第十五話 自立か側妃か
「いや、大いに関係がある」
伯爵は困ったような顔をして、短く刈り込んだ金髪を片手で撫でつけていた。
嬉しいことに困惑しているときに、父親が見せる素振りだ。
アニスは確認するように恐る恐る口を開いた。
「……もしかして私、スパイになっていた……?」
「いやお前に四六時中誰かを張り付けていたり、魔法で報告をさせていたっていうわけじゃない。盗聴用の魔導具を仕込んでいるわけでもない。おまえの身に付けている物は、まともな品々だ」
「なら、どうして? だって私がまるでスパイみたいに言うのはなぜ、お父様!」
「俺じゃない。……フリオのやつが、お前とサフランが接触したときある、程度の距離の中で一定以上の時間を過ごすと、その部屋に仕込んであるいくつかの発信機が作動する仕組みになってる」
それを聞き、アニスははっとなって、辺りを見回した。
まだ室内には、その盗聴用魔導具が設置されているかもしれない。
いま交わしている会話すらも、新国王に聴かれているかもしれないと思うと、とてつもない不安に襲われた。
「心配しなくても今はもうそこには何もない」
「どうしてそう言い切れるの」
「お前、宮廷に侍女を全員、戻しただろう?」
「それは……ええ。もう王太子妃ではなから。そうするべきかと思って」
「その他にもフリオの放った密偵もいれば、俺の用意した侍女もいたってことだ。引き上げる際にこちらが把握しているすべての盗聴器は撤去させておいた。けどまあ、心配ならそこを出てもいい」
部屋を出る?
このスイートルームを出る? もしそうなったら次に行くのはどこ?
父親は自分をどのようにして政治的な道具に使うつもりなのだろう。
そう思うと、己の意思で全てを決めてきたつもりが、結局のところもっと雲の上の存在に操られていたのだと、理解する。
なんて虚しい人生かしら……。
肩を落とすアニスに、伯爵は、冷たく返事をする。
それは道具として生きるか自分で人生をつかみ取るか。
そんな選択を求めているようにアニスには聞こえた。
「その部屋を出るんだったら俺の支援は受けられない。何しろ政権が交代したばかりで功労者ではあるがいろいろと立場が不安定なんだ。自分の娘ですらもコントロールできないとなったら、周囲の反応も変わってくる」
「ご自身の評価に傷がつくとおっしゃりたいのですか」
「そうだな。娘の前でこんな話をする父親もどうかと思うが、その部屋を出るなら同じホテルの中で過ごした方がいい。そこは国内でも有数の治外法権だ」
「……お父様に従えば?」
「いずれ、フリオの側妃にお前を上げることになる。嫌なら自分で仕事を見つけろ。それ以上の支援はしてやれん」
「随分身勝手な、お話ですこと!」
だから連絡をしてくるなと、戻ってくるなと、彼は手紙に書いたのだ。
アニスがこの部屋にずっといることは、そのまま、側妃への階段をゆっくりと登らせるのに、都合がいいから。
サフランが語っていた、フリオのこと。
あれはなまじ嘘ではなかったのだと、思い知る。
現国王フリオの妻、タイラーはよい女性だし、いい友人になれるだろう。
けれども、自分を裏切った元婚約者とはいえ、近しい男性を殺されて、はいそうですか、と妻になる女がどこにいる。
娘が戦上手なのは知っている。そこいらのまともな騎士や剣士とやりあっても、平然と討ち下すだろう。
指弾や闇属性スキルのことも、把握していて、それで生きていけるのは分かっている。
もし、フリオ陛下の意に沿わないとして、暗殺者を送り込まれても、平然と返り討ちにできる程度には、強いことも……。
そんな危険な生き方より、平凡で静かに慎ましやかに過ごして欲しいと、伯爵は言葉にはしないが、そう望んでいた。




