第四十五話 飴色の脅威
薄っぺらい板の上に乗った自分たちを、足元から巨大なハンマーが打ち付けたような、そんな感触が全身を貫いた。
アニスたちの乗る地面は逆円錐形の足場となり、それまで存在していた、地獄のような光景から脱出を果たす。
秒速何キロメートルかで打ち上げられたのだから、その中に納まっている物体はそれだけで急激な加速と圧力に襲われてしまい、 内臓が飛び出るほどの圧力にもだえ苦しむはずだ。
しかし、雷帝の園、そのものが優秀なのか、それともアニスの闇属性の効果なのかははっきりとしないまま、リンシャウッドやエリオットが感じたのは、凄まじい速度で打ちあがり、そのまま落ちていく自分たち。
そして、雷帝の園のなかにいて、これから落下するだけの現実に対し、何も打つ手なし、という悲惨な状況に立たされている、という認識をすることだった。
「うっひょおおお――――っ! 飛んでる、飛んでますよ、これ!」
「言わなくても分かるよ! アニス様、何考えているんですか!」
「みんなで賛成するような素振りしたじゃないの」
賛同はした。したけれど、いざ夜空の旅人になってみたら、これほど居心地の悪いものもない。
足元にはなにもないようなすっかすかの感覚を抱え、ふわっと瞬間的に重力から解放されて、心まで自由になった。
……それまでは良かった。問題は、ああ生きていて良かったとほっと安堵を覚えた瞬間に目に入る、七色に煌めく地上の川。灼熱の溶岩と思しきそれと、ほぼ同じ視線上にある炎の巨人の顔が見え、それはこちらには気づいていない。
楕円軌道を描き、ようやく頂点に達したところで、足場は緩やかにそして加速度的に落下を速めていく。
もちろん続いて起きるのは自由落下で、それに適した最適な感覚をというものを、人類は持ち合わせていない。
闇夜が巨大な悪魔を想起させて、地面に縦横無尽に走る七色の川、炎のたぎるそれが悪魔の目にも見えなくはない。
根源的な恐怖、本能が持つ原始の闇への恐れというものが、三人のなかにじんわりと湧き上がる。
三人が叫んだ声を感知したのか、炎の巨人の目が鈍く光ると、こちらに顔を向けてその手を伸ばしてきた。
認識された?
アニスがもう打つ手がないわよ、と心の中で叫ぶ。
それはエリオットも同様だった。
「やだー見てる!」
「もうどうしようもないよ! 攻撃も外には出ないんだ!」
「万事休すじゃないですかアニス?」
「無理っ!」
かつて竜族捕縛用に使われていたこの魔導具は、外部からの攻撃に対して驚嘆すべき防御力を誇るとともに……内部からのあらゆる攻撃を外部に漏らさない、という特性があるのだ。
つまりこのまま落下したとしても、地面と衝突した際に、どんな衝撃が襲ってきたとしても、この中にいる限り、アニスたちは無事なのだ。
主に肉体がその対象で、落下による恐怖心などの心理的な面をカバーしてくれないのは、致し方ないのかもしれない。
ついでに恐怖心をあおる対象はもう一つあって、巨人の伸ばした腕が、結界を掴もうとしているのだ。
ゆっくりと、しかし、落ちる軌道を正確に読み取って、ごうごうと燃え盛る白のような蒼のような、朱のような五本の指先が、アニスたちを包む結界をがっしりと掴まれた。
次いでやってくる、めしめし、みりみり……という、微妙に鈍重な音とともに、結界の端からピシッと亀裂は入っていく。
「ああああっ、もう駄目。死ぬ!」
「結界、結界が!」
「リンシャウッド、結界が破れたら一斉に撃つわよ!」
さすが実戦経験豊富なアニスは、年下組二人の先に立って冷静だった。いや、冷静になることを強いられた。
魔法の使えないエリオットがここまで踏ん張って頑張り、リンシャウッドも間接的にだけれど、グリーンホーンを退治してくれたのだ。
いままさにハイライト。
ここで踏ん張らなきゃ、このクエストに参加した意味がまったくなくなってしまう。
だいたい、初戦でこんなどうしようもないような化け物と出くわすと思ってみなかったけれど、この聖なる炎の巨人も、考え方によっては妖精の一種。
せっかく#妖撃__ギャップイヤー__#と名付けたこのクランの名が廃る。
何をするにしても、最初は結果を成功に収めないと、物事というものは後に続かない。
アニスの号令一下、リンシャウッドはどうするの、と質問を控えた。
撃つ標的になるものなんて、せいぜい限られている。
精霊に限らず、魔物や人間に限らず。
その中心には核があるからだ。人間なら心臓、魔族なら魔石、精霊なら――聖核。
正確にそれを撃ち抜くことができれば、この劣勢は一転して好機へと転ずるはずだ。
そして、リンシャウッドは遠距離狙撃で敵を下すために、その弱点を撃ち抜く訓練を受けてきた。
「しょうがないなあ、もうっ!」
「分かるの?」
こういうときは……、とリンシャウッドは背中から抜き出した大型の仕込み銃を一瞬で組み立てると、触れればそこにあるほどに近い向こうにある、精霊の目に銃口を向けた。
「決まってるでしょ? こんなときは目立つときに核があるの!」
「了解!」
アニスとリンシャウッド。
二人の放った魔弾は、結界の片隅にヒビが入り、欠けてしまったほんの小さな隙間から炎の巨人、その六連の瞳へと疾る。
緑と銀色の痕を残し、空間を引き裂いて向かった魔弾たちは、正確に巨人の瞳を射抜いてた。
幅五十センチほど、人の瞳の数十倍はある動く的はそれを受けて、一瞬怯むも、瞬きを残して微動だにしない。
目のなかにゴミが入った程度の感触しか相手には与えていないようで、巨人が数秒だけ動きを止めた後、また結界の破壊は再開された。
「あれで効果がないってどういうことよ!」
「……さすが、聖なる炎の霊。私たち程度の魔力では、微動だにしないですかー」
「ですかーじゃ、ないわよ。凄腕のハンターって売り込みはどこに行ったのよ」
「さてー……。これは困りましたねー」
リンシャウッドはあまり困っていないように、さてはて、と困った顔をしてアニスを苛つかせた。
それよりも気になることがあったのだ。
この結界が完全に機能を停止するまでにあと数分はかかるだろう。
上からは下の景色が一望できて、高所恐怖症の人減以外はなかなかに良い光景を楽しめる。
「あれって何に見えます?」
「何って……魔石?」
結界の中から、炎の巨人がじっと見つめて向かおうとしているその先にあるものが、なんとなくわかってしまった。
向こうにある小高い丘、片側が切り立った崖になっており、そこには一本の巨木が生えている。
「根元のあのあたり」
リンシャウッドは更に位置を特定するように、アニスとエリオットに向けて指でそこを示した。
薄っすらと青白い月光に支配される夜の中で、巨木の足元だけがなんだか緑色の光が漏れているように思える。
燃えるように輝くサファイアがそこにあるように、アニスは錯覚を覚えた。
もしかして――。
「あれってまさかの」
「そう! 多分、あそこにあるんですよ! ローズ・ローズの魔石が!」
「だからあそこに向かってたんだ、コイツ!」
口の悪い表現をしたのか気に食わないのか、炎の巨人の瞳のひとつが、アニスたちの方へと向けられる。
「あっ……」
瞳は先ほど攻撃された仕返しとばかりに、ぐわしっとこれまでにないほどの圧力を腕にかけて、結界を壊しにかかり始めた。




