第三十一話 黒狼の価格
え? と軽く絶望的な目をして、リンシャウッドはアニスたちを見てくる。
もちろん、そこにあるのは「私、お金持ってないよ」という無言の意思アピールだ。
ひくりっと頬を歪めてまさかの、借金人生? いいえ、そんなことないよね、貴族様なんだからこれくらいおごってくれるよね? と黒狼の少女は、くるくるとその表情を変えてアニスにすり寄る。
それをめんどくさいから、の一言でアニスが「近寄らないでくださいませ」と無下にしたとき、リンシャウッドの幸せご飯タイムは終了した。
黒狼の少女は、獣耳と尻尾さえなければ人間の黒髪の美少女といってもよいだろう。
その口元に、短い手では届かないはずの距離から、スルスルスルスルルと料理が、まるで宙を滑るようにしてその口元に運ばれは、消えていき。また運ばれては消えて息を繰り返していた。
一体どうやっているのだろうと、アニスはリンシャウッドの様子を注意深く観察し、魔力を瞳に凝らしてそこにいるはずの何か、を見ようとする。
エリオットはそこまで魔力を操れないからその何かに気づいてはいたが、姿までは視れなかった。
いまもまだ幾つかの料理がリンシャウッドの口元に寄せられては、空中で停滞を繰り返していた。
「うっぐ……そんな、酷い、獣人虐待……ううっ」
なんて彼女が嘘泣きをしてみせたら、料理たちは更にくるくるくるくるくると、何もない空間を舞った。
まるでそこに、見えない運び手がいるように。
「精霊か。獣人の中には体内に精霊を宿している種族がいると聞くけれど、その一つね?」
「あううう……。一応、闇の炎を扱う黒狼です、許して」
「まあ、食べたものは払ってもらうとして」
「ひいいっ」
アニスはじっと鑑定するかのようにリンシャウッドを上から下まで眺め見た。
主に大きくてマフラーになりそうな尻尾や、良い帽子になるだろう獣耳とかそういった部分だ。
自分が人格のある存在ではなく、単なる獲物として見られていると知り、リンシャウッドはぽとり、とスプーンを取り落とす。
すると、見えない誰かはそれすらも器用にキャッチして、持ち主の手元に戻すと浮かばせていたさまざまな料理をそれぞれの元の皿へと戻していった。
「あああああっ、売られる!」
「売らないわよ。ああ、そこの給仕。この獣人要らない?」
呼びかけられた年配の給仕は「お食事代金は伯爵令嬢様。いいえ、侯爵に御父上が昇進されましたな。おめでとうございます。そちらに請求致しますので。え、それ以外で?」
うーん、と彼は口元に生やした髭を片手でなぞりつつ、謎めいた視線をリンシャウッドの頭のてっぺんから足のつま先まで這わせて、脳裏で計算をしたらしい。
そうですねえ、と調子を合わせるようににこやかな笑顔で答えてくれた。
見たところ、と給仕は伝える。
あまり、価値がない、と両手を広げて皮肉そうに笑った。
「幼いし、美しくはありますが、ホテルの仕事で必要とされる美しさは成人以上となります。お嬢様はまだお若いし、接客業に興味があれば我がレストランで体験などをなされてみては、いかがでしょうか?」
「このレストランはあなたをいらないって言うし、そうなると奴隷に叩き売るしかないわよね。いくらになるのかしら、奴隷市場って最近見に行けてないの。あなたが首をつけられ鎖に縛られて、オークションの会場で値段をつけられる様を見るのも楽しそうね?」
さも当たり前のように、この田舎者丸出しの黒狼に、言い含めてやる。
逃がさないように、ゆっくりとじわじわと追い詰めていく。
「ひっ、ひひ……」
「人でなしなんて言わないでよ? 私達の目の前で倒れたのはあなただし、人のおごりだと思って勝手にたくさん食べたのも、あなただし。単純に確認しなかったあなたが悪い。反論は?」
「……ありません」
がっくりと肩を落として、可哀想に少女は涙目になってしまった。
しっぽを切り取られないように大事そうに抱えこみながら、それでも食事をする手は緩まない。
どうやらこれから先の人生を達観するために、いま詰め込めるだけ今後は味わえないであろう、美味しい食事を詰め込むことにしたようだった。
ポロポロと涙を流しながら、見えない精霊たちがリンシャウッドの頬を伝わるそれを備え付けのナフキンで拭いていた。
自暴自棄になりつつ、これから先、アニスについていくことを決めたのだろう。
「私、リンシャウッドです!」から始まった彼女の自己紹介は、なかなかに壮絶なものだった。




