい声が吠えた。
エリオットだ。こんな心細い状況下で見苦しい喧嘩をするのも、誰か支えてくれる相手を欲しているからだった。
「エリオット」
「……だって、アニスが」
男の子らしい力強いたくましさに叱られて、女性二人はしゅん、と俯いてしまう。
エリオットは彼女たちの頭に手をやって撫でるほど無礼者ではなかったから、それは止めた。
「もう喧嘩するのは後にしませんか。それより、ほら、タイマーはあと5秒くらいでしょう? アニス、そろそろ魔弾で結界の亀裂から侵入してくる炎を撃退してくれないと、俺も持たないよ」
「え、ああ。やってるけど、数が多いのよ……さっさと諦めてくれないかしら、あいつ」
「炎の巨人にそんなこと言っても無駄ですよ……多分」
アニスは自分のスキル【魔弾】の効果範囲を結界の内側、ぎりぎりのところまで広げた。
スキルはある意味、第六感のような物だ。それに触れたものの熱さや冷たさが直感的に分かるわけではないが、触れれば即死、臭いを嗅げばそれも毒となるし、熱波で肺も焼かれる。
あと数秒、というところでふと気づくと、炎が結界に侵入している威力が薄まっていた。
代わりにアニスにスキルが教えたのは、内側から放たれた外側の聖なる炎に対抗できるほどの、猛烈な別種のものが、内部から外部へと出て行こうとしている感覚だった。
「リンシャウッド?」
「特別ですよ! さっき食べたグリーンホーンから得た魔力が全部なくなりそうだけど!」
リンシャウッドが放つ闇の炎が、聖なる炎と溶岩の浸食を防いでいたのだった。
それも数秒の間で、魔石の召喚魔法が発動した際に、妨げにならないように、エリオットが結界をいきなり消滅させると、聖なる炎の猛攻はさらに強くなる。
ぐっ、とリンシャウッドとアニスの両肩にそれまでの数十倍の、魔力の圧が押し寄せてきた。
意識を失いそうになりつつも、頑張って押し寄せる魔法の蹂躙を跳ね返す。
「――なっ!」
「どういうこと!」
「召喚されたんだ!」
押し寄せてきた魔法の波とは異質のもの。
巨大な魔法の手が、三人の魂に至るまで、肉体を構成する物質の破片に至るまで、絡め取り、舐め上げて、自分の肉体の方へと。魔石がある方へと引き寄せた。
三人はタイマーが作動し、魔石に封印されていた召喚魔法の発動により、ありとあらゆる束縛から解放されて、市瞬時に丘の上へと移動する。
その速度はすさまじく、まるで高速運転していた馬車が急停止し、その荷台から飛び出してしまい、硬い地面に叩き付けられたときと、同じくらい威力のあるものだった。
「くっ!」
「がうっ!」
アニスが受け身をとりながら、自分とリンシャウッド、エリオットにかかる重力をスキルで相殺する。
リンシャウッドはまるで狼のように吠え、全身から先ほどと同じく闇色の炎を盛大に噴き出して、地面との衝突を避けていた。
エリオットも騎士団時代に落馬や馬から落とされた際、敵との格闘の際に肉体を襲ってくる過負荷をどのようにして逃せばいいのか、習っていたのだろう。不慣れながらも、大けがをするようなことはなく、地面に叩き付けられてから、跳ね、転がってうまく威力を殺していた。
三人は巨人の手元から砲弾のようにして、丘の中腹に凄まじい速度で引き寄せられ、重力の暴力によってあわや死にそうな目に遭ってしまったのだ。
これには考案者のアニス含め、魔石も持ち主で結界から撃ち出したリンシャウッドもそうだし、その案に黙って乗っかったエリオットの誰もが、硬い地面で全身を強打して痛みを耐えている間、耳にしたら塞ぎたくなるような口汚い言葉を使い、心の奥底で文句を言っているのは間違いなかった。
ただ、アニスもリンシャウッドも、長い戦いの経験から、こういった荒事には馴れていた。
命が助かったのだ。
もし、計画が失敗してあのまま地面に激突した衝撃で死を迎えたら……と、改めて思うと、文句を口にする気にはなれなかった。
「……みんな、無事ですか」
「ええ、どうにかね。黒狼の炎でもっと威力を殺してくれたら」
「魔弾のスキルで、地面とぶつかる衝撃を緩和してくれていたら」
エリオットは全身から立ち昇る痛みをどうにか我慢して、仲間の安否を確認する。
アニスもリンシャウッドもそれぞれ、返事を返してくれて、ほっと安堵のため息意を漏らす。
「あーあ……二人共、恨み言ばかり言ってるけれど、仲良くできたんじゃないですか?」
「誰がこんなダメ狼と」
「誰がこんな役立たず令嬢と」
「まだ言ってるよ、この人たち……」
せめて命の危機をくぐった仲なのだから、今くらいは仲良くしようよ、とエリオットは苦笑して、ゆっくりと上半身を起こした。
自分のバッグを漁ると、そこには稀少なポーションを封じた魔石がまだ数個残っている。
それを手に取り、彼に続いて身を起こしたリンシャウッドに向けて、放ってやる。二人の合間にはアニスがいて、数メートル離れていた。
「なんですか、これ」
「回復ポーション。簡易版だから、それほど早い効果は見込めないけどね。あれから逃げるくらいはできると思う」
「ああ……」
炎の巨人はさっきから、あの場所。アニスたちが結界を解除して、灼熱の手の内から逃げ出した場所で、じっと自分の手のなかを見つめて、微動だにしない。
アニスたちの丘の上には、あの聖なる炎が集まってできた巨人が求めるモノ。
ローズ・ローズの本体があるはずなのだが、それの様子をうかがっているのかもしれない。
いまアニスたちがいるのは丘の中腹、それも巨人の正面向かって左手の方で、丘の裾野まで左下に向かって降りていき、そこから魔猟師協会のテントまで戻るのが、一番懸命だと思われた。
「姫様!」
「アニス様、ご無事ですか?」
と、上の方から真紅の長髪を風にひるがえした女性と、なぜか抜き身のまま刃を仕舞っていない大柄な長槍を持つ男性が降りてのが見える。
彼らの動きに合わせるようにして、リンシャウッドもまた「もう散々ですよ」と呻きながらポーションを飲み、痛みを我慢して立ち上がり、アニスやエリオットと合流しようとしていた。
「アニス、動けますか?」
「……うん。まあ……」
さっきまでの毒舌の応酬をしていた元気はどこに行ったのか、と気弱な発言をする彼女の言葉に、エリオットはなにか不安を感じた。
奇妙な翳りのようなものだった。太陽に照らされていた空が、いきなり灰色雲に覆われたような嵐の前触れのような、そんな予感。
エリオットはその予感を前にも感じたことがあった。
それは死、という名の予兆だ。
ポーションを投げて渡しても意味が無いことに気づき、エリオットはまだ回復しきれていない全身を叱咤激励して、自分の雇い主の方へと歩き出す。
ポーションを与えれば、まだ間に合うはずだ。その思いにすがりたかった。
同時に、リンシャウッドが回復魔法を使えるという事実も思いつく。
「リンシャウッド! アニス様に回復魔法を――っ」
「うん、そうですね。でも、アニス?」
黒狼はエリオットよりも早く、しかし普通からすればのろい足取りで、ゆっくりとアニスに歩を進める。
その顔にはいつものような屈託のない笑みはなく、痛みとそれ以上の悲しみに覆われた、濁った死んだ魚のような目で、アニスを見つめていた。
「……ここまできて、しくじった?」
「多分、そうですね。出るべきではなかった、ホテル・ギャザリックから」
リンシャウッドが背中から仕込み魔銃を取り出して、その銃口をアニスに向けるほうが、エリオットが走り寄るよりも数秒だけ早かった。
「アニス――――っ?」
ターン。と黒狼の銃口が、白い魔法の炎を噴き出す。
それはどうにか上半身を起き上がらせようとしていたアニスの、胸を易々と貫いていた。




