終わらせなきゃいけないの
─────気付いた時には。
「…好きだ」
もう手遅れで。許されなくてもいいと思っていて。むしろ許さない周りが悪いのだと決めつけていた。
「本当に…?私も…私も好きよ」
震える声で吐き出した答えを受けて、青い瞳がゆるりと細められる。ああ、私はこの人が好きだ。
頭を撫でられたら嬉しくて、目が合うだけで幸せそうにしてくれて、身分とか気にしなくていいと笑ってくれて。
「婚約者がいる身分で、随分と楽しげだな?」
…でも、好きになった人は婚約者がいました。それを人の口から聞くのはなんの罰でしょう。
私は酒場で働く平民を親に持つただの娘、少し頭が良くて、人よりも少し変な魔力を持っていたから、この学園に通う許可を特別に貰えた。
それだけで奇跡なのに、貴族の…公爵家の三男、レオと出会って、恋をして、恋されたことを知って。
「お前になんの関係がある?」
レオが冷たく呆れたような視線を向けてくるクラスメイトを睨む。…否定、しないのね。
「俺が好きなのはアリアだ! あいつとの婚約は親が決めたことで──」
最低だ。
誰が?私が?レオが?幸せだった私達に現実を突きつけてきた目の前のクラスメイトが?
だって、私そんな事知らなくて。
婚約者だっていること初めて知って…。
「政略でもなんでも、婚約者なんだろ、筋通せよみっともない」
声が震える。何か言わなきゃ、何か。ごめんなさい?知らなかった?騙されてた?
どの口で言うの?
いつの間にか下げていた視線を上げると周りに人だかりができている。その人波が左右に何かを避けるように開いて…。
とても綺麗な人が微笑んでいた。
「──残念です、レオ様」
「カトリーナ…っ」
それだけで充分だった。
婚約者が居たレオ。
レオが呼び捨てで呼ぶ女の子。
綺麗で、髪もふわふわで、花のような子。ライトグリーンの髪とオレンジの瞳が綺麗で。
学園のワンピース型の制服がまるでドレスのよう感じるくらい気品があって。少し微笑むだけで。
「アリア!」
────どうしてこうなってしまったんだろう。
今、きっと私達は。
たった二人で立っている。罪人として。婚約者がいる身で恋をしたレオ。婚約者がいるレオに恋した私。
さっきの答えはきっと、最初から決まってたんだろう。
最低で…悪いのは、私とレオだ。
「貴女はきっと知らなかったんでしょうけれど──」
カトリーナさんが、口を開いて、私の知らない世界を教えてくれる。三男で、家を継ぐ事が出来ないレオはカトリーナさんの家に婿養子として入るのだと言う。
「…聞かなくていい、アリア」
「いいえ、貴女は聞かなければならない」
呼吸の仕方ってどうしていたっけ。
勝手に喉から空気が抜けていく。苦しいなぁ。でも、カトリーナさんはもっと苦しかったんだろうなぁ。
だって私がカトリーナさんからレオを奪ってた。レオとカトリーナさんは子供の頃から婚約していたって言っていて、学園に入学し私に出会う前まではちゃんと仲も良かったのだと言われて。
じゃあ、最初から全てが間違いだったのかな。
入学して、出会って恋して、身分なんて無視して、周りの目も無視して相手だけしか見なかった。
「アリア…っ」
「レオ様は、私の婚約者です! 例え本当にあなたを愛していても」
泣きそうな表情も綺麗なカトリーナさん。うん、分かるよ。この人はちゃんとレオが好きで、私に取られまいと必死なんだ。
震える手をぎゅっとレオが握ってくれる。大丈夫だと励ます手が、まるで私の罪を浮き彫りにするかのようで。
ふるふると、静かに首を横に振るとその手に力が籠った。
終わらせなきゃいけないの?
幸せだった昨日までの記憶全部。もし消せてしまえたなら、初対面の頃に戻れるならきっと私はレオから逃げ出している。
「あり、あ」
「レオ…なんで」
なんで言ってくれなかったの。最初から。恋なんて許されないのだと。
「言ってくれたら…言ってくれたならっ」
こんなに苦しい思いはせずに済んだはずなのに。込み上げてくる涙と罪悪感。恐ろしいことをしてしまった自分への怒り。
これから起こるであろうことへの恐怖。
レオの手を離して、跪く。どうしようもないのだ、もう。
「申し訳ありませんでした、身分をわきまえず…っ」
本当に。
なんて愚かなことをしたんだろう。この学園に通わせてもらえることだけでも幸せで光栄な事だったのに。絵本の王子様みたいなレオに出会い、恋をして、その結果が身の破滅だなんて。
「……アリア!なにを!」
「レオナルド様、私のことはどうかお忘れ下さい」
「なにを…」
「アリアさんは本当に聡かったのね」
カトリーナ様が私の頬を優しく滑らせるように撫でる。まるで人形のような美しさと人間離れした仕草に体の芯が冷える。ガタガタと震える私の手を労わるようにとってさすってくださるが、それすらも恐ろしかった。
「アリア……?」
「レオナルド様がカトリーナ様と結婚しなかった場合、レオナルド様の家…クレヴィア領の平民たちが…」
「アリア!僕を見ろ、アリア!」
「幼い頃から政略として決まっていたということはっ、それが必要だったからでしょう!?」
終わらせなければならない。どんなに恋しくても、苦しくても、恨めしくても。
でなければ、なんの罪もない人達が苦しい生活を送ることになってしまう。
正義とか、そういうのを語るわけじゃない。だけど私も平民だ。貴族の方々が幼い頃から結ぶ政略結婚の婚約は深い意味がある。
私はこの学園で学ばせて貰えた。それはとても幸いな事だった。
私は知っている。他の国は知らないけれど、私の大切で大好きなこの国の貴族は貴族の矜持を重んじて。古くからそれを守り続けている。
国民が不満をぶつける相手にもなり、国民を守る盾になり、国民を裁く剣にもなりうる。
この国の貴族は真っ当だ。少なくとも私の知る限りは。
だから。
「レオナルド様にはもう二度と近付きません、お望みなら学園も去ります。愚かな私の行動が招いた事をどうか……」
どうかそれで許してくれないかと深く頭を下げる。あぁ怖い。お父さん、お母さん。
私大丈夫かなぁ。お父さん達大丈夫かなぁ。
領のみんな…私を推薦してくれた領主様。
どんな顔を向ければいいの。あんなに期待とともに見送ってくれた人を裏切ってしまったのに。
「……分かっていただけるのならこの件は学園の中で起きた“トラブル”ということで処理致します。学園も通い続けても構いません。視野が狭くなってしまっただけで貴女は確かに聡い方だということは分かりました」
「っ」
あぁ…終わった。私の夢みたいな甘くて優しくて、泣きたくなるような幸せな時が。
ごめんなさい、カトリーナ様。きっとレオのこと以外にも目を向けていたなら貴女の事も知れたんだと思う。
だってこんなに綺麗で、こんなに誇り高い貴族を体現した人だから。
「あり、がとうございます」
レオ、大好き。大好きだった。
大好きだったことすらなかったことにしないといけないけど。
涙で前が上手く見えない。私に駆け寄ろうとしてくれるレオがうっすらと分かるけど、カトリーナ様のクラスの方が止めてくれている様だ。
もう二度と顔を合わせることは叶わないと思う。
申し訳なさそうなカトリーナ様の視線にまたゆるゆると首を横に振る。
貴女は悪くありません。私とレオが悪いのです。
ごめんなさい、本当に。
沢山傷付けました。きっと沢山泣かせました。レオが私のそばにいた分貴女は一人になっていたということだから。
情けなく泣きじゃくる事もきっと許されない。なのにそんな最低な私に哀れみを下さる方だ。こんなに美しく、気高く、優しい方に私が勝てるはずもなければ勝とうという気さえおきない。
だから終わらせなきゃいけない。これは私の罪で、レオナルド様の罪だから。
私はレオナルド様から離れ、周りに何を言われても、虐めにあったとしても立ち続ければ行けない。そうしなければ故郷の優しい人達を苦しめてしまうから。それが私の罰だから。
きっとレオナルド様はこれから自由な時間が減るだろう。カトリーナ様からの信頼はもう全くない。周りもそれを許さない。目を光らせ見張るのだろう。
もう二度と過ちをおかさないように。
「アリア!」
私と貴方の出会いは罪だった。許されるはずのない恋だった。
だからレオナルド様、どうか私のことは忘れてください。私も頑張って忘れるから。
だからそんな目で私を見ないで。また抱き締めて貰いたいという心がこぼれそうになるから。
「アリアさん、貴女がもし…」
「…はい」
「もし、耐えられないような目に遭ったら私に声をかけることを許します」
予想外に告げられた言葉に目を見開き、そして笑ってしまった。
「…悲しいくらいに貴女は完璧なんですね」
「何を…」
「幸せになってください…カトリーナ様…そしてレオナルド様」
きっと二人の結婚式は華々しく行われる。たくさんの人にお祝いされて、美しい二人がその中心で輝く。
それが正しいんだ。
だから、私とレオナルド様が初めにすべき事はこの過ちを学園の外に出さないこと。そんな事実なかったのだと綺麗さっぱり消してしまうこと。
レオナルド様はきっとそれが出来ないから、それを私から始めなければならない。
深く礼をして、寮の自室へ帰るとレオナルド様にいただいた物を箱に詰める。小さな宝石がついたぬいぐるみに、綺麗なショール。美しい音を奏でる魔道具に、香りのいい香水。
それらを詰めた箱を持ち上げ、ふと机の上に置いてある栞を手に取った。
レオナルド様に告白された日に貰った花束のいちばん綺麗に保存できた花で作った栞。
私の、一番の宝物。
レオナルド様にこれについて話したことは無い。貴族が花を栞に加工するなんて話も聞かない。だから、これだけは私の戒めとして…救いとして持っていよう。
この学園を去るとき、もしくはレオナルド様への思いを完全に消せた時、これを捨てよう。
そう決めて、栞だけはそのままに。貰ったものを全て寮母さんに渡した。
渡す先はカトリーナ様だ。それをどうするかを任せること、改めて謝罪をまとめた手紙も渡してやっと私はスタート地点に立てる。
愛した人を忘れるというスタートをきれるのだ。