刺客
ある日の夜、ベンはルージュを誘い酒場で酒を飲んでいた。
「あなたに誘われるなんて嬉しいわ。プロポーズなら何時でも歓迎よ」
「俺の恋人は武器だけだよ」
「冗談よ」
異獣ハンターは常に死と隣り合わせだ。例えベテランでも油断しなくても死ぬ事など決して珍しくない。
家族を持つ事は自身にとっての重荷でしかなく、その時がきた時の悲しみを与えたくはない。だからベンは家族を持たないと決めている。
「寂しい人ね。あなたは私がノーマルだった頃からずっと一人だった。他人と組む事はあっても決して深い仲になろうとしなかった。
そんなあなたが人と関わるようになったのは、二人を弟子にしてからね」
「俺の心境の変化は関係ないだろ?」
「良いじゃない教えてくれたって。別に言いふらしたりしないわよ」
ベンは酒を呷った。別段特別な理由がある訳じゃない。ただ、自分の事をべらべらと他人に話したりする趣味が無いだけだ。
軽快な音楽が奏でられ、ハンター達が笑い合いながら談笑している。苦労話に儲け話に笑い話。楽しい雰囲気に例え関係なくとも笑みを浮かべてしまう。
「何時死ぬか分からないから、俺を受け継いでくれる奴を残したかった。それだけだ」
「ベン・・・」
「死ぬ気は無い。だが、何時死んでも良い覚悟を持って戦う。それが異獣ハンターだ」
引退など考えていない。死ぬその時までハンターとして勤める男の覚悟だ。
「何を聞きたいの?」
「お前が鍛えて十日は経つな。リンダはどうだ?」
「あの子は天才よ。嫉妬するぐらいにね。
銃が上手いと言うよりも、単純に目が凄く良いのよ。暗闇でも外す事無く的を撃ち抜くし、どんなに離れていても的が小さくても的確に狙い撃つわ。初めはおぼつかなかったけど今はもう大分慣れたわ。まだ精神面は未熟だけどね。
正直嬉しかった。あなたの言った通り、私を受け継いでくれる子が出来て」
「縁起でもない事を言うな。お前はまだ生きろ」
「なら、あなたも生きてよね」
お互い苦笑を浮かべてコップを合わせた。キンと良い音が鳴る。
「じゃあリンダにはおかしな点は無いんだな?」
「・・・ええ。良い子よ。こんな時代でも無かったら人から好かれる看板娘にでもなってるかもね」
可愛い子だ。純朴な村娘が一番しっくりくる。こんな血生臭い仕事に就くべき子ではない。だからこそ異獣が憎く、許せない。
「何か気になる事でもあるの?」
「リンダはショックで昔の記憶をほとんど失ってる。だから気になってな」
「テンレイドに襲われたのよね。あの子だけでも生きていてくれて良かったわ。だからこそ明るいあの子を見ていると心が痛むわ」
記憶を失っているのなら尚更だ。そんな状態でこの仕事を続けさせるのが正しいのだろうか?少なくともルージュはそう思っている。
(リンダと共に過ごしてもう二十日と五日は過ぎた。身体は異形でも、精神は人そのものだ。おかしな点も何も無い。あれ以来テンレイドも姿を見せん。捜索でも手掛かり無しだ。
赤い星が落ちて異獣が活性化した訳でもないし、リンダに異様な反応を示した訳でもない。一体何者なんだ?)
振り返らずに、意識を離れたテーブルで食事しているリンダに向けた。
「二人共何を話してるんだろう?」
「大人の話しだろう。僕達が気にする事は無いさ」
はぐらかしたものの二人はベンが何の話しをしているのか知っている。
「リンダ、最近、どう?」
「強くなった気がするよ。ルージュさんって銃の扱いが凄く上手いの。あたしも狙いは付けられても扱いがまだまだ下手だよ」
「それで下手だったら他のハンターは銃を触る資格も無いぞ」
凡人が見てもリンダの腕前は達人だと分かる程上がっている。
食事が普通に出来る。歯も生えている。舌もある。しかし身体は肉だ。なら、食べた物は何処に行く?
「なあ、食べた物はどうなるんだ?」
人に聞かれたら怪訝な顔をされる質問だ。だがここは盛り場。他人のお喋りなど誰も耳に入らない。
「・・・吸収されてるの。食べた物が、あたしの中で吸収されて新しい肉になってるって感覚で感じるの?」
「肉、増えたら、どうなるの?」
「分かんないけど、今のところは問題ない、かな?」
お腹を触っても特に違和感は感じない。身体も別段に大きくなっている訳ではない。
ケンはリンダを横目で見つつ、酒を勢いよく飲んだ。
(リンダ・・・リンダじゃない・・・リンダ・・・リンダじゃない・・・。くそ、まだ駄目だ・・・)
打ち解けたようで打ち解けない。妹の姿が目の前にちらついてしまう。
ケンはそれから一言も喋らなかった。「疲れてるだけ」とヒュームに言われてもリンダの不安は無くならなかった。
程なく食事は切り上げられ酒場を後にした。
「俺は協会に用があるからお前らは先に宿に戻ってろ」
「分かった」
酒が入ってもケンとヒュームはしっかりしている。ヒュームは蟒蛇でケンもちゃんと眠れば二日酔いみたいな状態になったりしない。二人共酒には強いのだ。
「私も帰るから途中まで見送るわ。だから安心してね?」
「子供じゃないんだぞ」
「はなから大丈夫だって信じてるさ」
別れてしばらくして協会に着き、早足で二階の協会長室に向かった。
「ベンだ。入るぞ」
「ああ。早く入れ」
部屋の中では協会長が頭痛で痛そうな表情で立ち尽くしていた。
「元歴戦のハンターとは思えないな」
「全くだ。こんな姿お前以外には見せられないな」
「つまり、赤い星が他に見つかったと」
ベンは協会長に頼み赤い星の捜索を依頼していた。夜空に光っていた赤い星は四つ。つまり後三つの赤い星が地上に落ちた事になる。
協会長は渋面を浮かべて首を振った。
「あったが、無かった」
「なんだと?」
つい語気が強まってしまった。自分の失敗に気づいた時にはもう遅かった。
「お前、何があったのか知っているのか?」
こうなってしまってはもう隠し通す事は出来ない。協会長とは親しい仲だが立場は向こうの方が上だ。何より異獣ハンター協会のトップである以上、世界の異変は常に把握し最善の手を打たなければならない。
この事態である以上、協会長は決して引かない。
ベンは顔を覆った。
「お前らしくないな。一体何を知っているんだ?心配せずとも、言えない事は他言無用にする」
ベンは赤い星がリンダになった事、テンレイドがリンダを見て動揺して逃げた事、リンダが人として暮らし問題ない事、身体が肉でありケンの身体を治した事、そしてケンと何か関係がある事を全て語った。
協会長は質問する事無く黙って話しを聞いていた。ベンが話し終えると協会長は眉間に皴を寄せた。
「ならば、状況はかなり悪いな」
「悪いだと?」
「赤い星だが、落下した場所は見つかった。だが赤い星は既に無くなっていたのだ」
ざわりと全身の毛が総毛だつのを感じた。
「お前が言うように人になったのかもしれん。だが、目撃情報が一切無い以上楽観視は出来ん。リンダは私も知っている。本当に人間にしか見えない。リンダが異形だとしても誰にも分からないだろう。それは逆の意味にも通じるな」
「ああ・・・紛れ込まれたらなす術がない」
「リンダの事は信じよう。私も何度か様子を見たが、至って普通な子だ。異獣ハンターとしても優秀で良い子だ。
だが他がどうなのかは分からん。それに、全てが人になるとも断言できん。そうだろう?」
「ああ。実際俺達は、何も分かっていないんだ」
とうのリンダが自分自身の事を何も知らない以上、仮説と想像でしか予測が出来ない。リンダは人になった。だから他も人になる、そんな決めつけが足元を掬われる要因になる。
「赤い星の情報は全ての支部に伝わっているんだな。調査はどうだ?」
「成果は無い。テンレイドのような異獣も現れなかった。一体何の差があったのか見当もつかん」
協会長は渋面を浮かべて歯を噛み締めた。
「その様子だと、良からぬ事を考えている奴らがいるようだな」
「お前も知っていると思うが、ハンター協会も一枚岩ではない。私が本部協会長ではあるが、世界に六つの都市を巡り支部を視察するのは時間も費用も掛かりすぎる。故に対談は五年に一度、ハンター協会それぞれのトップにのみ許された遠距離通話で情報を仕入れるしかないが、それも一度の通話に数時間待つ必要がある。他の支部が裏で何かをしていても、証拠が無ければどうする事も出来ん。
マルクトのハンター支部はエターナ軍と関係が深い。エターナ軍は人の世界を取り戻す為に異獣殲滅を掲げた軍隊だ。将軍のビカースは信頼できるが、油断をしないようにしなければな。現にエターナ軍は今、赤い星の捜索にかなりの人員を割いている話しだ。
ケセドでは宗教団体七つの鐘が赤い星はこの世に救いをもたらすと吹聴しているらしい。あそこではハンターにも信者が多いからな」
「成程な。その様子だと他のハンター支部も大体似た有様なんだろう?」
「まともなのはこことビナー、ギリギリでティファレトぐらいだ。そのティファレトも都市長に半ば支配されているし、ホドは金と欲に塗れている」
協会長は自分が不甲斐なかった。本部長にしてハンター協会の長であるにも関わらずハンター支部がそれぞれ乱れている現状を把握しているにもメスを入れる事が出来ない。それをするとなると何年、下手したら何十年も時間が掛かる。しかし改革を進めている間も異獣達は世界を襲う。組織として一度立て直している間に甚大な被害が発生するのは火を見るより明らかだ。
現状ハンター支部は異獣と戦っている。役目を果たしている以上、余程の事が無い限りメスを入れる事が出来ない。世界を守っている自分達が動けなくなったら人は異獣を前になす術が無いのだ。
「この世界、こんな時代でも腐った人間はいくらでもいるからな」
「お前には本当に感謝している。私の代わりに支部を渡り歩き目を光らせてくれていた。だからこそ今日まで支部が暴走する事がなかったんだ」
「協会長はネツクには必要だ。指導者がいなくなったら有事に対応できなくなる。異獣ハンター協会も出来てから長いが、体制の問題や長いからこその粗も出始めているな」
完璧な組織など存在しない。巨大になればなる程、様々な野心を抱く者が現れ密かに組織を分裂させるのだ。派閥さえ作ってしまえば後は自分の思う通りに動かす事が出来る。異獣ハンター協会の都市ごとに支部を配置する手法が今の状況を招いてしまった。
「ベン。情報を貰う上で支部には赤い星がネツクの傍に落ちた事を伝えてある。お前が言ったように焼き尽くしたとも伝えたが、間違いなく嘘だと見抜いているだろう。
もう二十五日は経つ。知らぬ間にネツクに裏の人間が入り込んでいるかもしれん。気を付けてくれ」
「ああ。なら、今日はもう帰るぞ」
理解は追いつかず、予測も立てられない。他にも落ちた赤い星が同じようになったなどと誰が想像つく?
(赤い星に何か力があるのか?確かに人知を超越したものだが、リンダには傷を治す以外に特別な力など無いぞ。・・・あるいは、リンダも知らないだけで何か力があるのか?
・・・いや、おそらくだが奴らも予測は付いていない。全部が仮説だ。だから調べているんだ。これからは細心に気を配ってリンダの正体を隠さないといかんな)
ベンは足早に協会長室から出て行った。
*
「はぁ~・・・夜風が気持ちいい」
ほろ酔いのルージュはひんやりとした夜風に当たり夢見心地だ。
「この夜空が世界でも見られてるかな。何時か世界で見てみたいな」
「ルージュさんは旅をしたいんですよね。ケンとヒュームも?」
「僕達も何時か旅をする。そしてハンター協会を変える。今のままじゃ駄目なんだ」
ケンは拳を握り締め強い口調で告げる。
「協会、間違い、色々ある。人を助けるのがハンター。けど、今はずれてる」
この世界の事を良く知らないリンダは説明を求めるようにルージュに視線を向けた。
「ハンターも人間なら組織を動かすのも人間。偉人や傑物が常にトップにいる訳じゃないのよ。勿論不出来な人でも頑張ってくれるなら良いわ。一番駄目なのは仕事が出来てよからぬ事をする人ね」
何か、深い闇を垣間見た気がした。
(世界って、どうなってるんだろう?世界はそんなに悪いものなの?・・・ううん、きっと違う。だって、ケンも、ヒュームも、ベンも、ルージュさんも、ネツクで関わった人達は皆良い人だった。
あたしも世界を視たい。視て、世界を学びたい)
小さな決意を抱き僅かに歩調が皆と遅れた、その時だった。
突然後ろから掴まれて首に刃物を当てられた。抵抗する間もなく腕を抑えられ、大した力を加えられていないのにビクともしない。
「な、何!?」
「リンダ!?」
顔を布で覆った奴がリンダを捕えて鉤爪を首に当てていた。
「手を離せ!」
ヒュームは空気が震える程の怒号を発するが相手は意にも返さない。
「動くな。動かなければ、何もしない」
それは全員に向けられて言われた。
(女の人?)
(女?)
低くくぐもっていたが、その声は女性のものだ。
「こんな所で人攫いなんて、随分と度胸があるのね。ハンター達に見つからずに外に出れると思ってるの?」
丸腰の自分達では相手には勝てない。ならば少しでも時間を稼いで人が集まるのを待つ。幸いヒュームの声が響いたお陰で人が集まり出している。
「逃げる手段無しにこんな事をする馬鹿はいない」
女の裾から缶のような物が落ちると猛烈な勢いで白い煙が噴き出し辺り一帯を包み込んでしまった。
「げほ!これは、煙幕!?」
「なんだこれ!?リンダ!」
ヒュームは二人がいた場所に飛び掛かったが虚しく空を切っただけだ。
「皆!」
遠くからリンダの声が聞こえてくる。しかし混乱した人達の叫び声に呑まれて何処から聞こえてくるのか分からなかった。
煙が薄れてくるとルージュは地面に落ちている缶を手に取った。
「これは・・・確かエターナ軍が対人用に作った煙幕じゃなかった?なんでこんな物を」
その疑問は振り払った。今すべき事は一つだけだ。
「この場にいるハンター達は聞きない!賊が入り込んで異獣ハンターリンダを連れ去った!あの子は将来優れたハンターとなる!希望の芽を摘ませるな!すぐに捜索に当たり、事態を伝えろ!」
集まっていたハンター達は「おお!」と怒りを露わに動き出した。彼らは自分達が暮らす場所も守っている。荒らされたとあっては黙っていられない。
「ヒューム!行くぞ!」
「助ける!」
「待ちなさい二人共!闇雲に追っても見つからないわ!」
「何処に行ったか分かるんだ!上手く言えないけど、リンダが何処にいるのか感じるんだ!」
「こんな時に何を」
真剣だ。とても真剣な顔だ。
ふざけているはずが無い。ここ最近ケンとは顔を合わせる事が多かった。ケンはこんな時に嘘を言ったり、ただ闇雲に突っ走ったりする考え無しではない。
本当に確証があるのかもしれない。しかしルージュは首を横に振った。
「相手は武器を持っている。丸腰のあなた達が行ってもどうにも出来ない」
「・・・・・・」
「すぐに本部に伝えて用意を」
突然ヒュームが天を貫く程の大声で吠えた。その声量は近くの窓ガラスが震え傍にいた人達が目を回して倒れる程だ。
ルージュも不意をつかれふらついてしまい、その隙に二人は走っていく。
「ま、待ちなさい二人共!」
こんな状況下で冷静で合理的な行動がとれる程、二人は大人ではない。
*
人一人抱えた女性はネツクを駆け抜け城壁へと辿り着いた。そこは空き家が多い一角で人気のない場所だ。ここまで来たのに息を全く切らしていない。
「どうしてあたしを攫うんですか?」
「私は上官の命令に従うだけ」
リンダの方を見ずに感情の無い声で答える。
「どうして自分を無いように振る舞うんですか?」
女性は鋭い視線を向けると鉤爪を突き出した。
「傷つけるなとは言われているが、抵抗するなら無力化しろとも言われている。喋れなくしてから連れて行っても良いんだぞ」
本気の脅しにリンダは竦むも、憐憫の眼差しを向け続けた。
女性は舌打ちすると鉤爪を仕舞う。何の仕掛けか一瞬で袖の中に入った。
女性は人待ちの顔だ。すると物陰から三人の男達が姿を現した。リンダは仲間だと思ったが、女性は眉間に皴を寄せた。
「初めましてエターナの軍人様。お仲間でしたら」
女性は呑気に喋っている奴の顔を鉤爪で貫いた。動揺する仲間の内一人の首はもう一方の鉤爪で喉を引き裂いた。鮮血が噴き出す。思考が追いつかないリンダには美しい光景に見えてしまった。
最後の一人は小さく悲鳴を上げつつも銃を構えて女性と向き合った。
「敵の前でご高説を聞く程、私はマヌケじゃない」
「それが礼儀だと思いますがね」
銃を持つ手が震えている。
「お前、七つの鐘だな?」
それに対して言葉を返そうとした時には女性は前屈みで突進していた。経験と実力に差がありすぎる。腕を切り落とされて男は悲鳴を上げかけて女性に喉を肘で突かれた。「かへっ」と息を漏らし喉を抑えて蹲る。
女性は男の髪の毛を掴むと何度も地面に叩き付けた。肉と骨を打ち付ける鈍い音が響く。
「答えろ。お前達は、持っているのか?」
男は答えない。見る間に顔が青くなり泡を噴き出した。
「毒か」
女性は忌々し気に舌打ちした。
「軍人が聞いて呆れる。不意を付かれたとは言え、こんな素人にやられるなんて」
呆れて物も言えないと言う雰囲気だ。女性はリンダに向き直る。
「逃げなかったな」
「逃げられません」
「不意打ちしなかったな」
「敵いません」
今の攻防の最中、どうにかならないかずっと隙を窺っていた。日が浅いとは言え異獣ハンター、相手の隙を見抜く目は養われつつある。
未熟な自分ではどう足掻いても女性に抵抗できない。逃げる隙?この人は間違いなく後ろにも目がある。そんな事をしても地面に叩きつけられるか脚を封じられて終わりだ。
女性は少しだけ面倒そうな目をした。
「まあいい。こうなったらお前を担いで正面入り口を突っ切る。輸送車が使えない以上それしか方法はない」
近づいてくる女性に対してリンダはなす術が無い。実力に差がありすぎる。自分ではどう足掻いても女性には勝てないだろう。叫び声を上げる?その前に喉を突かれて終わりだ。
そう、人としては絶対に勝てない。
リンダは身体の内側で自分の肉が蠢くのに気づいた。
(今まで、この身体で傷を治せる以外で何かが出来るなんて考えた事無かった。けど、もしそれが出来るのなら)
あれ以来、身体を肉にしていない。でもどうすれば良いのか理解している。知らないはずなのに生まれた時から身に付いている知識のように。赤子が歩く事を知っているように。
女性は動きを止めた。リンダから異様な気配を察知して警戒したのだ。
腹部から凄まじい勢いで肉が飛び出す。流石に動揺して思考が一瞬停止してしまい回避行動を取れず女性は城壁に叩き付けられた。
「なんだこれは!?」
女性はもがくも肉は強靭な力で女性を抑えつけていてビクともしない。これでは隠し武器すら使う事もままならない。
「出来た・・・」
違和感はまるでない。出来て当然のような感覚だ。
落ち着いている、冷静な自分がむしろ恐ろしかった。
「これが赤い星の力なのか?」
「あなたは、あたしの何を知ってるの?」
女性は答えない。尋問や拷問はしたくない。
「リンダ!」
家の間を縫ってケンとヒュームが駆けつけてきた。
「ケン!ヒューム!」
「リンダ!大丈夫!?」
そうしてリンダを前にした時、目の前の状況に唖然としてしまった。
「なんだ、これ・・・」
流石に驚きを禁じ得ない。だが何時までも呆けている訳にはいかない。
「リンダ、大丈夫か?」
「うん」
「リンダ、何があったの?」
「あたしの肉を使ったの」
それしか説明のしようがなかった。
「こいつを抑えないとな。どうにかして気絶させないと」
何時までもこのままと言う訳にはいかない。どうにかして人攫いを抑えないと、人に知れたら騒ぎになる程度ではすまない。
「多分、あたし出来る」
「出来るのか?」
「うん」
肉が動き女性の顔を覆おうとした、その時だった。
城壁が切り裂かれて崩れ落ちる。女性は瓦礫に呑まれそうになるも済んでの所でリンダに引っ張られて難を逃れた。
「なんだ!?」
砂埃が舞う。瓦礫の向こうから空を割く音が聴こえてくる。その音は忘れない、忘れようもないあの音だ。
「テンレイド!」
崩れた瓦礫を踏みしめてゆっくりと歩いてくる。ヒュームの戦鎚で潰されたはずの頭は元に戻っていた。
「どうしてこんな時に。それに、城壁を壊しただと!?」
各都市を守る城壁は異獣から人を守る為に最新鋭の技術の元に建築された。その頑強さはルージュの機関銃でも傷一つ付かない程だ。
テンレイドは口角を上げて醜悪な笑みを浮かべる。丸腰の自分達では逃げるしかないが、間違いなく逃げる間もなく殺される。
まるでそれを証明するようにテンレイドは大股で駆け出した。速い。その刃が届くまで三秒も掛からないだろう。
だが刃が届く寸前でテンレイドは銃撃を受けて動きを止めた。腕の刃で受け止めて忌々し気な表情になる。
「ケン!ヒューム!無事!?」
路地を抜けてルージュが現れた。その後ろから十数名のハンターもやってくる。
「僕達は大丈夫だ!それより」
「分かってるわ。こいつを追い返すわよ!絶対にここを通さないで!」
ハンター達は雄叫びを上げる。自分達はここで死ぬかもしれない。逃げ出したい。そう思わない者はいない。しかし野心や欲でハンターになったとしても人から感謝され人と共に過ごせばハンターの意義を学ぶ。
彼らにもまたハンターとしての矜持がある。ここで逃げ出す訳には絶対にいかない。
「僕達は一旦引くぞ!このままじゃ足手纏いだ!」
「分かった!リンダ!」
「待って!」
リンダは女性の背中に視線を落とす。
テンレイドの刃は城壁を貫き女性も切り裂いていた。背骨が斜めに綺麗に切られ、臓器にまで達している。
「このままじゃ、この人が死ぬ。あたし、この人を助けたい!」
人目の付かない場所に移動させている時間は無い。出血が酷すぎる。このままでは数分と経たずに死んでしまうだろう。
「ヒューム」
「うん」
二人はリンダを隠すように立つ。
リンダは傷口に手を当てて傷口に自らの肉を送り込む。肉は切られた臓器に張り付くと傷口を閉じてゆっくりと同化していく。骨も同様だ。
(こんな感じで傷を治していくのか)
身体の内側が疼く感じがした。
傷が治ると女性は起き上がりリンダを見やる。即座にケンとヒュームが前に出る。
「・・・あれが、テンレイドか?」
「は、はい」
テンレイドは銃撃の嵐を触手で全て弾き返している。それでも動きが止まっているのはルージュの機関銃で押し止めているからだ。だが、それも限界に近い。
「止めろ!」
腹に響く程鋭い声を放つ。ハンター達は撃つのをやめ振り返ると、女性は前屈みの姿勢でテンレイドに突進する。
「速い!」
あれ程素早く動ける人間をルージュは見た事が無い。
触手を放ち女性を突き刺そうとする。触手が刺さる寸前で女性は身体を僅かに逸らして、一部は鉤爪で弾き瞬く間に懐に潜り込んでいく。
「なんだあいつ!?」
「どうして避けれるんだ!?」
驚異的な身体能力に仰天するハンター達を他所に、ルージュだけは女性が何故動きを見切れるのか見抜いていた。
(私達の銃撃戦で、テンレイドの動きを見切ったと言うの!?あれでそんな事が可能なの!?)
あの攻防などテンレイドにとっては力の一端に過ぎないだろう。自分達を相手に本気を出していない事は明らかだ。
そんな動きである程度の癖、行動のパターンを把握して予測するなど自分なら絶対に出来ない。
テンレイドは触手で足を取ろうと巻き付こうとするが女性はバネのように身体を一瞬縮めると矢のように飛ぶ。素早く反応して両腕の刃を交差させて待ち構えるが鉤爪で刃を受け止める。テンレイドは歯軋りをした。
「受け止めた!?」
ヒュームは驚愕した。固さなら他の追随を許さない自分の鎧をバターのように切り裂いたテンレイドの刃を受け止めるなど到底信じられなかった。それはケンも同様だ。
無論このままでは触手の餌食だ。それに鉤爪に刃が少しずつ食い込んできている。
女性は身体を下げると刃の下に潜った。突然鉤爪が外れ刃は空を切った。
ナイフを取り出すと股間に突き刺す。柄のボタンを押すとナイフが火を噴いた。刀身が外れるとナイフは火を噴きながらテンレイドの身体を抉っていく。金切り声を上げてテンレイドは身を捩る。
「えぐい武器だな」
全員股間がきゅっと縮こまった。
そんな状況でもルージュは隙を逃さず機関銃を撃った。強烈な威力の弾丸は胸に直撃し大きくめり込んだ。テンレイドは大きく仰け反るも倒れず踏み止まる。
「これ受けて原型留めていた相手は初めてよ」
刃で受け止められている時点で想定内だ。
テンレイドの触手が突然大きく弾けた。周囲一帯を覆い尽くすと全員を閉じ込めてしまった。
「なんだこれ!?」
「開きやがれ!」
何人かのハンターが触手の壁に銃を撃つも傷一つ付ける事が出来ない。
「閉じ込めたと言う事か?」
「こうなったらやるしかない。あなた、ここは共同戦線で行くわよ」
「好きにしろ」
二人は身構えるもテンレイドは何故か動かなくなった。
「どうして動かない?」
隙だらけだが、逆にあからさますぎて手を出せない。
(オマエハ・・・ワタシデハナイ・・・)
「えっ?」
突然頭に声が響いた。陰鬱な、暗い声だ。
「どうしたリンダ?」
「何か声が聞こえたの?」
「声?」
そんな声は全員聞こえていない。
(ソンザイシテハナラナイ・・・。オレガノゾムノハヨクボウダ・・・)
リンダは全身から血の気が引いた。今までにない程の恐怖が全身を駆け抜ける。これが人間ならば嘔吐していた。
リンダは身体を抱き締めて荒く息をする。
「どうした!?大丈夫か!?」
リンダは答えない。テンレイドから目が離せない。
触手の壁がテンレイドに吸収されていき元に戻ると、刃を掲げてリンダに向ける。
刃が腕から飛び一直線にリンダに向かって飛んでいく。予想外の攻撃に女性もルージュも反応できず、ケンは咄嗟にリンダを守る為に抱き締め、ヒュームが前に立ちはだかった。
そんな事をしても無意味だ。テンレイドの刃は鎧を軽々と両断する。三人共貫かれて終わりだ。
刃が突き刺さる。しかし血は噴き出ない。半ば以上突き刺さったそれは黒色の盾だった。
「異石で出来た盾。使う事なんて一生ない道楽品だと思っていたが、役に立ったな」
屋根から飛び降りてきたのはベンだった。
「ベン!どうして上から!?」
「お前達が肉壁に閉じ込められていたからな。全体を見渡す為に家に登ったんだ」
異石盾に刺さった刃は溶けて消え、新たな刃が生えてきた。
「この武器を使う日が来るとはな。レアルトとは、これ程か」
ベンが手にしているのはどす黒い短刀だ。
「それも、異石?」
ベンは一人でテンレイドに立ち向かう。触手が伸びてきてベンを捕えようとするもほんの少しの動きで触手を避けている。決して早い動きではないのに無駄が一切ない。
それでも数本の触手がベンを襲うが、短刀を振るうと軽々と触手を切断してしまった。
「マジかよ!?」
「凄い・・・」
あの恐るべき触手がまるで紙のように切り落とされていく。テンレイドは忌々し気に歯を鳴らすと刃を構えるも、一刀はルージュの撃った機関銃で動きを止められた。もう一方の刃は女性の鞭で動きを封じられた。
「こいつ、なんて力!」
振り回されそうになるのを歯を食い縛って耐え、刃が振るわれ鞭が切られると後ろに倒れ込んだ。
ベンはテンレイドの顔面に短刀を突き刺した。身の毛のよだつ悲鳴が上がりベン以外の全員が耳を抑えて身体を丸めた。とんでもない高周波だ。頭の内側から揺さぶられるようで何人かは耐え切れずに嘔吐している。
目の前で浴びせられたベンは歯茎から血が出る程強く噛み締めて耐えた。耳からも血が流れ、せり上がってきた嘔吐物が口の中に溜まる。それでも耐えるには歯を噛み締めていないといけない。
渾身の力で短刀を切り降ろし顔面から首、胸まで切り裂くが自由になった両腕の刃を振るわれ、素早く倒れ込む事で辛うじて避ける事が出来た。
テンレイドはふらつきつつも触手で短刀を抜き取り、その意識をリンダへと向ける。
(オマエハ・・・ボクニトッテノイブツダ!カナラズケス!)
失望、怒り、そして苛立ち。感情をもろに送られてリンダは自分の心が蝕まれそうになった。ケンがその手を握っていなければ、何か大切なものが壊れていたかもしれない。
テンレイドは短刀を持ったまま穴から逃げ出した。ベンは堪え切れず吐き出すと仰向けに倒れ込んだ。
「ベン!しっかりして!」
ふらつくもののルージュはどうにか助け起こした。
その隙に女性は穴から外に出る。余力はまだありそうだ。ルージュにはもうどうする事も出来ない。
「あなたは、エターナの軍人なの?」
「・・・借りは返した。二度目はない」
そう言い残し女性は走り去って行った。敵ながらその精神力には感服してしまう。
「全員無事!?」
ハンター達はテンレイドの最後っ屁でフラフラだがどうにか力の無い返事を返した。
「気になる事は色々あるけど、今は状況を片付けないと」