第四十三話 エリオットは奮闘する
青白い月の光が世界に満ち満ちる中、テイルズウィーバーの空を朱色に染める、炎の巨人は静かに、不気味に、そして容赦のない足取りで、空中を滑るように歩いてくる。
その姿はまるで、世界のすべてを支配しようとする、恐ろしい灼熱の魔物を連想させる。
顔の当たる部分には鼻に当たる部分は泣く、その代わりに中心から斜めに菱形の瞳が、それぞれ三個ずつ。
左右で計六つの瞳が、こちらを見咎めるようにして、にらみつけているのではないかと思わせる、恐ろしい形相だった。
瞳は紫色で彩られており、それは巨人の手や足の節に当たる部分にも、まるで装甲のように張り付いている。
一つの標的を消滅させることを、数世紀に渡って行ってきた、彼の動きには、明確な意志が感じられた。
ローズ・ローズを追いかけ、追い詰め、せん滅する。
ただそれだけのために、聖なる炎の精霊は、いま真紅の巨人となって、アニスたちに迫っているのだ。
いや、正確にはその向こうにある、彼が認めた何かに向かい、愚直に前進を続けているのだった。
しかし迫ってくるその巨大さに圧倒されて、アニスたちは原始的な恐怖心に心を震わせる。
自分たちを焼きつくそうと巨人が迫っていると思い込んでしまい、巨人の向かう方向に必死になって、逃げようとしていた。
「どうしてあんな化け物が私たちに向かってくるの!」
「知りませんよ、そんなこと! アニスが放った魔弾か、それともグリーンホーンに向けたリンシャウッドの黒い炎か。どっちかに反応したんじゃないですか?」
エリオットは元騎士団見習いらしく、女性二人を先に走らせる。
先頭を走るのは意外にもリンシャウッドで、自分の名前が話題に上がったら、獣耳を後ろに向けて反応するも、知らん顔だ。
どうやら彼女は、黒炎を使いグリーンホーンの大群を飲み込んだからなのか、非常に満ち足りた顔をして、元気いっぱいで足取りも軽やかに、その場から逃げ去ろうとしている。
逆にア二スの方は自分の使った技が、もしかしたら、あの炎の巨人を呼び寄せることになったのかもしれない、と思うと頭の中を罪悪感が占拠してしまい、判断力が鈍っていた。
先を行くリンシャウッドの黒いふさふさとした尾を目標に必死になって駆けながら、どうしよう、どうしようと最年長らしからぬ、焦りを覚えていた。
「なんでもかんでも私のせいにしないでください! 私の炎が、グリーンホーンを吸い込んだから、みんな無事でいられるんですよ!」
「その炎を使って、あなたが巨人をどうにかしなさいよ!」
「無茶言わないでください。その辺りに生息する魔獣ならともかく、あんな高位の精霊になんて通用しないんだから」
魔力の使いすぎで体力が普段の半分以下に落ちているアニス、逆にグリーンホーンを吸い込んだことで、これまでにないぐらい生き生きとしているリンシャウッド。
このままだと黒狼だけが逃げ延びることになりそうだ、とエリオットは走りながら額に汗を垂らす。
自分のことを犠牲にしてでも、貴族であるアニスを逃がさないと、もし生き延びた際には、祖父に殺されるだろう。
そんなことを考えながら、エリオットは、携行していたバッグの中から、幾つかの魔石を取り出して、なるべく遠い距離に届くように、後方へと投げつけた。
「エリオット?」
一瞬動きが止まった彼に気づき、アニスも走る速度を緩めた。
彼女が後ろを振り向いて確認すると、エリオットは先に行けと、大きく手を振った。
彼はさらに追加でいくつかの魔石を取り出し、それは巨人に向かって放り投げる。
まだかなりの距離があるから、相手に直接届くわけがない。
だが、地面に放り投げられたそれらは、何かに当たると同時に砕け散って、内部に封じ込められた魔法を発動する。
エリオットの放り投げた魔石は、あらかじめ何種類かの魔法を封じ込めている、魔猟師協会は市販している魔導具の一種だった。
呪文を唱える必要もなく、それを放り投げた、もしくは手にした際に明確な意志をもって発動するように命じると、内部に封じ込められた幾つかの魔法が発動する。
魔石が砕け散ったら、そこには逆巻く竜巻と、巨大な水柱がいくつも地上から天空へと打ち上げられた。
それは高さにして三メートルほど。少し前にリンシャウッドが呑み込んだグリーンホーンぐらいの魔獣に対してなら、有効な武器だと思われた。
しかし炎の巨人は見上げるほどに巨大で、一番高い竜巻でも、その腰程度にしか届かない。
だから少しでも足止めになることは間違いがなく、巨人は大気を震わせて、自分の行く手を遮る邪魔者の出現に、怒りの叫び声を上げた。
「うわっ」
「ひっ……!」
空気の振動が、耳の奥を支配して、エリオットと走る速度が遅くなっていたアニスを直撃する。
ふらついてその場に倒れ込んだ二人がどうにか立ち上がり、また逃げ出そうとした時、すでに炎の巨人がすぐそこにまで迫っていた。
彼の手が二人の真上から迫り、ぼとぼとと灼熱の奔流が、豪雨のようにして降り注がれる。
頭上から落ちてきた溶岩の濁流に、エリオットは果敢に挑んだ。
手元に残した魔石の幾つかを地面に叩き付けると、それらは数本の水柱となって、二人を迫りくる轟炎から防ぐ役割を果たす。
だが、激突したその二つは即座に蒸発し、超高温の熱波となって地上に押し寄せてきた。
エリオットは魔法が使えない。
その代わりとして、魔石の扱いには長けていた。騎士団で魔法戦に対抗する方法を学び、訓練を受けてきた成果が、いま自分の守るべき女性を救おうと、本領を発揮する。
「雷帝の園!」
「ちょっと待って――!」
リンシャウッドが慌てて二人の合間に滑り込んできた。
彼の命令に応じ、いつの間にか右手に嵌められている、金色の腕輪が鈍く光ると、彼を中心として半径ニメートルほどの紫色の透明な膜が発動する。
間一髪で展開された魔法の防御壁は、降り注ぐ暴威の奔流が、辺りの地面を溶かし、木々を燃やして、死の空間を彩る中、それは灼熱の熱波と溶岩の雨を防いでもなお、その場に三人を無事な姿で残していた。




