第四十話 王の剣
講習会の会場で、アニスに袖なくされてしまった二人組。
真紅の髪の少女アルテューレは黒髪の槍使いオネゲルに向かい、「どうするのよ」と小さくぼやきながら馬の手綱を引いた。
二人はアニスたちがエリオットの用意した馬車でホテルを立った後、すぐに単騎の馬を二頭レンタルして、気づかれない程度に距離を置きつつ、尾行を開始した。
厄介なのはあの黒狼だ。
獣人は人の数百倍の聴力を持ち、鼻が効くという。
そんなリンシャウッドに気づかせないように尾行することは、なかなかに至難を極めた。
何しろホテルの会場で既に匂いを覚えられている可能性がある。
「おまえがしくじったんだ」
「違うわよ、あなたが!」
二人は気配をある一定期間だけ消すことのできる魔猟用の魔導具を発動させながら、ずっと同じことを言い合ってここまでやってきた。
大きな声を立てても一定範囲から外には漏れることがない。匂いも音も気配すらも消すことのできる優れものの魔導具は、いまや単なる痴話喧嘩を他人に晒さないための見えない障壁と化していた。
「あのお方はサフラン様の婚約者だったのよ? そんな高貴な女性が、あんな獣人と冴えない魔導具師見習いとつるむなんて、信じられない」
アルテューレは猫のように吊り上がった目を細めて、はるか先を行く馬車の御者席に座るエリオットをにらみつける。
「魔石彫金師見習いだ」とオネゲルが細かく訂正すると、彼女は槍使いに怒りの矛先を向けた。
「あのまま黒狼を見捨てて、魔石彫金師見習いを見捨てるように進言すれば、きっとあたしたちと共に来てくださったはずなのに!」
「そりゃ、無理だろな。アニス様はどう見ても、特権意識があるようには見えなかった」
「……どういう意味?」
「身分差別とかなくなった方がいい。そうは思っていなくても、なるべく身分の垣根を越えた人付き合いを好むように思えたな」
「あなたが皮を売ればいいとか言うから……。怒ってしまわれたんだわ」
ホテルギャザリックで開かれた魔猟師講習会の会場で、アニスが来ることをあらかじめ情報として仕入れていた二人の男女は、リンシャウッドが違法なふるまいをしてさらに空腹でぶっ倒れ、アニスたちに保護されてしまうという想定外の事故に遭遇していた。
この日、二人はとある任務を帯びて魔猟師講習会に潜入したのだが、アニスとの接触は最悪な物になってしまった。
リンシャウッドが余計だったのだ。
どこの馬の骨とも知れない獣人なんてさっさと見捨てて、自分たちの要件を済ませたかった。
このままリンシャウッドを助けてどこかに行かれでもしたら、新たに計画を練り直さなくてはならない。
そんな心の焦りと、二人の中では常識だった身分への意識の低さが、結果的に計画を頓挫させてしまった。
リンシャウッドを抱えてアニスたちが背を向けたとき、二人は計画のやり直しを迫られた。
「そういう問題じゃないと思うぞ、俺は」
「また意味の分からないことを……。上級貴族の女性は、それ相応の身分の者と付き合うべきだわ。私達のように」
それは確かにそうだ、と槍使いは同意する。
二人が持つそれぞれの剣と槍の一部には、王家の紋章が刻み込まれていた。




