第四十一話 緑の一角牛(グリーンホーン)
それからほぼ一時間をかけて西回りに王都の北西、テイルズウィーバーをアニスたちは目指した。
東側から行けば半分ほどの時間で着くはずのそこは、丘陵地帯にまで火が燃え広がってしまい、人を寄せ付けない火災現場へと姿を変えていた。
戦女神ラフィネの神殿に所属する高位神官たちはすぐさま王都に炎と煙が侵入しないように、あらかじめ張り巡らせている結界を強化したものの、それは同時に避難民を弾いてしまう結果となってしまった。
火災のせいで家を焼け出され、田畑を失い、土地を捨てて王都に逃げ込もうとする農民が後を絶たないのだ。
彼らの多くは王都のもっとも外側にある外壁の側に臨時に設営された避難キャンプへと逃げ込んだ。
あとはローズ・ローズが生き残っていると思われる土地に、現代の聖女が神聖魔法による魔法生物の一掃をするだけで、この騒動は終わるはずだった。
その後に、同じく浄化魔法と回復魔法を広範囲の土地に施すことで、土地や田畑、家々は元の姿を取り戻すはずだったから。
ローズ・ローズを全滅させることを目的とした作戦が開始された直後、意外が人物から待った、と声がかかった。
停戦状態にある、魔族の王国の長。魔王が稀少魔法生物を絶滅させるなんて、とんでもない、と苦情を申し立てたのだ。
「そして起こるローズ・ローズの移送計画。というとこね、国と国の問題って面倒くさい」
「もし結婚していたら、その矢面に立っていたのでは?」
儚げに漏らすアニスに、容赦ない黒狼の嫌味が飛ぶ。
むうっと唇を尖らせると、リンシャウッドはそれでどうするのか、と話の続きを促した。
「高位魔獣を封印する魔導具があるの。それにローズ・ローズの本体を封じて、魔族の王国に移送するらしいわよ」
「……で、作戦開始から約一週間。まだその本体は見つかっていない、と」
「見つけては、かつての聖女様がかけたローズ・ローズへの呪いを完遂すべく、炎の精霊が燃やしていく。そんないたちごっこになってる」
御者席で呆れたようにエリオットは言った。
四百年前の契約がまだ有効なことにも驚くが、契約した精霊にも驚いてしまう。人は老いれば死ぬ。しかし、精霊や魔獣は年数を重ねるごとに強大になる。
「その炎の精霊って現代の精霊使いでは使役できないの?」
「炎の女神リシェスの聖女が、大陸の東からやってくるまで、誰も交信できないだろうって見通しらしいですよ」
大陸の東の果てからやってくるのか。
それならまだまだ先の話になるだろう。少なくとも翌週にはなりそうだ、とアニスは目算を立てる。
「中には避難キャンプに収容された農夫が自分で持ち込んだ、麦の種を入れていた保存魔導具のなかにローズ・ローズの種が混じっていたとかで、身を焼かれた者もいるんだか」
「もう安心して寝ていられないわね。王都にもし、そんな種子が持ち込まれた日には……」
「騎士団も総出で出動を命じられたらしいです。陛下も陣頭指揮を取りに、現場に向かっているとか」
「……」
かつての第二王子。現国王フリオがそこにいる。
それは嫌な予告だった。
太陽が沈んだ後だというのに、月明かりに照らされたにしてはいやに真紅が咲き誇る世界が広がっている。
対策本部が設けられたテントにはエリオットに行ってもらい、アニスは馬車を指定の場所に動かして、彼の戻りを舞った。
やがてしばらくするとエリオットは困った顔をして、馬車の御者席に腰かける二人に向かい手を高く上げる
どうしたのか、と問いかけると彼は忙しい夜になる、とだけ告げた。
リンシャウッドは出会ったころのような恰好のまま。黒いフードコートをすっぽりとかぶった下にはシャツとこれまた黒いズボン、それに長靴。
アニスは男物のハンチング帽を被っている。
外見から女だと分かる格好は、こういう戦いの場では不利なできごとしか生まないからだ。戦時のときに着ていた王国の支給する軍服をそのまま流用して、着用していた。
家紋がついていると面倒くさいのと、夜に長袖で動き回るのは暑いからという理由で、上には薄手のジャンパーを羽織っている。黒髪は木々に巻き付いて邪魔にならないようにお団子にして、帽子の下にひっ詰めている。
エリオットは携行用の魔獣と腰に帯剣。胴には簡単な攻撃魔法や剣の刺突なら防げるという、魔法のかかった胴衣を着ていた。
「僕たちがやることは簡単」
「うん?」
「夜は狼の時間だからまあ、対処できるかと」
「……ローズ・ローズの本体は、分身をいくつかの株に分けて、辺りに棲息させているだとか……」
えっ、とアニスとリンシャウッドの声が重なった。
でもそれは例の炎の精霊が焼き尽くしてくれたはず……?
「残念ながら、ローズ・ローズも他の魔法植物と繁殖を試みたらしく……それは対象外らしいです。で、その一つ、グリーンホーンを狩ることになりました」
グリーンホーン。植物で肉体を覆う魔獣の中身は長い角を頭から生やした、大型の水牛の様なやつだ。
水辺で繁殖し、気質は温和で滅多に人を襲うことがなく、その肉は素晴らしく美味で……」
「遠隔狙撃しましょう! そうしましょう、そして焼き肉を―っ!」
はいはいはい、と嬉しそうに手を挙げて提案するリンシャウッドは、本当に困った奴だった。




